#35
バレリアの両手の指が奇妙に動き、くねる。その動作の影響だろう、それだけでこの場にいる猿妖族達は一様に宙へと磔にされる。見えない十字架に縛られてしまったように。
「不思議だろ? 自分の身体を自由に動かせないってのは」
ニコニコと自らが縛った者達を見回し、バレリアは上機嫌に語る。
「これは霊糸と言ってね、僕の魔力で作られた丈夫で鋭く、とても透明な糸さ。これで敵を絡めて意のままに操る。こんな風にさ」
「なッーーー」
「ヴギィ⁈」
猿妖族の一体が近くの仲間の首を突如締め出す。だがそれは彼の意思ではない。必死に止めようとするが身体のコントロールは全てバレリアが支配している。
「や‥‥‥やめ‥‥‥」
「やめてくれウキャ! 止まれ止まれ止まれ!」
いくらもがき叫ぼうが、両手に込められる力は収まらず、首を絞められた一体は顔を苦痛に歪め、白目を向く。
「ヴ‥‥‥ガ‥‥‥」
「ああああぁぁぁぁぁぁあッ!」
事切れる仲間。それが自らの手で行われた事に耐えきれず泣き叫ぶ。
「く、くはっ、くははははははッ! いいね、いいいい、とても愉快なショーだ! 君も、そう思わないかい?」
ひとしきり笑い終えると、バレリアの眼光がグルリとマナへと向けられた。
「‥‥‥‥‥‥」
「こんばんはお嬢さん。どうして人間の、それも小さな女の子が猿妖族なんかと一緒にいるんだい? こいつらに攫われちゃったのかな? 可愛そうに可愛いそうに」
何も喋らないマナとは対照的にバレリアの口は興奮しているのかよく動いた。
「ほら、こっちにおいでよ」
右手の指が動く。それに合わせてマナの身体も。バレリアへと勝手に足が向かう。
「うん、可愛らしい。とても可憐だね。それに、珍しい瞳をしている。赤い瞳か‥‥‥どこの出身だい?」
「‥‥‥‥‥‥」
答えぬマナ。それでもバレリアは笑顔を崩さない。それもそのはず。彼の目的は会話ではない。
「あれれ、嫌われたかな? 悲しいな、僕はねーーーとても優しいんだよ?」
「ッーーー」
バレリアの霊糸が、マナを搦めとる鋭い糸が、マナの両手を手首から切断する。
「‥‥‥何?」
だが、驚きの声をあげたのはバレリアの方だった。
「‥‥‥どうなってる」
確かに、この少女の両手を切った。そのはずだ、手応えも、その様子もこの目で見た。
しかし現実は切れたはずの両手が元に、最初から切れていなかったかのようにくっついているではないか。
「‥‥‥‥‥‥」
無言で霊糸を操り、もう一度両手を、そして両足を切断する。だが、結果は同じ。少女は何事もなかったかのようにその場に立っている。
「は、ははははははっ! 何だこれ! 何だこれは!」
首を飛ばす。四肢を飛ばす。胴体を真っ二つにする。それでも死なない。死なない、死なないのだ。
「す、すごい! 素晴らしい!」
ありとあらゆる方法で少女を惨殺し終えたバレリアは手を止め、感激に身を震わせた。
「君は! まさしく僕が求めていた女性だ! いくら遊んでも壊れない! 死なない! 最高じゃないか!」
もはや周りの猿妖族など意識の外。バレリアの興味は目の前の少女にしかなかった。
ゆらりとマナへと近づく。その顔は欲しかった玩具を目の前にした子供のように無邪気で、とても狂ったモノだった。
バレリア・ロングシー。王都から離れた場所に居を構えていたロングシー家の長子。
扱うのは特殊な霊糸と呼ばれる代々受け継がれてきたロングシー家の秘術。
指先から自らの魔力を糸状にして放出し操る、魔法とは違った技術であった。また、扱いが非常に難しく、霊糸のように薄く伸ばした魔力では強度があまりなく、狭い範囲でしか使用出来ない。
