#36
「ただいま」
「おか、えり」
すぐに戻ると言った通り、シグはあの後十分程でマナの元へ戻ってきた。姿を隠していたディーネも今は普段通りシグの肩に乗っている。
「その、お面、何?」
「あ、ああ、コレ? 一応、変装の為に作ってみたんだけど」
「‥‥‥‥‥‥」
シグが自らの影で作った仮面を外し、どうかな、とマナに近づけた。いつもより若干眉根が寄せられたマナへとディーネが声をかける。
「‥‥‥正直に言うのも優しさよ」
「‥‥‥コレ、は、ない」
「えぇ‥‥‥」
帽子に引き続き仮面のセンスまで駄目出しを受け、シグは結構落ち込んだ。
「ま、まあそれよりも。ゴホン、猿妖族のみんなに伝えておきたい事がある! 聞いてくれ!」
仮面をそそくさと消し、大声で注目を集めた。
「今、人間達の居住する所へ行ってきた。俺は当初の予定通り調べたい事は全て調べた。後は君達の好きにするといい。付け加えるなら、朝までなら彼等は動けない状態にしてある。それをどうするかは君達の自由だ。これも、返そう」
左手を虚空へ掲げる。その下の影から、最初に猿妖族から奪った木の槍を、前とは違い黒く染められたそれらを生み出す。
「鉄くらいなら貫通できるくらいに強化はしてある。それも朝までだけど。これも元々は君達の物だから自由にしてくれ」
シグの言葉に、初めは誰一人として動けずにいた。しかし、おずおずと動いた一体が黒い槍を手に取ると、他の者もつられたように次々と動き出した。
不気味な槍。だが込められている力は間違いない。武装した集団は顔を見合わせ、一つ頷くと移動を始めた。もちろん、人間共の所へ、だ。今から彼らが何を行うかなど明白である。
そんな様子を見て、煽った当人ではあるシグは、どことなく悲しげに視線を切るとマナへと告げた。
「さて、俺たちも行くか」
「わか、った」
「ま、待ってくれウキャ!」
出発しようとするシグ達を止めたのはモンガーであった。他の仲間よりも人間に憎しみを抱いていたはずのモンガーがまだこの場に残っていることに違和感を覚えたが、モンガーが抱き抱えているモンバーの状態を見て納得した。
「頼むウキャ! モンバーを、助けて欲しいウキャ!」
「‥‥‥止血はしてるけど、良くなさそうだね」
モンバーは動かない。右腕の切断面からは止血により血はあまり流れていないが、顔は青白く、身体も冷えていた。心臓はまだ鼓動を保ってはいるが、それも弱々しいる。
「頼むウキャ! お願いウキャ! オイラじゃ何も出来ないウキャ! どうか、どうか!」
「‥‥‥俺も医者じゃあないんだが、どうにかできそう?」
肩に乗るディーネへと問いかけた。えー、という表情こそ浮かべるが、律儀に答えてくれた。
「そこで私に頼るのね、全く。私だって専門じゃないけど、とりあえず血が足りてないのは分かるわよね? 補給すればいいんじゃない?」
「補給って言ってもなぁ」
「血が、血がいるウキャ? だったらオイラの血あげるウキャ!」
さあ、さあとばかりにこちらに詰め寄るモンガーに若干身を退がらせながらも思案する。
医療の知識など全くない。だが、とにかく血を補給すればいいのなら、やろうと思えばやれるはず。
「‥‥‥ディーネも言ったけど、俺達は本当に専門外だ。成功するかも分からないし、君も危険だけど、それでも助けたいかい?」
「お願いするウキャ!」
即答である。モンガーの覚悟に、シグも応じた。
「分かった、始めよう」
作業はシンプルだった。先程手に入れた霊糸を影で再現し、まずは切断面を縫い合わせきちんと止血。
