#59 ヴィストリアハート
その魔装からは、大きな魔力も、本能に訴えかける危機感も、何も抱かせなかった。
だからこそ、相対する七王剣の面々はその不気味さに動けずにいた。
反対に、シグは一歩進む。その時になってようやく彼らは行動を開始した。
「やるぞお前達! 《聖槌第二解放》!」
「分かりましたぁ! 《聖刀第二解放》!」
キリエの声をキッカケに、手負いのクロウも動き挟撃する。
正面からは大槌が、背後からは刀が、共に力を解放し聖なる翠の輝きを放ちシグへと叩き込まれる。
「《轟雷撃滅・大円蹄》!」
「《妖艶惑え百輝夜光》!」
その二撃を、避けも防ぎもしなかった。
何もせずとも、大槌も刀も、シグには届かない。見えない何かに阻まれるように、二人は動きを止めた。
「何だッ⁈ 結界魔法⁈」
「いや違います! 魔法じゃない!」
無理矢理押し進めようとするキリエとクロウに、《漆黒の花嫁》が振るわれる。短い刀身が彼らに届く事はない。それでも、軽いその動作だけで二人は吹き飛んだ。
「ガッ⁈」
「うっ!」
邪魔がいなくなった為、また一歩進む。
「‥‥‥《光縛の円輪》」
ナフサが聖典による束縛魔法を発動させるが、その魔法が現れる事はなかった。その様子を見て頭をかく。
「ふむ。解放しても無理そうじゃの」
ナフサは攻撃を諦め、来賓を守る為の結界維持に力を入れた。
シグがもう一歩進む。
「行かせん」
その歩みを塞ぐように、ギルバートが聖盾を手に目の前へと身を投げた。
「《聖盾第二解放・我が氷壁は不破にして絶対》」
翠の輝きを纏い、氷の壁が横一列にそびえ立ち進路を閉ざす。
それを目にしても歩みは止まらなかった。
「邪魔だ」
上段から振り下ろされる《漆黒の花嫁》。やはり氷に刃は届く事なく、それでもその一振りで氷壁が、その背後にいたギルバートごと吹き飛ばした。
「ぐぉッ!」
先の二人と同じく倒れ臥すギルバート。
進む。何者をも意に介さず、シグは進む。
ハラリと、《漆黒の花嫁》の柄に飾られた花弁が一枚、二枚と落ちて消えた。
「‥‥‥何だ、その魔装は。如何なる力だ、ソレは!」
残る唯一の騎士ユリウスは、叫び聖槍と共に突撃をかけた。
「《聖槍第二解放・暴略の嵐突穿》!」
小型の嵐を纏わせた聖槍の貫き。その先端に合わせるように《漆黒の花嫁》の切っ先が向けられた。
落ちる花弁。怒涛の勢いで突撃を仕掛けたユリウスの身体は、その槍は、届く事なく動きを阻害された。
「こ、これは‥‥‥闇の力では、ない⁈」
「邪魔をーーーするなッ!」
切っ先を動かす事なく、睨みつける、それだけでユリウスの身体は簡単に宙を舞い壇上にあった十字架まで叩きつけられた。
「ぐッッッ⁈」
花弁がハラハラと舞い落ちる。最早残りは一つのみ。
圧倒的な威力で七王剣の面々が倒される。それが何故かも分からぬまま。
彼らでさえ、シグの持つ魔装がどのようなモノであるのかを理解出来なかった。
シグの生成した魔装は通常のそれとは大きく異なる。炎や水、聖や闇などの基本的な属性魔法を有するモノとは根本から違っていた。
それはシグの抱く《不変》の愛と、それを誰にも触れさせない《拒絶》がカタチとなった《概念魔装》である。
故に《漆黒の花嫁》を顕現させている間は、シグを害する事は出来ず、邪魔立ても、触れる事すら許されない。
また、《漆黒の花嫁》の《拒絶》の概念に触れた者は、一定時間行動不能となる。
最後の花弁が落ちる。それに合わせて《漆黒の花嫁》も、まるで幻であったかのようにその姿を消した。
「ーーールナリス」
壇上に上がるシグ。それに向き合うルナリス。慌し過ぎる状況に対し混乱する彼女に、問いかけた。
「俺は、君を助けたい。君がそれを望むなら。ここから君を、俺は連れ出せる」
「‥‥‥わ、私、はーーー」
未だ思考が正常に回らないルナリスを、力強い声で引き上げる。
「君の、望みは何だ?」
真っ直ぐに向けられた瞳。色は変わろうとも、その目に、その表情に、彼女は見覚えがあった。
胸元に隠すように着けていたペンダントを取り出す。古く錆びた安物のペンダント。でも、ここからいつか飛び出せるかも知れないと、期待が込められた羽のペンダント。
それを握りしめて、彼女は何年振りかの本心を叫んだ。
