#38
報告の任を終えたザルド・クラバスは、重い足を引きずり久方ぶりの我が家へと向かっていた。
街の様子は穏やかで、七年前の大戦の爪痕も感じられないくらいには復興している。だが、その平穏がまた脅かされてしまうかもしれない。
騎士としての責任と、追加された任務に自然と溜息が出てしまうのも無理はなかった。
「おじちゃーん、しけたツラしてるね! 採れたてのリカンの実でもどう? 元気でるよ!」
いつもと同じ帰路の途中、通りがかった行商区で若い店主に声をかけられた。シェミと呼ばれるこの区でも元気印として人気のある女性だ。
「ははは、私はそんなにしけたツラになっていたか」
「ええ、ええ、それはもう。なんか辛い事あったんでしょ? そういう時は美味しいモノ食べたら元気元気!」
ずずいっと、頼んでもいないリカンの実が紙袋に詰められ、シェミから押し付けられる。
この強引さも、彼女がやるとなぜか許される。それも人気の秘訣だろう。
ザルドは我が家に置いて来た存在を思い出し、ちょうどいいかと懐から財布を取り出した。
「ありがたく貰おう。いくらかな?」
「久々にこっちに帰ってきたおじちゃんへのおおまけだ! 銅貨三枚でいーよ!」
「安いな! ん? どうして私が久々に帰ってきたと分かったんだ?」
驚きと疑問。そんなザルドの感情を吹き飛ばすようにシェミは笑った。
「なんでって、いつもここ通ってるじゃん! 私はここで買い物する人の顔はみんな覚えてるよ!」
「それは‥‥‥すごいな」
素直に感嘆し、彼女へ銅貨三枚と銀貨一枚を手渡した。
「ありゃ? 銀貨多いよ?」
「リカンとは別の、元気を貰った礼だ。また帰ってきたらここに寄らせて貰おう」
そう言い残し、背を向け去るザルドへとシェミが大きく声をかけた。
「ありがとーう! またの来店お待ちしておりまーす! あっ、あとその顎髭! 剃った方がモテると思うよー!」
ズルっ、と足を軽く滑らせる。周囲の温かな笑みに見送られ、ザルドは我が家に向かった。
「ただいま」
ドアを開け声をかける。本来一人暮らしであるはずのザルドに応える者はいないはずだが、今は違う。
「おかえりなさい隊長!」
相変わらず元気よく返事をするのはケイル・ラスマン。部隊の副隊長である。なぜ彼がザルドの家にいるのか、その訳である存在に目を向けた。
「どうだ、もう元気になったか?」
「‥‥‥はい」
部屋の隅に座る痩せこけた少年。猿妖族の森唯一の生き残りであるニルヘ・スキャアがそこにいた。
「隊長! その紙袋は何ですか?」
「目敏いなお前は。すぐそこで買ったリカンの実だ。ちょうどいい、おやつとしよう」
台所へと紙袋を置き、さてどう調理するか悩む。そのまま剥いても美味しくは食べられるが。
「いいですねぇ! でもその量、三人でも多すぎませんか?」
「確かにな。ならばケイル、シュライナの家も近いと言っていたな。呼んできてくれ」
シュライナ・アルディーゼ。調査団に同行していた魔導士である。
「えっ、自分がですか⁈」
「私は彼女の家を知らん。お前は彼女と仲が良いのだろう? この間の長い調査への同行の礼とでも言え」
「あー、分かりました。でもあいつ帰って来てもゲーゲー吐いてましたけど、大丈夫ですかね?」
「‥‥‥そうだな、無理にとは言わん。聞くだけ聞いてこい」
森での彼女の様子を思い起こし、苦い顔をする。彼女があそこまで狂乱しなければ、自分ももっと動揺していたかもしれない。
「じゃあちょっくら行ってきます」
ケイルが家を出て、ザルドは再び台所に向く。長期で家を空ける為、大した食材はない。
「粉はあるか。料理酒も残っているし、そうだなそうしようか。それでも余る分を先に剥いて‥‥‥」
「あの」
一人ブツブツと算段を立てていたザルドにニルヘがいつのまにか側に来て話しかけた。
「何か、手伝います」
「‥‥‥そうか、じゃあこのリカンをナイフで剥いてくれ。出来るか?」
「はい、ナイフなら大丈夫です」
ニルヘをテーブルに座らせ、大量のリカンとナイフを目の前に置く。
大丈夫、と言った通りニルヘのナイフ捌きは中々のものであった。
その様子を確認すると、ザルドも自分の作業を始めた。