なので、彼らはこの技術を人形劇として用い、大道芸のような形で生活を賄っていた。とても騎士のような戦闘向けのモノではなく、王都で日の目に当たる機会の無い存在であった。
それを覆したのがバレリアである。
ロングシー家始まって以来の天才として、彼は卓越した魔力操作と魔力強度により、霊糸を文字通り意のままに操った。
バレリアは他の家族には出来ない大きなモノも操れたし、人間でさえ宙に浮いて見えるように吊るす事もできた。
この成果により、ロングシー家は今まで出来なかった大掛かりな芸を披露することで前よりも裕福になっていった。
だが、問題はあった。
それはバレリアの異常とも言える程の嗜虐趣味。幼い頃から何でも意のままに操り動かせた彼は、その優越感から他者を見下し、言うことを聞かせた。
気に食わない相手には無理やり霊糸で操り、本人の意に沿わない事を行わせた。いくら相手が泣き叫び、許しを乞おうとも。
非道とも言える彼の暴虐ぶりに、だが家族は誰も文句を言わなかった。周りも同じく、誰も彼に逆らえなかったのだ。
そして、事件は起こる。
あまりに増長された彼の嗜虐心は、他者を虐めるだけではもう止められなくなったのだ。
行き着く先は、殺し。
命を奪う快楽。
彼の住む町の住人を、自分の家族をも含めて、操り、縛り、切り、絞め、殺し合わせ、悪夢のような残虐非道の行いにより皆殺しにした。
ひとしきり笑った後に、凄惨たる有り様の舞台の上に一人立ち、彼を襲ったのは虚無だった。
楽しい、とても楽しかった。でも、終わってしまう。壊れてしまう。死んでしまう。
もっと、もっともっともっと、楽しみたいのに。
七王剣が介入しなくてはいけない程の殺戮を、他の町でも繰り返し、遂に捕らえられた彼を、その実力を欲したユリウス・ディエライトに拾われた。
事件について隠蔽や根回しが行われ、彼はユリウスの元で騎士としてその実力と残虐性を遺憾なく発揮した。
それでも満たされない。殺していい無能な敵や、好きにしていい与えられる奴隷だけでは、彼の嗜虐心を満足させられない。
欲しい。いくら壊しても壊しても、壊れない玩具が。
僕のこの抑えきれない愛を、受け止めてくれる人が。
「君は、まさしく僕が欲した存在だ! 僕の、この愛を受け止めてくれ! 足りないんだ! 誰も僕の愛を受け止めきれない! もっともっとたくさん、僕に愛させてくれ!」
その言葉に嘘偽りは無い。バレリアは本当に誰かを愛したいだけなのだ。
ただ、その愛が、愛情の表現が、決定的に歪なモノであるだけ。
「君は、僕のモノだ!」
両手が伸びる。霊糸では足りない。直接彼女を愛したい。その細首を締めて捻り苦痛に歪めて愛してーーー
「ふざけるな」
「ーーーへぁ?」
伸ばした手はマナへと届く事はなかった。
「あ、え? あれ? え?」
両手が、神の如き技を編み出す奇跡の手が、霊糸の結界で支配し誰も動けないはずの場で、結界の感知に引っかかる事なく、喰われた。
「あ、ァァァァァァァァァァアアアアア! 僕の、僕の手ェァァアッ! ア、ア、ァァァァァァァァァァアアアアア!」
何度見ても無い。慣れ親しんだ自らの手が。全てを操る神の手が。これは、夢か? そうだ、夢だ、夢に違いない。
「アヘ、あへは‥‥‥そうだ、夢だ‥‥‥あり得ない‥‥‥あっちゃいけないよこんなの‥‥‥あは、あははははっ!」
なんて悪夢。どこから夢だったのか。そうか、最初からか。死なない少女など、やはり存在するはずもないのだ。ほら、よく見れば彼女は角が生えている。いつのまに帽子を脱いだのだろう。人間ではあり得ない、あれは魔族の角。
「やはり、人間じゃなかったウキャね‥‥‥」
