#57
「大変美しゅうございます、ルナリス様」
侍女達の手により着付けが終わる。純白のドレスに花をあしらったベール、王族としての証の王冠。
化粧も施されたルナリスの姿は、同性であろうとも溜息をこぼしてしまう美しさだった。
「‥‥‥はい、ありがとうございます」
その表情に少しばかり陰があろうとも、何ら損なうものは無かった。
結婚式当日。日は沈みかけ、暁が照らす。日が完全に沈めば、式は始まる。
そうなれば、ルナリスは名実ともにこの国の王女となる。次期国王ユリウスの妻として。
コンコン、と部屋の扉が叩かれる。侍女が急いで扉を開け、驚きすぐに頭を下げた。
「入るぞ」
「‥‥‥お父様」
部屋へと入ってきたのは国王ラゴラスであった。
険しい顔なのはいつもの事だ。別に機嫌が悪い訳ではないと娘であるルナリスは知っているが、侍女達はそうもいかない。みな緊張の面持ちをして部屋の端で頭を下げた。
「どうされましたか?」
「特段、何も。ただ、着替え終わったお前の姿を見にきた、それだけだ」
「そう、ですか」
ラゴラスの大きな身体は見下ろされるだけでも威圧感が強い。でも、それだけだ。父上が自分に対して何の感慨も抱いていない事など、とうの昔から知っている。
「うむ‥‥‥綺麗だ」
「ありがとう、ございますお父様」
ギクシャクとした会話に、周囲にいる者達の方が冷や汗を流した。
「‥‥‥ルナリスよ」
「はい?」
「‥‥‥いや、式を楽しみにしている」
そう言ってラゴラスは振り返る事なく部屋を後にした。
「楽しみ‥‥‥か」
ウソつき、と誰にも聞こえない小さな呟きがルナリスからこぼれ落ちた。
「おや、主役がこんな所に居てよろしいのですかな?」
「‥‥‥バヂス翁か」
ユリウスが呼びかけに振り返る。そこに居たのは四大貴族ハイヴェストの当主、バヂス・ハイヴェストだった。
「先日の襲撃事件の件もありますからな。色々大変でしょう」
「何も問題はない。警備の方も七王剣、十二翼が中心となってあたっている。考えるべきは式の後、この国の政策だろう?」
「おっしゃる通りで」
ニヤリと、老人は狡猾な笑みを隠そうともしない。ディエライト家が国の実権を握る、その後。協力関係にあるハイヴェスト家もそれに伴って力を増すのだから。
「例の栽培している実についてですが、一箇所以外はきちんと収穫が終わったそうですぞ」
「そうか。それは喜ばしい事だ。国内に入れ次第、順次実験を始めるつもりだが」
「ええ、その為のモルモットも、既に用意は出来ておりますゆえ」
「助かる。やはりバヂス翁のお力あって、だな」
「いえいえ、これもユリウス殿のお力添えあっての事。おっと、あまり引き留めるのも悪いですな。これからも、共に手を取り合ってこの国を良くしていこうではありませんか」
「ああ。では、私はこれで。実の収穫量については、次回に聞かせてもらう」
「ええ、ええ。それでは」
バヂスに軽く会釈し、ユリウスは歩みを再開した。その後ろ姿を、皺くちゃの顔がニヤニヤと眺め見送った。
様々な思惑を抱えたまま、式は近づいていく。
日は沈み、夜となった。
未だ国外に身を潜めるシグ達。木々の隙間から微かに見える王城。準備は整った。
「行く、の?」
「ああ。準備も、覚悟も出来たからね」
既に取り出しているのは鞘に収まった一振りの剣。妖猿族の森で奪った《雷迅》である。
「ほんとに一人で行くっスか?」
「うん。だから、クナイはここでマナを守っていて欲しい」
「それは、いいっスけど‥‥‥」
不安げな顔も仕方がない。一度痛い目を見ているのだ。それなのに、再び、今度は一人で乗り込もうとしている。誰であれ無謀な行いだと思うだろう。
