#53
眼前で炎が見えない壁にぶつかり、弾ける。炎は消えたが、代わりに見えなかったはずの結界がひび割れ揺れるのが知覚出来た。
城の外、城壁に垂直に立ち、斧を再び構える。
「シグ! もう一発よ!」
「ああ! 《灼燼の揺光炎》!」
《闇・煉獄の轟斧》から繰り出された二発目の炎球が上空の金剛結界にぶち込まれ、今度こそ破壊した。
「よし!」
「ぼけっとしない! すぐ敵が集まるわよ!」
そう叱咤し、ディーネはシグの影と《魂身分離》を使い、ダミーを増やした。
城内の上層部へとシグとその偽物達が雪崩れ込むように侵入を果たす。
「やっぱりディーネはすごいな。こんな数の分身を同時に動かせるなんて」
「ふん、当たり前でしょ。もっと褒めなさい」
クナイの帰還から間を開ける事なく、シグは王城へと侵入することを決めた。
まだ騒ぎが収まらず、警戒もされてはいるが、それでも日を置けば混乱も収まり、警戒も強くなるだろうという考えからだった。
「でも、さすがにレベルが上がってるわね。分身の消滅が早い‥‥‥もっと数増やすわよ。あと、操作に集中するから少し留守にするわ」
「分かった。頼む」
そう言ってディーネはペンダントの中に潜り黙った。シグでは一体の分身操作でも頭がパンクしそうだったが、それを五十以上も操れる技量はさすがは精霊といったところか。
「西の塔、だったな」
分身による混乱に乗じて、シグは目的である塔へと向かった。
「‥‥‥《静謐の氷牙》」
ギルバートの持つ聖武器、聖盾フロストバクトゥムによる氷魔法が侵入者達を貫き、消滅させる。
廊下は凍土のように気温が下がり、そこらかしこが静かに凍りついていた。
「次から次へと湧いて出るな。だが‥‥‥」
明らかに弱すぎる。おそらくは陽動。それが分かっていてもギルバートはここを動けない。今回は背後にある王国の財が格納された部屋を守護する役割だからだ。
「何が目的だ‥‥‥魔族ならば王国の転覆か?」
しかしそれにも違和感がある。言い様のしれない、違和感。
先程獄熖の悪魔の魔力反応が出たにもかかわらず、戦局はとても静か。更に金剛結界が破られたというのに、大規模な攻撃は行われていない。それどころか反応が嘘のように消えたとの報告まである。
目の前に現れる黒い魔族も、何一つこちらに魔力反応を示さない。攻撃らしい攻撃もしてこない。こんなことは初めてだ。
敵の目的が何一つ見えない。可能性としてあるのは要人の暗殺か。だがあの悪魔がそのような小さい事をするとは考えにくいが。
「やるべき事をやるだけ、か」
ギルバートは考えても無駄だと判断し、己に与えられた職務を淡々とこなすことにした。
違和感を覚えているのはナフサも同じであった。
別の場所で侵入者を消滅させながらその疑問について考える。
「捕らえよ、《聖なる光輪》」
ナフサの持つ聖武器、聖典レストニアテキストによる魔法は黒い魔族を捉え縛る。
最初は尋問にでもかけようとしていたが、敵は捉えられると即姿を消滅させてしまう。
「まあ、本体じゃないわな。敵の能力じゃろうが、埒が開かんわい」
こんなことならクロエやクロウのように敵本体を探せる迎撃部隊を任せられた方が良かった、と溜息をつきながらサーシェに連絡を取る。
「サーシェ嬢や、敵の数は減ったかの?」
『全然変わらないのら。どう考えても陽動っぽいけど、どれも均一な反応してるから本体とか分からないのら』
ぐーたらしていても七王剣に選ばれた者。流石に戦局をしっかりと判断する事は出来る。
「そうかい。被害状況は?」
『ん〜? ないのら。怪我人もいないのら』
「‥‥‥なんじゃと?」
魔族は王城の結界すら破り侵入してきた。戦争と言ってもいいレベルだ。
それなのに、まだ怪我人すら出ていない?
