#43
夜になっても煌々と輝く店舗の灯りが室内を薄く照らす。夜と言えば灯りのない生活がほとんどだったため、シグは珍しげに外を眺めていた。
いびきをかいてソファで寝ているのはクナイ。子供らしい寝顔は微笑ましいものだ。今日はこれまた珍しくマナも起きて隣に座っていた。
「‥‥‥寝ないのかい?」
「‥‥‥‥‥‥」
返事はなく、マナもまた外の灯りを眺め続けていた。精霊であるディーネは睡眠など必要としないが、本体は森にある為、夜活動しないときはこちらの意識をオフにしていた。
シグが首にかける物言わぬ青い雫のような宝石が、街の灯りを吸い込み複雑に煌めいた。
「‥‥‥気に、なる、の?」
「何が、と言っても無駄かな。そうだね、気になってる」
リイフォが去り際に伝えた、王国で行われる結婚式。第二王女ルナリスと、ユリウス・ディエライトの二人の。
「猿妖族の森で行われていた事は、ユリウスの命令だった。そのユリウスが栽培させていたのがこれだからな」
懐から取り出したのは果物のような見た目のモノ。丸く赤い果実には痣のような紫の染みが渦巻くように浮かんでいた。
「半年はかかると言っていたけど、ディーネの協力で三ヶ月で実を結んだ。一体これが何の実なのか、試しに食べさせたウールラビットは、それはもう大変な事になったね」
「魔、獣な、みの、変、化、した」
もう二ヶ月前になるのか、旅路途中の草原で実を食べさせたウールラビット。元々小さくフワフワの毛で全身を覆う可愛らしいただの動物だったが、変化は劇的だった。
体長は倍どころではなく大きく、そして屈強になり、元の面影がなくなるほど凶悪な姿となってしまった。
「アレを人里近くでやらなくて本当に良かったよ。倒すのに苦労した」
「足、早かっ、た」
姿を変化させたウールラビットを追いかけてなんとか退治したが、アレが人里に入れば犠牲は確実に出ていたであろう。
「ウールラビットでさえあの変化だからね。自分で食べようとは思わないけど、人が食べたら同じようになるのは間違いない」
「私、も、いら、ない」
体が大きく筋肉質になったマナを想像したが、あまりに嫌な想像だったのですぐに脳内から消去した。
「こんな代物を栽培させようとしていたユリウスが、次期王になるというのは、やっぱり気になるよ」
「‥‥‥そっ、ち、違、う」
視線を感じ、横を向くと目と目がかち合った。
「ルナ、リス」
「‥‥‥‥‥‥」
「気に、なって、る。主に、こっ、ち」
プロのギャンブラーを降したマナに、隠し事など土台無理な話だった。
「‥‥‥まいったな。そうだね、俺自身もまだ整理がついてないけど、きっとそうなんだろう」
「‥‥‥話、聞く、よ?」
「ありがとう。一人で悩むよりは、誰かと話した方が整理しやすいからね。何から、話そうか」
そう言って思い出すのは、まだ世界が輝いて見えていた頃。
尊敬する兄を追い、大好きだった母がいて、兄と親しかった第一王女フェイリスと、それにくっついて遊びに来ていた第二王女ルナリス。
もはや戻らぬ夢幻の過去。いつまでも色褪せない少年時代の遺物。
「あれは、きっと初恋だったんだ」
同じ夜でも、レストニア王国首都ヴィストリアから見える光景は違っていた。
王城の一室の中でも特に豪華な造りをしたルナリスの部屋から覗ける夜景は、地上の光が殆どない為、星の瞬きが良く見えていた。
「ルナリス様、お召し物はいかがですか?」
湯浴みの後、丁寧に拭かれた身体に新品の寝装束を着せられたルナリス。お付きのメイドが役目を終え、確認を取った。
「‥‥‥はい。問題ありません。ご苦労様です」
「いえ。では、私はこれで」
恭しく一礼すると足音も無く部屋を去る。彼女たちメイドの仕事は一流だ。問題など無い。
だが、主人と必要以上の会話はなく、特に王城に閉じこもりっきりのルナリスには話し相手となるものなどいなかった。
心の内を吐き出せるのは、日課となっている姉への、返事の決してない独白の時のみ。
そしてそれも、ルナリスの心の平穏を保つには限界が来ていた。
「あと、一カ月、ですか‥‥‥」
部屋の明かりを消すと、窓辺だけがくり抜かれたように月と星の光で浮かび上がる。誘われるように窓辺へ寄り、外を見る。
誰もいない、地上の人々も見えない。あるのは頭上の、届かない光。一日の中でこの時間だけが、何も考えず呆然と出来るこの時間だけが安らぎだった。
「お父様はきっと、私のことなど何とも思っていないのでしょう。私が結婚しようが、そこに祝福も喪失感も、ありはしないのでしょう」
結婚自体は仕方のない事だと割り切っている。王家に生まれた時点で自らの望む相手と結ばれる事はないのだと。
けれど、心に刺さるのは、自分が姉の代わりにされている事。そしてその代わりにすら満足になれていない事だ。
「ユリウスも、そう。あの人もお姉様を愛している。私にはこれっぽっちも興味なんてないんだわ」
姉が安置される場所に現れる彼の瞳は、今でも姉への変わらぬ愛に満ちている。いくらこちらに真摯な態度を示していようが、分かる。