「大丈夫。何とかなる」
「おぉ‥‥‥すごい自信満々な顔っス!」
勿論だが、根拠などないし、保証もないが。
それでも、今の俺なら出来る。そんな不思議な感覚があった。
「シ、グ。何、か、いい、事、あっ、た?」
「? いや、別に無いと‥‥‥思うけど?」
「そう‥‥‥」
こちらを見上げるマナがチョイチョイと手招きする。内緒話でもあるのか、身を屈めてマナと視線を同じにした。するとマナの小さな両手が両頬を包んだ。
「んっーーー」
「ッ⁈」
ゆっくり、押し当てられる。柔らかなキスだった。
ヒャァ〜〜〜、と騒ぐクナイを尻目に、唇は少しだけ長く触れ合い、離された。
じっと逸らすことなく赤い瞳がこちらを覗く。
しばらく身体全体が固まっていたが、ようやく口が動いてくれた。
「‥‥‥えっ、と、マナ、さん?」
「ちゃん、と、帰っ、て、くる。約、束」
こちらの問い掛けに間髪入れずそう告げた。
表情はやはり変わらない。でもいつもより朱に染まっている気もする。
「約、束」
いつものようで、いつもよりも大きな声量で、マナはもう一度そう口にした。約束だと。
「ああ、分かった。必ず、帰ってくる」
頭を撫でる。小さな頭だ。そして小さな身体だ。そんな小さなマナでも、大きな勇気をくれた。
「それじゃあ、行ってくるよ」
「う、ん」
シグは出発時に起こる余波に巻き込まぬようマナ達から離れて行った。
「はぁ〜〜〜、これが大人ってヤツっスね師匠! めっちゃあだるてぃっス!」
変なテンションになっているクナイに、マナは静かに答えた。
「こう、で、も、しな、いと‥‥‥負け、ちゃ、う、から」
「負ける、っスか?」
「‥‥‥もう、いな、い、人、には、勝て、ない。でも、負け、たく、は、ない」
「よく分かんないっスけど‥‥‥なんかカッケーっス師匠!」
遠く騒がしい二人に手を振り、シグは手に持った《闇・雷迅》を地面に深く突き刺した。
真っ直ぐではなく少し斜めに。傾きが王城に向くように。
更に影を使い、鞘と地面を雁字搦めに固定した。まるで鞘から大きく黒い無数の根っこが生えているかのよう。
そしてその上に、柄の上に器用に登る。同時に鞘と鍔も影でグルグルと固定。簡単に抜けないようにした。
「さて‥‥‥上手くいくといいけど」
昼間にマナから聞いたところによると、五日前から王国全体に、元々は王城にしか張ってなかった異種族感知結界が張られているそうだ。
どうやら襲撃事件を機に本格的に警戒をしているようだ。入国すれば王城に近づく前に即撃退される恐れがある。
そこで、シグが考えに考えた末に決行しようとする作戦がこれだった。
「ーーー《闇・雷迅・重顕現》!」
足元の《闇・雷迅》を更に同一顕現、重ねる事により威力、耐久度、全てを強化。
「ーーー魔力充填開始!」
通常であれば、魔力によって生じた磁力によって刃と鞘が反発し、超光速の抜刀を繰り出すのだが。
影によって無理やり押さえつけられ、溜めに溜められた力が今にも暴発しそうになる。
鞘にヒビが走る。抑えられない力の余波が、地面をも揺らす。
決壊する寸前に、鞘と鍔の拘束を解いた。
「ーーー抜刀ッ!」
解放された力は容易く刀身を、それに乗るシグの身体を宙へと射出した。
その反動で鞘は砕け、それだけでは収まらず地面を揺らし、崩壊させ、地形を変えてしまうほど。
シグの姿はあっという間に豆粒ほどの大きさとなり、地上から登る流星のように王国の方角へと消えていった。
「ひゃ〜、飛んでっちゃったっス! 自分もあれ、やってみたいっス!」
「無、理」
クナイは目を輝かせながら、マナは祈るように手を合わせ、彼を見送った。