「ただいまです! 何とか連れて来ましたよ!」
「‥‥‥おじゃま、します」
ケイルに連れられ、やって来たシュライナの顔は暗くやつれきっていた。
「ああ、いらっしゃい。休みにわざわざすまないな」
「いえ‥‥‥」
芳しくない反応であったが、テーブルに座るニルヘと大量のリカンに目が光る。
「わっ、すごい量。ニルヘ君全部剥いてるの?」
「あ、はい、そうです」
「私も手伝うよ。うわー、美味しそうに熟したのばっかり。どうしたんですか?」
「帰る途中に買ったのだ。押し売りに近かったがな」
ははは、と笑うザルドへと意地悪くにんまりと口元を歪ませるシュライナ。
「ははーん、隊長さんも可愛い可愛い店主さんの押し売りは断れなかったようで」
「ゴホン、そういう訳ではない。ちょうどケイルにニルヘ君も家に居たからであってだな」
「ほーんと男の人ってのは。あの子、シェミさんでしたっけ? ファンがとても多いですからねー。隊長さんもその一員かー」
「ファンなんてものがあるのか‥‥‥」
「はーいはーい! 自分もファンですよ!」
ぴょんぴょんと手を上げるケイルをシュライナが侮蔑を込めた視線で黙らせた。
ザルドがもう一本ナイフを出して渡してやると、シュライナが興味深げに台所の様子を覗いた。
「ところで、隊長は何を作ってるんですか?」
「これは生地だ。折角ならリカンを使ったパイでも焼こうかと思ってな」
「え゛⁈ た、隊長さんはお料理が出来るんで?」
信じられないものを見るような目をするシュライナに、なぜかケイルが得意げに答えた。
「そうだぞ! 隊長の料理の腕前はすごいんだからな! プロ顔負けさ!」
「おいおい、それは言い過ぎだろ」
「‥‥‥確かに、男の一人暮らしにしては調理器具が多いし、本格的なオーブンまである。私の部屋より綺麗に片付いてるし、ウソ私の女子力おじさんより低いの⁈」
とんでもなく失礼な発言だがザルドは苦笑してそれを流した。リカンの皮剥きは任せて、生地作りを進める。
「よし、剥いたリカンを六個だな、持ってきてくれ」
「はい隊長!」
戦力外のケイルが持ってきたリカンを見て、誰が剥いたものかがハッキリと分かってしまう事に微笑む。
「あー! 笑った! 隊長笑いましたね! ふーん、どうせ私はニルヘ君より下手くそですよー!」
「い、いやそんな事はないぞ?」
「うーん、確かに不恰好なリカン剥きですね。こりゃ嫁の貰い手もまだな訳ガッーーー⁈」
ザルドのフォローを無意味としたケイルの頭部にテーブルの上にあった木の皿が直撃した。
「あっ⁈ すいません! つい!」
他人の家のモノを勝手に投げつけた事を慌てて謝るシュライナに、ぶつけられたケイルは恨めしそうに呟いた。
「そういうとこだぞ‥‥‥」
「ハァ、全くお前達は」
慌しい彼らの様子に溜息をつくが、気分は悪くない。こちらを不思議な生き物でも見るかのようなニルヘに肩をすくめてみせ、中断していた調理を再開させた。
「うっまー! 激ウマですよ隊長! 流石です!」
二時間という中々の調理時間を終え、出来上がったリカンのパイをテーブルを囲んで召し上がる四人。
「ほんと‥‥‥美味しい‥‥‥これはプロだわ‥‥‥」
味への感動と、女性としてのプライドがないまぜになり複雑な顔をして頂くシュライナ。
「そいつは良かった。どうだニルヘ君、美味しいか?」
「はい‥‥‥とても、美味しい、です」
言葉少ないが、召し上がる速さが彼の本音をそのまま伝えてくれる。
「そうか! 沢山焼いたからいっぱい食べな」
「自分もおかわり頂きますね!」
「わ、私も‥‥‥」
賑やかに食事を終え、食後のコーヒーも四人分ザルドが用意した。ゆっくりと飲みながら、ついにザルドが話を切り出した。
「さて、少し君達に話があるんだが」
「‥‥‥だと思いましたよ。美味しい食事をご馳走する時は大抵そうですもんね」
慣れたとばかりに笑うケイルと、よく話が分からず首を傾げるシュライナ。コーヒーが苦かったのか、チビチビと舐めるように飲むニルヘもこちらを向いた。
「今日、調査報告をしたばかりだが、早速次の調査依頼を請け負った。明後日出発だ」
「え゛⁈」
