#66
案内をエルフの少女に任せ、とは言っても動けないのでシグが背負う形にはなったが、神樹の元へと歩く。
その後ろ、同じくクナイに背負われたマナと、落ちていた木の棒を杖代わりにルナリスが続いた。
「‥‥‥‥‥‥」
少女を背負うシグの背中をルナリスがじっと見つめていた。それに対し、マナが口を開く。
「シグ、怖、い?」
「‥‥‥いえ、その‥‥‥そう、ですね。少し。さっきのシグ、本気でした」
周りにいる者にすら伝わる、殺気。大聖堂の時とはまた違う、彼の知らない一面。
「そう。確、かに、シグ、怖い、とこ、ある、よ?」
未だ体調の良くなさそうなマナの、シグと同じ赤い瞳がルナリスを覗く。まだ付き合いが短い事もあるが、ルナリスは彼女が何を考えているのかイマイチ読めなかった。
「でも、私、は知っ、てる。シグ、は、とても、優し、い」
それは付き合いの短いルナリスも分かっていた。彼の性根が優しい事は。だからこそ、それ以外の部分は初めて見るので少し戸惑いがあるのだ。
「だけ、ど、大切、な人の、為、なら、非情、にも、なる。それ、でも、私は、シグが、好き。‥‥‥あな、たは?」
こちらの全てを見透かすように、綺麗な赤がルナリスの映す。それに映る自分へと、今の素直な気持ちを、伝えた。
「はい。私も、シグの事、好きですよ?」
「‥‥‥そう」
数秒、見つめ合った後、マナから視線が外された。満足のいく解答であっただろうか。少しして、マナからルナリスへと呟きが漏れた。
「なら、敵」
「ど、どうしてですかッ⁈」
「なあ、名前は何て言うんだい?」
背中に担ぐ、動けぬエルフの少女に尋ねる。道案内の為に連れているのだが、黙ったままというのは居心地が悪かった。
「‥‥‥エリシュ。エリシュ・ノーベディ」
「今度はやけに素直に教えてくれるんだな」
「ふん‥‥‥爪を全部剥がされては‥‥‥敵わないから‥‥‥な」
クナイに、まあ元々は自身の持つ麻痺毒に痺れていたエリシュ、と名乗ったエルフの少女は呂律がだいぶ戻った舌でそう答えた。
やると言えばやる。逆に言えば、素直に応じればされる事もない。そうエリシュは判断したのだ。
バツの悪いシグは頬を掻きながら違う問いをする。
「その魔族のかけた呪いってのは、そんなに強いものなのかい?」
「お前達の‥‥‥仲間のした事だろう。まさか‥‥‥魔族と人間が‥‥‥手を組むとは、な」
「いや違うんだけど、まあいいや。その呪いってのは聖剣の力なら解けるんじゃあないのか?」
未だ麻痺によって身体を満足に動かせないエリシュだったが、聖剣という言葉にピクリと反応を示す。
「そうだな‥‥‥アレならば‥‥‥可能だろう‥‥‥」
「だったらーーー」
「だが、それを精霊王は、ヴェルトリア様は絶対に許さんだろう」
聖剣がある事を告げる前に、エリシュから否定の声が上がった。とりあえず出しかけた言葉を飲み込み、話を聞く。
「それは、なぜ?」
「なんだ‥‥‥知らんのか‥‥‥あの聖剣は‥‥‥ヴィストリア・ハートと呼ばれるあの剣は‥‥‥ヴェルトリア様にとっては‥‥‥裏切りの証だ」
苦々しそうに吐くエリシュ。聖剣の名前と、精霊王の名前が似通っている事に気付いたシグが次いで尋ねた。
「その精霊王って人の名前と、聖剣の名前が似てるのはなぜ?」
「そりゃあ‥‥‥聖剣そのものと成ったヴィストリアと‥‥‥姉妹だからだ。だからこそ‥‥‥ヴェルトリア様は姉を‥‥‥この森を裏切ったあの方を‥‥‥酷く憎んでおられる」
