#55
燃えろ。燃えろ燃えろ燃えろ。
血の槍が降り注ぐ。大喰いの紅槍が放たれる。
その尽くを灰燼と化す。
「でったらめだなテメェ!」
「来い! もっとだ! もっと寄越せ!」
炎を躱し、通じぬ攻撃を続けるフェンリ。だがその表情は一片の陰りもない。
「ケケッ! ケケケッ! 久々だぜ、こんなに殺し合えるヤツはよぉ! 《古世魔法・紅咲の荊姫》!」
槍を手放し、その手から紅い植物の根のようなものがシグへと伸びる。グルリと囲むとシグの身体を包み込み締め上げた。
「ーーー足りない」
だが、それが保つのも一時。悲鳴のように火を吹き、崩れ落ち灰となる。
「足りない足りない! もっとだ! もっと力を見せろ!」
「っかー! 人のセリフ得意げに奪ってんじゃねーぞコラァァァァァァァァァァアアアアア!」
フェンリは果敢にも近接戦闘へと移行。両手に《鮮血の串刺公》を出現させ、突き立てた。
だが、やはり届かない。
切っ先は、シグの身体に到達する前に溶ける。
「チッーーー」
それでも槍をもう一度修復し、向けようとする。その手を、シグが紅蓮の腕で掴んだ。
「ヅアッツ! 放しやがれこのーーー」
「燃え尽きろ」
手から全身へと炎が燃え移り、フェンリを焼き尽くす。業火に身を焼かれながらも、それでも化け物は笑った。
「イッーーーテェーーー!」
黒焦げになりながらも、掴まれた腕を自ら引きちぎり大きく後退した。
それを追う事はせず、シグは斧を取り出した。
ガキンッ、という金属音とともに斧の中枢が露出する。解放された赤く紅く光り輝く膨大な魔力の球体が燃え上がる。
「ーーー《灼燼の揺光炎》」
空に掲げた斧から迸る業火が小型の太陽を生成する。先程、金剛結界を破壊したものよりも更に威力を増した炎の塊が夜天を照らし尽くす。
「オイオイオイオイ、この城ごと吹き飛ばす気かよ‥‥‥まいったぜ、こりゃ」
引き千切った腕も、黒焦げになったはずの身体も既に元に戻っていた。目の前に現れた対城クラスの魔法に、それでもやはりフェンリは獰猛な笑みを作った。
「まいったなぁ、まいったなぁ‥‥‥でも仕方ねぇよなぁ、そうだよなぁ‥‥‥ここでウチが止めねぇと城壊されるもんなぁ‥‥‥うん、これは仕方ねぇな!」
困ったように呟くも、しかしその顔は全く困っておらず。ギラリと金色の瞳を光らせ、フェンリは己にかけられた枷を外す為の呪文を唱えようとした。
「《真性解放・血脈のーーー》むぎゅッ⁈」
だがそれは背後からフェンリの頭を踏みつけ、地面に押し倒した者に防がれた。
「ーーー誰がそれを許可した。お前はそこで寝ていろ化け物」
「ガッ、て、テメェ人の頭踏んづけといてーーー」
「ウォォオオオオ!」
そんな様子を見ても御構い無しにシグは《灼燼の揺光炎》を放った。触れずとも屋根は融解し、その先に居る二人も同じ運命を辿るはずだった。
「獄熖の真似事か? くだらん。《聖槍第二解放・風王烈界》」
フェンリを踏みつけたまま、血の槍とは違う、白く神々しい槍が聖なる風を巻き起こす。
風の結界は術者を中心に渦巻き、嵐の結界となり向かいくる炎とぶつかる。結果は一瞬で終わった。
「何⁈」
炎は掻き消された。拮抗もせず。それどころか渦巻く風はその範囲を広げ、シグをも巻き込んだ。
「ぐッ⁈ 炎が、剥がされる⁈」
身体は元に戻り、斧に燻っていた炎も打ち消された。借り物とは言え元六輝将の技をこうも簡単に消し去ろうとは。
「お前は‥‥‥誰だ⁈」
ゆるりと槍の切っ先をこちらに向け、興味なさそうな瞳がシグを捉えた。
「私を知らぬとは、はぐれ魔族か? まあいい。我が名はユリウス・ディエライト。貴様ら魔族を殲滅し、大陸を統一する者だ」
その名前に少なからず衝撃を受ける。