「私はッ! お姉様の代わりじゃない! 私はッ私ッ! 誰も私を見ていない、誰も本当の私を必要としていないッ! 私は、お父様も、ユリウスも、この城にいる人たちもッ! 私が憧れたラグナス様を、その家族を貶めたこの国の人達が、大っ嫌いッ!」
聖堂内に響くルナリスの独白。それを静かに、シグは聞く。
「だからーーー私をッ! この城から、この国からーーーこの檻から連れ出してッ!」
「ーーー分かった」
内に秘めていた全てを吐き出したルナリスを抱き寄せる。壇上にはもう神父もいない。十字架も地に落ち崩れた。
だから、この誓いは決して神へのモノではない。
「その願い、叶えよう。これは、俺と君のーーー契約だ」
一人味方もなく、孤独に耐え続けた彼女を強く抱き寄せる。笑顔を忘れた彼女の顔に、シグがゆっくりと近づく。
「んッーーー」
これは誓い。誓いの口づけ。《闇の婚姻》は成された。
ーーーこの国に、私という存在は、ただ王の娘であるという価値しかなかった。
その価値も、優れた姉の前には無価値も同然。
素晴らしい姉の付属品。みなが向ける笑顔は、フェイリス姉様の妹、という肩書きに向けられたモノ。
それを残念に思った事はなかった。
姉様が戦争で結晶に閉じ込められてしまうまでは。
そこから私の地獄が始まる。聖唱者としての才能もなく、ただ王族であるだけのお飾り。
そんな私に皆は優しくしてくれた。
優秀で、誰からも愛された姉様を失った妹として。
誰も私を見ない。誰も私に期待などしない。
実の父親でさえ、姉様がいなくなってから私に話しかける事すらなくなった。
私は、姉様がいたから優しくされていた。姉様のおこぼれに預かっていただけだ。姉様がいなくなっても、それは変わらなかった。
私を、私として見てくれたのは姉様と、ラグナス様、そしてーーー
『また、きみと遊びたいな。つぎは、もっと楽しいとこに連れてくよ。これ、やくそくのかわり』
お祭りの日。お姉様と城から抜け出し、はぐれてしまったあの日。
男の子がくれた、約束の代わりの羽のペンダントは、とてもキラキラと輝いて見えた。
『‥‥‥はいっ!』
「‥‥‥シ、シグ」
潤んだ瞳で、こちらを不安げに覗くルナリス。
その不安を吹き飛ばすように、はっきりとシグは告げた。
「行くよ。しっかり掴まってくれ」
「‥‥‥はいッ!」
ルナリスを抱え走る。誰も止められる者はいなかった。
抱き抱えられたルナリスの視線が、遠くなる壇上へと、その側に座したままのラゴラス国王へと、父上へと向けられた。
「‥‥‥‥‥‥」
ラゴラスの口が小さく動いた。声など聞こえない。だが何故だろう。その呟きがはっきりとルナリスの耳には聞こえた。
『幸せになれ』
ラゴラスの口と目が閉じられ、もう二度とルナリスを見る事はなかった。
「お父様ッ‥‥‥」
大聖堂を飛び出す。シグの手に新たに顕現するのは、ここに来る為に使った《闇・雷迅》だ。
地面に深く突き立てると、あとは最初の焼き回しだ。影で固定し、魔力を充填させる。
「君をこれで包む。怖いだろうけど、大丈夫だから」
「はい!」
人間であるルナリスの身体を発射の衝撃と風圧から守る為に、彼女を影で包み込んだ。
「《闇・雷迅》、抜刀!」
着地の時点で酷い有様だった大聖堂前が更に崩壊する。城内の景観を犠牲に、彼らは飛び立った。
「ーーー逃がすかァァアッ!」
それに遅れて、誰よりも早く行動不能状態から無理矢理回復したユリウスが聖堂から飛び出し、素早く高台へと移動した。
「《聖槍ッ第三解放ッッッ》!」
聖槍がギギギと悲鳴をあげ、表層に亀裂が入る。その合間から覗くは翡翠の如き宝石。輝きは増しに増し、同時に荒れ狂う嵐が槍から生じ、廻転する。
「ユ、ユリウス様⁈ その力ではルナリス様を巻き込んでしまいます!」
配下の者が近寄り、そう進言するがもうユリウスには聞こえない。
「《暴豪嵐のーーー」
腰だめに大きく構えられた聖槍が、その暴力的な威力を発する、その一瞬前に。
彼方から飛来する一迅の矢が、ユリウスを襲った。
「何ッ⁈」
発動しようとした技をキャンセルし、嵐の鎧を纏う。だが、急造の鎧ではその剛射は完全には防げなかった。
嵐を切り裂き、その矢はユリウスの右目を抉り取った。
「ーーーガッ⁈」