その後霊糸をイジり、中を空洞の管へ。それでモンガーとモンバーを繋いで、こちらの意思で血液を移動させる。モンガーからモンバーへと。
やる事は単純だったが、思ったよりも精密な動作が必要で、シグは目を閉じ汗だくになりながら輸血を終えた。
「‥‥‥疲れた、二度とやりたくはないね」
移動させる血の量も適当に行ったので、本当にこれでモンバーが助かるかは分からなかったが、先程よりも赤みが増した顔と、体温の上昇にひとまず安心した。
「やれるだけはやった。後は君たち次第だ」
汗を拭き立ち上がる。若干安らかになったモンバーの寝顔と、それを涙目で見守るモンガー。
「ありがとウキャ‥‥‥本当にありがとウキャ‥‥‥」
「いや、俺も助かったよ。やるならやっぱり誰かを助ける為に力を使いたいからね。‥‥‥彼を大切にしてくれ」
シグが優しくそう告げると、モンガーは顔を上げて笑みを見せた。
「ああ、そうするウキャ。オイラのせいで、モンバー、右腕なくなってしまったウキャ。だがら、これからオイラが右腕の代わりになるウキャ」
「そうか。仲間を助け合い支え合う。素晴らしいことだ。復讐なんかよりはよっぽどね。頑張ってくれ」
任せろ、という風に胸を張るモンガーは力強く宣言した。
「ウキャ! これからはモンバーを、オイラを守ってくれた立派なオスを、妻として支えていくウキャ!」
「え゛⁈」
今日一番の衝撃の事実がシグを凍らせた。
未だ叫びもがき続けるバレリアと、森の外れから微かに聞こえる断末魔を背に、シグ達は去る。
カドレの森、南の方角から更に北へ。
「‥‥‥それ、何?」
「ああ、これかい? 彼らのテントから拝借してきた。何かの、種、らしい」
シグは貯蔵庫として使われていたであろうテントから、彼らが植える予定だったはずの種とやらを回収していた。
大量にあった種の入った袋は影に収めてある。そのうち一粒を取り出し、眺めてみるが、特に何の変哲も無い植物の種に見える。
ただ、色が毒々しい紫色という点だけ気になるくらいか。
「どう、する、の?」
「そうだね、彼らが回収したがってた実がどんなものか気になるし、育ててみようと思う。土はここのを借りて、水はディーネの力があれば大丈夫だし。影の中で育成してみよう」
「私をどこでも水源と勘違いしてない? まあ出来るけど」
ディーネの許可も得たので、歩きながら適当な量の土を影に喰わせ、種も飲ませた。
「次、どこ、行く?」
「そうだね、今度はゆったり落ち着ける場所がいいなぁ」
「私は楽しめればどこでもいいけど。ね、ア・イ・シ・ス・さ・ん?」
「ぐっ‥‥‥」
ディーネがそれはそれは楽しそうにその名を呼んだ。
「‥‥‥だ、れ?」
その名前の意味がわからないマナがディーネに尋ねた。
「シグがさっき名乗ってた、偽名よ偽名。どんな意味かよぉく分からない作った名前よ」
「意味がよく分かってない割に楽しそうですねディーネさん」
「ふふふ、いえ本当に、咄嗟に出たみたいだから? 適当なんでしょうけど? アイに? シス、ねぇ?」
ニヤニヤするディーネに対し、これ以上こちらが口を開いても不利になるだけだと悟ったシグナスは黙ることを決めた。
「‥‥‥なる、ほど」
こちらも何かが分かったのか、納得の声。そんなマナがシグをじっと見て口を開く。
「シグ‥‥‥そ、れ、面白く、ない」
「偽名のセンスまで駄目出しされた⁈ い、いや、王国の人達だから、一応バレないようにって作った名前だし、面白味とかいらないだろう?」
アタフタと言い訳を述べる様子を見て、ディーネがはぁ、と溜息をついた。
「面白くないって、意味が違うでしょうに」