ナフサの中で違和感の正体が形になる。
「なるほど。どうりで疼かんわけじゃな。血の匂いが一切しないからか」
応答しながらも魔法で向かってくる敵を次々と消しながら、それらをじっくりと観察する。
気配がない。そもそも殺意も敵意もないのだ。
ただ踊る人形を相手取っているかのよう。
「長年生きておるが、こんなに張り合いのない戦いにもなってない戦いは初めてじゃな」
これを行なっている魔族とやらに興味があるが、ここを動けない以上迎撃部隊に任せる他ない。
「くく、何が起きるのかのぉ」
パラパラと、自動でページが捲れる聖典を手に、歴戦の猛者は獰猛な笑みを見せた。
影の中に潜み、扉をすり抜ける。室内は今までシグが見てきた中でも特に豪華な造りであった。
これだけの騒ぎが起こっているというのに、灯りはなく、窓から覗く月と星の光だけが淡く照らしていた。
クナイの調べた情報を元に西の塔へと侵入したのだが、その情報は間違っていなかった。
なぜだろう、気配は一つ。まだ姿は見えない。
それでも、とても懐かしい。
ゆっくりと奥へと進む。円形に作られた部屋の端。窓辺に佇む一つの影。
月光を浴び、更に美しく輝く銀の髪。壊れそうなくらいに薄く儚い絹糸のような肌。
翠の目が、呆然と立ち尽くすシグへと向けられた。
「‥‥‥あなたが、賊、侵入者ですか?」
「‥‥‥‥‥‥」
その顔に、声に、恐怖は感じなかった。
代わりにどうしようもないほどの諦観の念を感じ取る。
「私を、殺しにきましたか?」
慌てる事も、逃げる事もせず、気品ある立ち振る舞いでこちらに向き直るルナリス。
「構いません。この命が欲しいのであれば、ご自由にどうぞ」
何年振りだろうか。あの頃よりも成長し、あの頃よりも美しくなった。
けれど、あの頃のような笑顔はそこにはなかった。
「‥‥‥自分の命を、そんなに軽く扱ってはいけないよ」
「‥‥‥? 何を‥‥‥ッ⁈ あ、」
思わず出てしまった言葉に、困惑と疑念、そして驚きを浮かべるルナリス。
「あ、あなたは‥‥‥シグ、なのですか?」
「‥‥‥‥‥‥」
驚いたのはこちらも一緒だ。なぜ、分かるのか。自分の事を、たった少しの間しか過ごしていない自分の事を覚えていたなんて。
「‥‥‥久しぶりだね、ルナリス。子供の時以来だ。良く、俺だと分かったね」
仮面を外す。なぜだか泣きそうな顔になるルナリスを見て、こちらも胸が締め付けられた。
「‥‥‥なぜ、でしょうか。最近、昔の事を良く思い出していたからかも、知れません。お久しぶりです、シグ。生きて、いたんですね」
「ああ、なんとか、ね」
返答に対し、ルナリスの表情に陰が出来る。
「‥‥‥私を、殺しに来ましたか?」
「それは、なぜ?」
どうしたらそんな言葉が出てくるのか。眉根が自然と寄ってしまう。
「私を、この国を、あなたは恨んでいるのでしょう?」
「‥‥‥‥‥‥」
ルナリスの言葉に彼女が何を考えているのかがようやく分かった。
そしてそれは、間違ってはいない事にも。
「‥‥‥ああ、確かに。俺はこの国を、人間を恨んでいるよ。兄さんを貶め、母を焼いたこの国の人達を、ね」
「では、やはり‥‥‥」
それは事実だ。変えようのない過去。未だ消えぬ、心の傷だ。
「でも、それは今どうでもいいんだ。俺はただ、君に会いたくて会いに来ただけなんだ」
「‥‥‥え?」
ポカン、と何を言っているのか分からないと言った様子のルナリスへと続けて話す。
「君が、結婚するという話を聞いた」