聖剣そのもの、とはどういう意味だろうか。まさか本当に精霊が剣と成ったのか。
気にはなるが、それよりも聞きたいことがあった。
「なぜ、ヴィストリアなる姉はこの森を裏切ったのかい?」
ぺっ、と文字通り吐き捨てながらエリシュは語った。
「人間の雄との‥‥‥駆け落ちさ」
「そ、それはまた」
業の深そうな話である。男女の、それも種族を超えた恋の話などとは。
「初代レストニア王国の王となる‥‥‥ジニアス・レストニアだ。もう五百年は前の話か‥‥‥未だヴェルトリア様の憎しみは消えぬよ。元はこの森を‥‥‥神樹を守る為の責任を‥‥‥全て自分に押し付け、人間と駆け落ちした者など‥‥‥」
「だから、人間の雄を毛嫌いしているのか」
納得のいく話である。それも五百年も前からとは。いくら時が経とうと、そう簡単に癒えるものではないのだろう。
「そうさ‥‥‥貴様らは嘘つきでケダモノだ‥‥‥大方、カドレの森の精霊も‥‥‥その毒牙にかけたんだろう?」
「酷い言われようだ‥‥‥」
しかし、無理矢理《闇の婚姻》を行なってしまっている手前、あながち間違ってない気もするので反論はしなかった。
「そして私も‥‥‥用が済めば貴様らケダモノの性欲を満たす為に‥‥‥あんな事やこんな事をするに‥‥‥違いないッ!」
「おいおい‥‥‥」
うっすい胸板を背中に当てといて何をぬかしているのかと言いたかったが、他にも敵を作りそうだったので堪えた。
「ところで、あとどれくらいで神樹の元に着くんだ? 二時間くらい?」
「何を言っている‥‥‥歩けば、半日はかかるぞ」
「マジか‥‥‥」
それ程までにこの森は広いのか。本当なら《闇・雷迅》を使ってひとっ飛びで行きたい所だが、今の体調では顕現は難しいだろう。
まだパスは繋がっているのでディーネは無事だが、残り時間が分からない。
「呪いを解く為にディーネを生贄にすると言ってたけど、それには時間がかかるのか?」
「当たり前だ‥‥‥一週間はかかる。それ程までに穢れを祓う魔法は繊細で‥‥‥発動の為の精霊の核を‥‥‥純粋な聖気の塊に変換するのは‥‥‥難しい」
「‥‥‥ディーネを攫ったのはいつだ?」
「一週間前‥‥‥だ」
「歩いてる場合じゃあないな」
ギリギリじゃないか。一日でもカドレの森に来るのが遅れていたらと思うとゾッとする。
「ふん‥‥‥走ろうが何しようが‥‥‥神樹の近くには我が同胞が‥‥‥侵入者を排除する為に待ち構えておる‥‥‥間に合わんさ」
「いいや、間に合わせる。もう一度聞くが、神樹がある方向はあっちなんだな?」
「そうだ‥‥‥それが何だ?」
方角を再確認され、ウンザリ気味に答えるエリシュにシグは満足そうに頷いた。
「それが分かれば充分さ。すまないが、まだ付き合って貰うぞ」
歩みを止め、皆を集める。あまり時間がない事と、少し無茶をする事を伝えた。
「それじゃあ、皆はもう慣れた空の旅だ。今日は新しいお客さんもいるから一緒に楽しんでくれ」
「やたー!」
「お、おー」
「だ、大丈夫なんですか?」
三者三様の反応。クナイは単純に嬉しそうに。その背中にいるマナも同様か。ルナリスはシグの体調を心配していた。
「ああ、大丈夫さ。任せてくれ」
「‥‥‥はい」
何が始まるのか全く分からないエリシュだけが困惑を示した。
「何を‥‥‥する気だ?」
「それは見てのお楽しみ、さ。ーーーいくぞ」
身体は悲鳴を上げ続けている。それでもやらなくてはならない。