妖猿族の森で怪しげな実を栽培させ、ルナリスと婚姻を結ぼうとしている、元七王剣にして次期国王。
「ーーー消えろ。《嵐旋なる殲槍》」
「はやッ」
一息に懐まで詰めたユリウスの聖武器が、翠の輝きを風とととに渦めかせ、シグへと突き刺さる。
聖槍テンペスニール。纏し聖なる嵐は魔なる者を圧倒的な威力で打倒する。
「ォォォオオ⁈」
槍は貫いただけでは止まらない。回転する聖風がシグの身体を勢いよく吹き飛ばす。槍の先から噴出される嵐は、それ自体が槍の延長。
シグは嵐に引き千切られながら、城から大きく飛ばされた。
「ここを壊す訳にはいかないからな。《竜王の聖嵐籠》」
遠く遠く、真下に大剣覇祭で使われた闘技場が見える位置で、シグの身体を貫いていた嵐が拡大し、包み込む。
「アッーーー」
嵐は球体となり、内部に閉じ込めた者を怒涛の真空波で切り裂き続けた。
夜空に浮かぶ雲々をも吸い取り、巨大に渦巻く鮮烈な嵐の檻。閉じ込められれば逃げる術はない。
シグの身体はいくらダメージを負っても《不死者》の力で元に戻る。だが、今回は違っていた。
「ぐッ⁈ 身体がッーーー」
回復が遅い。爪が、指先が、手首が、足首が、膝下が、身体はどんどん裂かれ小さくなっていく。
何が起こっているのか。考える暇もない。意識すら引き裂かれていく。
「バカッ! 聖属性の攻撃よ! 早く抜け出ないと死ぬわよ!」
「ディ‥‥‥ネ‥‥‥」
仮面は既に剥がされた。眼球すら切り裂かれ、暗くなる世界に、ディーネの叱責が微かに聞こえた。
「マズイ‥‥‥パスが切れかけてる‥‥‥マナ、もう少し頑張って!」
シグの胸に刻まれた《闇の刻印》が危機に対して弱々しく明滅し、それに合わせて瞳の色も赤が薄まっていった。
「ヅッーーー」
「し、師匠⁈ 大丈夫っスか⁈ どうしたっスか⁈」
既に国外へと移動していた二人。レストニア王国の城壁が小さく見える位置で、突如胸を押さえ苦しむマナに、クナイがあたふたした。
「だ、大丈、夫」
「ほ、ほんとっスか?」
「う、ん。‥‥‥パス、は、絶、対に、切れ、させ、な、い」
マナの持つ赤の瞳が強く輝く。遠く離れたシグへとその力が流れていく。だが、このままでは時間の問題だ。
《闇の刻印》によって得た膨大すぎる力は、人間であるシグの肉体では耐えられない。それを防ぐための《不死者》の力だ。
しかし、聖属性の攻撃により《闇の刻印》の力が弱まる事で必然的に《不死者》の力も薄れてしまう。
このままでは拮抗状態が崩れ、シグの身体は外側からも内側からも崩壊が始まってしまう。
「ディ‥‥‥ネ‥‥‥おね、がい!」
遠くで共に戦う、心同じ者へと、マナは叫んだ。
「‥‥‥全く、計画性がないからこんな無謀な事して酷い目に合うのよ。少しは自重しなさい」
既に意識が薄れているシグへと、本心からの言葉を投げかける。
「まあいいわ。そんなあなただから、あの子も頑張ってる。また悲しませる訳にはいかない、でしょう?」
暗い暗い嵐の檻の中で、何か清らかな、淡く青い光が見えた気がした。
「この半年間、楽しかったわよ。森にいるだけじゃ見れない、感じられない、沢山のものを経験出来た」
最初は粒のようだった光が大きくなっていく。ちょうど人型くらいにまで、青い光がシグを包み込む。
「だから、これで貸し借りは無しよ」
唇に何かが触れた。優しく柔らかい何かは、そのまま体内に流れ込んだ。
「私にここまでさせたんだからねーーー最後まできちんとやり遂げなさいよ」
「ディーーー」
身体が満たされる。まるで暖かい水中に沈むよう。そこでシグの意識は途絶えた。
「《儚き泡沫の抱擁》」
嵐の勢いが弱まっていく。内部に閉じ込めた者への攻撃が、水の魔法によってその威力を吸収されているのだ。