滴り落ちる血を抑えながら、矢の飛んできた方向を残った目で睨みあげる。
不完全とは言え、嵐の鎧を破り、超長距離からの狙撃を行える射手など、この世に一人しかいない。
「‥‥‥ジュゥディエムゥゥゥウ!」
ユリウスの怨嗟の声が木霊した。
国内、だがその外れ。城壁の近く辺境の地より高台に潜む元七王剣ジュディエム・シューティー。
その左手に収まる聖弓エルターヴァが剛射の余波で翠の光を散らす。
矢を放った肉体ではない鉄の右手は、蒸気をあげ歪にあちこちが折れ曲がっていた。
「あちゃー、たった一発本気出しただけでこれかぁ。また小人族んとこ行かないと。‥‥‥これでこの腕の事は一応チャラにしてやるよ、ユリウス」
身支度を整えると、即離脱しようとするジュディエム。
遥か空に飛翔する弟的な彼を見上げ、そしてその下から猛烈な勢いで追いすがる赤羽を確認した。
「あー、手伝えるのはここまでだぞシグ。後は何とか頑張れ!」
そう言い終わるのと、空に登る流星と地から這い出る赤羽が追いつくのがほぼ同時だった。
「オイオイオイオイオーーーイッ! そんな小娘より、うちと楽しく遊ぼうぜぇ同類よぉッ!」
辺境の地より飛翔し続けていたフェンリ・ノズゴートは、王城より飛び立ったシグの姿を確認するや否や即追いかけ、声の届く距離まで近づいていた。
「クッ‥‥‥こんな所までッ!」
「ハッハァー! 二度も三度も逃がすかこのボケナスがァァア!」
迫る狂獣。大きく開かれた血の翼は今にも血の槍を放ちそうだ。
「サァ、狂おしい程愛し合おうぜェェェエオイコラァァア!」
バキバキに硬く硬く固められた《鮮血の串刺公》を向け、勢いよく飛び込んでいくフェンリ。
今の状態はシグにとって非常にマズかった。
強力無比な《漆黒の花嫁》は、その力故に再顕現出来るまでに時間がかかる。
また、他の魔装や武器も、ルナリスを抱えたまま戦うには危険過ぎた。斧は炎で巻き込むし、毒剣も少しでも触れればアウトだ。そもそも近接戦が出来ない。
なので、シグが戦いで得た魔装や武器は使えない。つまり、向かい来るフェンリを打倒出来ない。
影のローブに包まれたルナリスが、隙間からシグを仰ぎ見る。
「‥‥‥シグ?」
こちらの焦りが伝わってしまったのか、心配そうな顔をするルナリスに、シグは笑って答えた。
「ルナリス。大丈夫。君の力、借りるね」
「えっ?」
この半年で得た魔装や武器は使えない。
だが、この二年と少し、いや‥‥‥持っていても全く使えなかった武器が、まだある。
「行くぞオラァァア!」
懐から、影に掴まれて取り出される古い一振りの、剣。左手でルナリスを抱えたまま、右手でそれをしっかりと握った。
一つ、深い深い息を吐く。手から伝わる魔力が、剣に伝わる。
今までは白い光しか発さなかった鞘が、美しき翠を、ルナリスの瞳と同じ翠の光を輝かせる。
鞘と噛み合うように固定されていた龍の口を模した鍔が、外れる。
影に掴まれた鞘から、今までいくら力を入れても抜けなかった刀身が、ようやくその姿を現わす。
その刀身は、全貌を見せる前から、少し鞘から抜かれただけで眩い黄金の輝きを放った。
「ッ⁈ テメッ‥‥‥それ、は!」
黄金の光は、それだけで魔なる者を退ける。
「ウォォオオオオ! 聖剣ッ抜刀ッッッ!」
亡き兄、ラグナスが魔王との戦いに用い、死して後ジュディエムが隠し持ち、シグナスへと渡った聖剣。
抜かれし黄金の刀身は夜闇を払い、聖なる光を王国全体へと照らした。
その名は、聖剣ヴィストリアハート。王都の名の元となった王国の源。また、七王剣の持つ聖武器の原点にして頂点。全ては、これを模して作られた。
その解放の条件は単純。王国の、王族の恩寵を受けし者のみがこの剣を引き抜く事が出来る。俗に言う、王国から勇者の称号を与えられし者、のみが。
「《聖天の光よ遍く全てを照らし救え》!」
黄金の光が拡大し、それを持つシグすら包み込む。魔族の身体に生じる灼けるような激痛を抑え、力の限り振り抜いた。
「やッ、ヤメろォォォオオ!」
突撃の姿勢から一転、その刃の先から逃れようとフェンリは方向転換するが、もう遅い。
王都の半径と同じ長さとなった光剣が、それに比べれば矮小であるフェンリの身体を飲み込み、薙がれた。