影を広げる。聖なる森を犯す、黒い黒い影が四人の足元を固める。
ぬらり、と現れるは一振りの剣《闇・雷迅》だ。
「ヅッーーー」
激痛。いつもなら苦もない顕現も、コンディションが最悪の状態では安定して取り出すのも一苦労だった。それでも固定し、取り出す。
「くっ‥‥‥やる、ぞ。掴まってくれ」
剣を深く深く地面に突き立てる。その上に立つシグ、その背には既にエリシュがいる為左肩にクナイが右手だけでマナを支え、器用に左手でしっかり掴んだ。
「え、えいっ」
ぴょんっ、と右肩へと飛びついたルナリスを影で補佐し、固定。全員を影でぐるりと巻きつける。
準備は出来た。魔力を剣に注ぎ込む。やはり辛い。全ての動作が重く痛みを伴う。油断すれば一瞬で砕け散りそうだ。
「がん、ばれ」
「‥‥‥ああ、頑張る!」
ビキビキと、膨大な魔力が押し込められた剣と鞘が反発し罅割れていく。その崩壊が始まるほんの刹那前に、影による鞘と鍔の抑えを解放する。
「ーーー抜刀!」
森を大地を大胆に破砕させ、五人は超電磁抜刀の反動により空へと吹き飛ぶ。
「んのぉッ⁈」
初めての空への飛翔にエリシュから悲鳴が上がる。他の面子は慣れたものだ。
「バ、馬鹿か貴様ッ! なんて事を!」
森林大破壊と唐突な空の旅に罵倒が飛ぶがそれを聞く余裕は今のシグにはなかった。向かい来る空気の圧力から皆を守る為に影を維持し続けなければならないし、着地の衝撃を受ける準備もしないといけないのだ。
「方向は、大体合ってたな」
シグ達が飛ぶ先、眼下に止め処なく広がる森林の中で、一際大きな大樹が目に入った。
まだ距離は遠いがそれでもそれが神樹だと、知らなくても分かる程に巨大で、そして淡く光を放っていた。
「少し、足りないか」
いつもよりも超電磁抜刀の威力に勢いがなかった。その為このままでは神樹とは離れた位置に落ちそうだ。
それでも歩くよりは遥かにショートカット出来た。落下して三十分もせず辿り着けるはず、そう頭で計算していると唐突に声が、風切り音でうるさいはずの飛翔中にもかかわらずだ、シグ達に聞こえた。
『ーーーまた空から来るとは、馬鹿の一つ覚えよのう。同じ手が通用すると思わぬ事じゃ、魔の輩共めが』
「だ、誰だ⁈ どこから?」
周囲を見渡しても自分達以外に人影などありはしない。風景はグングンと後ろに流れていくばかり。
「こ、この声‥‥‥まずい!」
背中から同じく聞こえたのか、エリシュの切迫した声。そして再び正体不明の声の主が告げた。
『我が聖域を犯す俗物どもめ。この森を穢した代償を払ってもらおうか。ーーー滅せよ、《崇めよ神の後光を》』
「な、何だ‥‥‥光?」
目指す方向、神樹の位置に光が生まれた。眩いそれをそれでも目を細めながら見定めた。
「魔法陣⁈」
遠近感が狂う程に、それは大きな魔法陣だった。背後にある神樹と同じくらいに巨大な円が宙に生成され、廻り輝きを強くしていく。
「《闇・雷迅ーーー顕現》ッ!」
本能的にシグが再度剣を取り出した。思考する暇も悩む暇も、ない。とにかくがむしゃらに身体は動いた。
取り出した剣に怒涛の勢いで魔力充填を開始したと同時に、前方の魔法陣もまたその力を発した。
世界が白く染まる。正面から見ていたシグ達にはそう思えた。横から見る事が出来れば、それが巨大な魔法陣から放たれた、巨大な光の柱だと分かっただろう。
圧倒的な大きさと避ける暇など無い速度で、光はシグ達のいた場所を飲み込み、そのまま空へと突き抜けた。