#62
暗い螺旋状の階段を、ランタンの明かりのみでゆっくりと下っていく。
ここは王都のとある屋敷の地下へと続く階段。抉られた右の眼は眼帯によって覆われていた。残る左眼はランタンの明かりを映し燃えているかのよう。
階段が終わる。開ける視界には広い広い部屋があった。手前が鉄格子によって隔たれている。それに近寄り、幽閉されている者へと声をかけた。
「どうだ、落ち着いたか?」
「‥‥‥あぁ、そうだな、クソみてえな気分だぜ、ユリウスよぉ」
部屋に辿り着く前には匂いで気づいていたであろうフェンリ・ノズゴートが仰向けに寝転がったままそう答えた。
「お前も最高に気分が良さそうだなぁオイ。新しき王への就任おめでとう。まんまと花嫁攫われたユリウス・ディエライト国・王・様?」
「‥‥‥ふん、腹に据えかねているのは貴様と同じさ」
互いが互いに殺意をぶつけ合いながら、それでも淡々と言葉を交わす。
「んで? ここに来たって事はうちの謹慎が解けるって事かい?」
上体を起こしニヤニヤと笑うフェンリに、鼻を鳴らしユリウスは本題を告げた。
「大変な時期に更に厄介事をしでかした貴様に、協力して貰いたい事がある。まだ貴様を出せはしないが、お互いに利のある事だ」
「アァン? んだよ、やっと出れると思ったのによぉ。お前の事だから速攻で王女様取り戻しに軍隊出すかと思ったぜ」
出れないと分かり不貞腐れ気味に再び横になり背を向けるフェンリ。
「そのつもりだったがな。さすがに今の国勢で外に大規模な武力は出せないと会議で猛反対にあった。私は王としてここを離れられんしな」
「ケケケッ、そりゃごしゅーしょーさま」
ひらひらと手を振り心にもない慰めを行う。それを見下ろしながら、ユリウスは懐からあるモノを取り出した。
「なので、計画を前倒しにする。兵力増強の実験に協力してもらうぞ、フェンリ・ノズゴート」
「‥‥‥へぇ」
それを見て顔が変わる。獲物を前にしたかのように口角を開き、ギザギザの歯を嬉しそうに剥き出しにした。
ユリウスが手にしているのは果物の実のようなモノ。丸く赤い果実には痣のような紫の染みが不気味に渦を巻いて浮かんでいた。
そしてフェンリはこの部屋へと向かう螺旋状の階段に、新たな匂いが、哀れな被験体となる多数の奴隷供が運ばれてくるのを感じ取った。
ひっ、とルナリスが短い悲鳴を上げた。
その悲鳴が終わらぬ内に、シグの刎ねられた首は何事も無かったかのように戻った。
「‥‥‥いきなりな挨拶だけど、理由を聞いても?」
殺されたにもかかわらず落ち着いた様子でそう尋ねるシグに、シルフィは表情上はホワホワとした笑顔で答えた。
「え〜、前にもちゃんと言いましたよね〜? お姉様を悲しませる者には〜、容赦しないって〜」
そう告げ、こちらを見る瞳は一切笑っていなかった。冷たい、殺意の篭った眼光。
「ディーネは、どこに?」
「ッ!」
あからさまな敵意に、臆する事無く質問を繰り返すシグ。シルフィからの圧迫感は増え、背後にいたクナイやルナリスすらそれに身震いした。
「‥‥‥あなたに教える必要が?」
「此処には、いないんだな。何があった?」
シルフィの周囲に風が渦巻き、鋭い風切り音が鳴る。放たれれば今度は首だけでなく全身が千切りになるであろう。
「教えてくれ、シルフィ」
だが、それを見ても一歩も引かないその様子に、シルフィが遂に折れた。
「‥‥‥はぁ〜、なんだか〜、随分と図太くなられたようで〜。とりあえず〜、さっきの一殺で〜、ここは引き下がりますよ〜。も〜、生意気〜」
風を消し、いつものような掴み所のない表情でふわりとシグに近づいた。そして悪戯っぽく微笑む。
「お姉様は〜、ここにはいませ〜ん。誰かさんの〜、せいで〜す」
「‥‥‥詳しく話してくれないか?」
「お姉様が〜、誰かさんの為に〜、分身体の方に〜、意識を集中した隙に〜、あのド腐れエルフ共が侵攻して〜、お姉様は〜、攫われました〜」
ふざけたような喋り方だが、そこには確固たる怒りが込められていた。その矛先は目の前のシグと、話に出たエルフだ。
「攫われ、た? 何故? 何の目的で?」
「そんなの〜、私が知るわけないし〜? まさか〜、あんな大勢で侵攻してくるなんて〜、前代未聞? 半分はバラバラにして〜、森の肥やしにしましたけど〜、残り半分がその隙に〜、お姉様を攫ったって感じ〜」
さらっと物騒な事を言うシルフィ。二人が会話をする後ろではマナ達三人が話し合っていた。
「エルフって何っスか? 食べ物っスか?」
「明、らか、に、違、う」
クナイのトンチンカンな疑問に、ルナリスがゴホンと咳払いしエルフについての講釈を始めた。
「あ、あのですね、エルフというのは私達と同じ人間に近い姿をしていますが、耳が長いという特徴があります。また、大自然の加護を受けている神聖な種族で、聖属性の魔法の扱いに長けているそうです。王国にある聖武器などの材料となる神樹の元に暮らしているとされています」
「おぉ、なんかすごそうっスね。ルナリス殿、物知りっス」
「ほう、詳、しい」
ルナリスは二人に褒められ頬を染め照れた。あまり褒められ慣れていないのだ。
「えっと、ご本で少しばかり。それ以上の事は分かりませんが。私としては、シグの身体がどうなってるのかの方がこの間から気になってますけど」
「また、今、度」
ひっそりと話を盗み聞きしていたシグの胸元へと顔を寄せ、妖艶に見上げるシルフィ。しなだれかかるようにその身を預ける。
「こうなった責任〜、どう取るつもりですか〜? 私〜、結構ブチ切れちゃってますよ〜?」
胸元に置かれた手が蛇のようにするりと首へ。ぎゅっと締められ、爪が皮膚にめり込んだ。
「ッ‥‥‥もちろん、ディーネを取り戻す。そのエルフ達は何処にいるんだ?」
覗き込まれる瞳の奥で、お前にそれが出来るのかと問うていた。逸らすことなく見返し続ける。
「‥‥‥あのド腐れエルフ共なら〜、この森よりももっと南方の〜、セイルクの峡谷の〜先。神樹の元にある聖域ですよ〜」
「そうか。ありがとう」
首元の手を掴み外す。それをそのまま胸元まで下ろし、強く握った。
「誓おう。必ずディーネを連れて戻る」
「‥‥‥ま〜、私までこの森から離れると〜、大変な事になっちゃうので〜、結局あなたに頼るしか〜、ないってのが腹立たしいんですが〜」
こちら以上の力で握り返すシルフィ。誰よりもディーネを愛している彼女だからこそ自分が何も出来ないのが悔しいのだろう。
「本当に‥‥‥あなたを信用していいんですか?」
「ああ、任せてくれ」
俯かれた彼女の口から出た弱々しい言葉。それにはっきりと答えた。今のシルフィと自分の気持ちは、ディーネを思う気持ちは同じはずだ。
こちらの決意に呼応するかのように上げられた顔。それは自分の願いを他者へ託す者の表情だった。
「分かりました。お姉様を、お願いします。そしてあのド腐れエルフ共をどうか皆殺しにして下さい」
「‥‥‥後半は聞かなかった事にさせてくれ」