「いえ、皆がそうなのです。いつだって愛されたのはお姉様。私は、妹だったからその愛のお零れを貰えていただけ」
今は亡きラグナスも。姉とともに自分を可愛がってくれた優しい彼でさえ、その愛はずっと。
「‥‥‥私は、何の為に生きているのでしょうか」
返す者のいない部屋に何度も染み渡らせた問い。答えはなくとも、分かりきった事。この国を繁栄させ続けるための道具に過ぎない。
ベッドに倒れこむ。頭上には星の明かりなどない、無機質な天井。その更に上、ベッドに面した壁に吊り下げられたものが視界に入る。
この部屋の調度品にしては相応しくない、古く安っぽいペンダント。ただの鉄を加工して羽の形にしているだけのそれは年月により錆びきっていた。
手を伸ばし壁から外す。持つだけでも、ルナリスの心は痛む。
「私は自分の事ばっかりですね。そんな資格、ないのに」
目を閉じればすぐに思い出せる。何もかもが輝いて見えていたあの頃。
姉と二人、お忍びで城を抜け出し城下の祭りを覗きに行ったあの日。とても叱られたが、そんなもので帳消しには出来ないほどの喜びがあった。
「還りたい‥‥‥あの頃に‥‥‥」
意識せずに溢れる涙が枕を濡らす。
遠い過去、このペンダントをくれた少年。今はいない、国によって殺された彼は、最期に何を思っていたのか。
「きっと、恨んでいますよね‥‥‥シグ」
様々な思いはあれど、変わらず夜は明ける。
未だ起きぬクナイを除き、三人は出発の準備を終えていた。お世話になったニックが下に来たらお礼を言ってこの国を発つ事を伝えるつもりだったのだが。
「おはようシグっちにマナちゃんにディーネちゃん! クナイちゃんはねぼすけさんなんだね!」
「思ったより早く来られたんですね、リイフォさん‥‥‥その、腫れ上がった頬と背中に背負ってる大荷物は何ですか?」
昨日は酒で真っ赤だったが、今日は左頬を誰かにぶったたかれたかのように赤く腫らしたリイフォがリビングに当たり前のように姿を見せた。
背中にはまるで旅にでも出るかのような大きなリュック。相応の重さがあるだろうそれを苦もなくかるい、リイフォは笑顔で告げた。
「ほっぺのこれは気にしないで。凶暴な動物にじゃれつかれただけだからー。シグっち達は今からレストニア王国に行くんでしょ? このリュックはその準備だよー」
「‥‥‥‥‥‥」
「いや、大丈夫大丈夫そんな部屋の中調べなくても。この部屋に盗聴する魔法とかかけてないから」
疑わしげに室内を物色し始めたシグにさも楽しそうにリイフォが答えているとニックがリビングに姿を現した。
「あー、やっぱりか。荷物まとめといて良かったぜ。んで、こういう時だけ寝坊しないんだなお前は」
「はははー、まるでいつもアタシがお寝坊さんみたいな言い方だなー」
「うっぜ。で、サキは何て‥‥‥ってその顔見たら分かったわ。んじゃ行くか」
「あの、すごい置いてけぼりくらってるんですが、一体お二人は何を‥‥‥」
本気で頭が痛くなり額を抑えるシグ。お前がまず説明しろとばかりにニックはリイフォに目配せした。
「いやー、昨日レストニア王国の話したらシグっち居ても立っても居られないみたいな顔してたからさー。アタシの勘ってやつがきっとこうなるだろうと思い準備して来た訳さー」
「俺はこのバカが同行するだろうってのが長年の経験から分かったからだ」
「‥‥‥‥‥‥」
苦い顔をしてマナへ振り返る。いつも通りの表情でそれに答えた。
「シグ、分かり、やすい」
「そうなのか‥‥‥とりあえず、俺の考えが読まれたのは分かりました。が、なぜお二人が? レストニア王国と何か関係が?」
「関係って言うか、元々その結婚式に招待されてたからねー」
「俺らは国の役人みたいなもんだって言ったろ? その関係で招待されてたんだ。こいつは最初行く気なかったんだが、お前達が行くなら面白そうだからって理由で考えを変えやがったんだ。だろ?」
「さっすがニックー! 言わなくても以心伝心だー!」
リイフォの賛辞に嫌そうな顔で答え、ニックは同じく大きな荷物を持ちあげ三人へと声をかけた。
「こいつのワガママに付き合わせる形にはなるが、お前達にとっても悪い話じゃあないと思うぜ。見たところ長距離を走る足はないだろ? リイフォ、馬車の手配は?」
「もう家の前に持ってきて貰ってまーす」
「馬ならレストニア王国まで二週間あれば着く。歩きじゃ間に合わない。どうする? 元々こちらには行く用事があったから気にすることはない」
シグはその提案にうーんとしばらく考え込み、不承不承といった感じではあるが他に頼りもないので応じることにした。
「分かりました。では、お願いします」
「わーい! じゃあ早速行こうかー!」
「ああ。ところで」
元気よく外へと飛び出していったリイフォを尻目に、ニックがあるものへと視線を向けた。
「その子、どうするんだ? さすがにこの家には置いておけないぞ」
「‥‥‥あー」
まるで起きる気配のない、すやすやと幸せそうに眠るクナイをなんとか起こすのにしばらくかかった。