遂に晴れる。消え去った暴風の後には、水泡に守られたシグと、それを抱える一人の少女の姿があった。
「風を無効化しただと? 一体どこから現れた?」
「邪ッッッ魔ダァァァァア! うちの! 獲物ォォォオオ!」
突如現れた謎の人物を分析しようとするユリウスの背後から、猛烈な勢いでフェンリが飛び立った。
「逃さねぇぞオイコラァァア!」
「‥‥‥吸血種の小娘か。誰に牙を向けている」
水泡の中、ディーネが弾丸のようにこちらに飛翔するフェンリへと手の平をかざす。
「アァン⁈ この気取った匂いはーーー」
「"哀れなる死の使者よ 清らかなる流れに逆らう能わず 汝の還るべき場所へと還れ"
ーーー"聖龍の大海波"」
空中に、本来あるべきではない水が、海が現れる。新七王剣のデュラメスが操るモノとは規模が大きく違う津波の如き水の龍が、巨大さには似合わぬ俊敏さでフェンリをその顎で捉えた。
「が、ァァア⁈ せ、聖水⁈ ま、マジいマジいマジい! ユリウスッ!」
炎で焼かれても平気であったフェンリの身体が、聖水によって爛れ落ちていく。
「チッ、世話を焼かせるな!」
聖槍から風の刃を迸らせ、水の龍の首から下を裁断した。それでも全身に聖水を浴びてしまったフェンリは、残った水龍の頭と共に勢いよく屋上に叩きつけられ、転がり苦しんだ。
「イッデェッッッ! イッッッデェヨオイィィ!」
苦痛にもがき苦しむフェンリを全く無視して、敵の様子を伺う。
見れば水泡は、雨のように無数に分離し、城下町に降り注いでいた。
「‥‥‥チッ、分裂させたか。追うのは無理だな」
槍を収め、未だ転がり続けるフェンリを足で止めた。
「なるほど、精霊の力か。これ程の芸当が出来るのは、カドレの森の水精霊と言った所か‥‥‥ならば、あの魔族は半年前の‥‥‥」
思案するユリウスの足元で、力の限りフェンリが咆哮した。
「オイィィ! 人を踏みつけて何納得してんだコラァァア! さっさと血を寄越せオラァァア!」
醜く爛れた肉体と相まって、その姿はまさに化け物に相応しかった。だがそんな姿に臆する事もなくユリウスは吐き捨てた。
「何が人を、だ。無差別に城の者を襲われては敵わん。奴隷を集め終えるまでそのまま我慢していろ」
「クソッ! クソクソクソッ! あのババアぜってぇぶっ殺すッ!」
「‥‥‥ババア? ああ、アレの方が年上なのか。大して変わらんだろうに」
フェンリを搬送する為の人員を待ちながら、先程までの騒々しさが嘘のように消えた城の屋上で、消えた魔族についての対策案を既に考え始めていた。
川を伝い、気を失ったシグを国外へと運び終えたディーネ。こちらの動きを察知したのだろうマナがクナイに抱えられ、双方川辺で合流を果たした。
「シ、シグ殿死んじゃったっスか⁈」
「縁起でもない事言わない。まあ似たようなものだけどね」
「ディー、ネ‥‥‥」
川辺にシグを横たえたディーネの姿が薄くなっていく。核となっている青い宝石は全体がヒビ割れ、今にも崩れそうだ。
「さすがにこの小さい容器じゃ保たなかったわね。そんな顔しないの。私は別に平気。ただ、あなた達を最後まで見届けられないのが残念ね」
珍しく、マナが口を開けたり閉じたりを繰り返す。何を言おうか迷った末に一言、告げた。
「‥‥‥ありが、とう」
「ふふ、どういたしまして。シグがいつ眼を覚ますか分からないから、クナイ。二人をよろしくね」
「りょ、了解っス! ディーネ殿ぉ‥‥‥!」
はいはい、とクナイよりも少し大きなディーネの手の平が頭に置かれた。それが済むと、そっと、ディーネの手が眠るシグの頬を撫でた。
「それじゃあね。せいぜい頑張りなさい」
パキッ、と乾いた音と共に宝石は細かく砕け、サラサラと粒子となり風に乗って消えた。
もうそこに、ディーネの姿は無かった。