美味な食事から一転、絶望へと突き落とされたシュライナの手から空のカップがコロンと転がり落ちた。
「それはまた急と言うか、早いですね。メンバーの増員は?」
「ない。これ以上の国内戦力を外へは出せないそうだ」
「は、え、ハァァァア⁈ マジですか隊長! またすぐ出発で、更に戦力増強も、無し⁈」
シュライナが絶叫した。ザルドも彼女の気持ちはとても分かる。あの地獄絵図を見た後だ、そもそもが戦闘に秀でた者の少ない現在の調査団に不安があるのも仕方ないと言える。
「上の命令だ。これでやれと言われればやるしかなかろう」
「‥‥‥終わった‥‥‥私の人生‥‥‥」
魂が文字通り抜け落ち、椅子にだらんともたれかかるシュライナを一旦放っておいて、ザルドはニルヘへと向き合った。
「そこで、だ。もう一度情報を整理したいと思う。もう何回目になるかも分からないが、聞いてもいいか?」
「‥‥‥仮面の人、ですか。それはもちろんいいですけど」
ニルヘを拾ったのは、森の惨劇を目にした後。カドレの森と同じく、脅威に対抗できないザルド達はただちに撤退。これ以上の調査を打ち切り王国へと戻る途中であった。
荷物も何もなく、食料すら持たず一人で行き倒れていた所を偶然発見し、助けたのだ。
「ただ、前と話した事と同じ、ですよ?」
「ああ、それで構わない。同じ事でも、二回三回と聞けば新しく見えてくる事もあるかもしれない。‥‥‥君には辛いかもしれないが」
彼を拾い上げ、森での資源開発の一員であると判明してから王国に帰るまで、また帰ってからも彼には尋問のように話を聞かせてもらっていた。
魔導士による精神鑑定により、何者かに操られていないか、記憶の改竄はないか等念入りに、だ。この数日で疲れきっているはずのニルヘには酷だとは思うが。
「構いません。話をするだけでしたから。このくらいは、別に」
「そうか‥‥‥」
本当に本心からの言葉なのだろう。孤児院出身。そして資源開発での労働力として強制的に連れていかれた少年。どれほど過酷な人生であったかは想像に難くない。
だがそれに同情をしている場合ではない。任務に向け、出来る限りの事はしておかなければ。
「では、遠慮なく聞かせてもらう。仮面の人物、上は魔族の者であろうと結論付けていたが、私もそう思う」
会議で言っていた事が本当なら、人間でも化け物と呼べる傑物を二人も屠れる存在など、同じ化け物以上に決まっている。
「名前は、確かアイシスでしたっけ? 当たり前ですけど聞いたことありませんしね」
ケイルの言葉に頷く。魔族でも有名どころ、例えば六輝将クラスならば嫌でも耳に入ってくるが。それ以外の魔族の者となると知ることも難しい。
「アイシスと名乗った仮面の男。そいつは君と会話をし、逃げるよう勧めた、だったね」
「はい、そうです」
「変な奴ですよね、目的は資源開発してた人間の殲滅って感じだと思ったんですけどね。あの現場見ちゃうと」
「うぷッ! や、やめて、吐く‥‥‥」
「わー⁈ やめてくれ! もう言わないから! 吐くならここではやめてくれ!」
口元を手で抑え、一気に顔を青ざめさせるシュライナを慌てて連れ出すケイル。ドタバタと移動した二人に間を刺されたザルドが、ゴホンと咳払いし話を続けた。
「今、ケイルが言ったようにそこだけが何度考えても分からない。なぜ君だけが見逃されたのか。君もそれがよく分からないと言っていたね」
「はい‥‥‥でも、そうですね」
「ん? 何か思い出したのか?」
空になった木の皿を眺め、ニルヘは独白するように答えた。
「きっと、同じだったのでしょう」
「同じ?」
口元に残る、久方ぶりに感じたこの気持ち。それを反芻しながら、自然と言葉は漏れた。
「僕と同じ‥‥‥そうですね、弱さを、感じました。矛盾してると思いますが、僕と話してる彼はとてもーーー人間のようでした」
理論立てたモノとは違う、ニルヘが感じたままの言葉に、ザルドはほんの少し残っていたコーヒーを飲み干した。
「‥‥‥人間のような弱さ、か。確かに、魔族ならば矛盾しているな」
窓の外を眺める。日は落ち始め、茜色に染まりゆく室内。束の間の休息は終わり、また彼らは王国を脅かす影を追う。