「それは‥‥‥はい、その通りです。後6日後に、私は次期国王となるユリウスと結婚を致します」
「ああ、知ってる。だから、その前に君に会いに来たんだルナリス」
「うえっ⁈」
近寄り、ここに来た目的をハッキリと告げる。その為にクナイやディーネにも迷惑をかけているのだ。
「なな、何を⁈」
「君に、聞きたい事がある」
ルナリスに会い、聞きたい事を聞く。それだけのために、俺は騒ぎを起こしてしまっているのだから。
「‥‥‥何、でしょうか?」
怖がらせてしまったのか、こちらに目を合わせず問い返すルナリス。
「君の、望みを聞きたい」
「‥‥‥え? の、望み、ですか?」
「君は、このまま結婚する事に、納得しているのか?」
「え? そ、それを聞く為だけに?」
「あ、ああ。何か、おかしかったか?」
また呆れられた反応を示された。その後で、ルナリスはふふふと笑い始めた。
「え、えっと、そんなに笑う事だったかな」
「い、いえ。ふ、ふふふ。なんだか、自分でも分かりませんが、可笑しくて、つい。ごめんなさい」
「い、いやいいんだけど」
居たたまれなくなり頭をかく。その様子を見て、ルナリスが始めて微笑んだ。
「あなたは、何も変わりませんね、シグ」
「そう、かな? 君は、昔よりももっと、綺麗になったよ」
「‥‥‥そういう所も、変わってないですね」
ふふっ、と笑うルナリスに、ようやく昔の彼女と一致していく。そうだ、彼女はよく笑う子だった。
懐かしい記憶。まだ何もかもが輝いていたあの頃の、思い出の一欠片。
「そう、ですね。納得はしています。私は、この国の王女として、生まれたのですから。国の為に、この身を捧げる。その義務があります」
そして変わる。この表情は知らない。王女としての、ルナリスの顔。凛とした、責任を負う覚悟のある王族の立ち振る舞いだ。
だが、聞きたいのはそのルナリスじゃあない。
「もう一度、聞きたい。ルナリス。君の、君の望みは何だ?」
「‥‥‥それを聞いて、あなたはどうするつもりなのですか?」
どうするか? 決まっている。
「俺はーーー」
「ケケケッ! 甘酸っぱいボーイミーツガールはそこまでだぜ? 侵入者さんよぉ」
「がッーーー⁈」
「シ、シグっ⁈」
肺が抉られる。よく分からない、血のようなドス黒い棘が胸から突き出していた。そのまま身体が宙に持ち上げられる。
「匂いでよぉ、分かるんだよな。あんた、同類だな? 闇に属する奴は、クセェクセェ匂いをプンプンさせてっからなぁ。他のは何も感じねぇ、ダミーだ」
「ぐ、ガ、あッ‥‥‥!」
なんとか、仮面は被る。身体は棘に固定されて動かせない。
「ケケケッ! 女の前でミンチにしてやんよ! オラァ!」
身体に更に棘が突き刺さる。そして内側から外側へと引き裂かれた。散らばる肉体。グルリと回った視界には、黒い少女が口をこれでもかと広げ、ギザギザの歯を剥き出しにして笑っていた。
「あ、ああッ! シ、シーーー」
「大丈夫だ。ルナリス」
「は、え?」
「アァン?」
何事もなかったかのように、シグは床に立つ。背中越しに混乱しているルナリスへと、告げた。
「必ず、また会いに来る。その時に、君の本当の望みを聞かせてくれ。俺はーーーそれを叶える」
影を蠢かせる。本能が警鐘を鳴らしていた。
目の前の化け物は己よりも格上であると。
「ガルドア以来の死に数になりそうだな‥‥‥」
「いいねぇ‥‥‥こいつは大当たりじゃねーの? こいよ、そんな小娘より刺激的な夜をくれてやんよ!」
名も知らぬ金の瞳を持つ少女が、血のドレスを纏い襲いかかってきた。