両手ごと喰われた事で霊糸は消滅し、捕らえられていた猿妖族も解放され、露わになったマナの正体に納得した。
そしてもう一人の化け物に心底怯えた。
「狂っている。貴様はどうしようもないほど。自らの快楽の為に悪戯に命を奪う。吐き気を覚える程に醜悪だ」
マナの被っていた帽子は崩れるように零れ落ち、地に黒い染みを、影を作っていた。
「当事者同士、全て猿妖族に後は任せるつもりだったが、貴様は例外だ」
薄いようで底が見えない、のっぺりとした影。人型になり、マナとバレリアの間に直立したソレが淡々と言葉を紡ぐ。
「なるほど、素晴らしい力だ。魔力を糸状にして操り、敵を搦めとる、か。‥‥‥俺には扱えないな、難し過ぎる」
何かを確かめるように影が手を振る。空気を裂く音と共に黒い糸が何本か伸び、すぐに消えた。
「才能、か。羨ましいよ。力がある、それだけで弱者から全てを奪える。ずっと、そうしてきたのだろう。だがそれは決して悪い事ではない。弱肉強食、それがこの世界だ」
ズズズ、と影から新たな影が生み出される。それは猛毒の双蛇。バレリアと性質の近い、魔族ノイノラの魂のカタチ。
「だから、悪く思うなよ? 貴様がしてきたように、俺も貴様を、マナを傷つけた貴様を、殺したいから殺す」
獲物を睨みつける赤い瞳。そこに一片たりとも情は無かった。蛇が獲物へと飛びかかる。
「愛したい、か。なら俺が貴様に最高の愛を送るよ。せいぜいーーー喜んで逝け」
「はぇ?」
未だ悪夢に溺れるバレリアを、現実へと引き戻す一刺し。剣先のほんの少ししかバレリアを傷つけていない。それでも《闇・双蛇の絞刃》の猛毒は十全に効果を発揮する。
「あ、え、あがぎあッ⁈ ゲババババババッ!」
傷口から濃紺色の痣が全身を犯す。痛みは最大限に、そしてそれを永く永く対象に与え、嬲り殺す猛毒。嗜虐心をカタチとした唾棄すべき魔装だが、この相手には相応しい。
「ギビャァァアハァァァァァァァァァァアアアアア痛イ痛イ痛ーーーイ! 死ヌ死ヌ死ヌ死死死死殺シ殺シテ殺シテェッ! アギャギギャヒヘァッーーー!」
すでに無い両手で全身を掻きむしろうともがきもがく。だがもはや手の施しようはなく、死ぬまで毒に苦しみ続けるしかない。
切断面から溢れる血で自らの全身を染めながらバレリアは死を願った。あまりの苦痛の前には、誰しもオワリを望むのだ。
仇敵である人間のその様を見て、さすがの猿妖族も目を逸らした。
「‥‥‥嫌な気分だ。本当に、自分がどうしようもなく最低な奴になっていく」
視界にすら入れたくないとばかりにシグは背を向け、手に持つ剣をゴミのように捨て放った。
「ごめんな、痛かったろう? もっと早くこの身体を動かせたら良かったんだけど」
じっとこちらを覗くマナの頭に手を置く。同じ赤い瞳は何を写しているのか。
「‥‥‥あやま、る、必要、ない。助け、て、くれ、た。ありが、とう」
頭に乗せていた手。それをマナは両手で掴む。嫌だったのか。そう思ったが、マナは手を優しく握ったまま自らの胸に抱き寄せた。
「だか、ら、自分の、事、嫌い、になる、必要、ない」
「‥‥‥ありがとう」
力を手に入れた。だが、その事で自分が自分ではなくなっていくような不安感。
何も守れなかったあの頃とは違う、欲しかった守る力が今はある。が、本当にこれで良かったのだろうかーーー
「ッ〜〜〜⁈」
「どう、した、の?」
ごちゃごちゃとした悩みの思考が強制的に寸断された。本体に起きたダメージの為だ。
「‥‥‥いや、ちょっと雷に打たれた。大丈夫、平気だ」
「それ、大丈、夫な、の?」
「ああ。でも集中しないといけないから、こっちはまた帽子に戻すよ。すぐ戻るから」
そう言って影は再びマナの頭上へ、元々の帽子へと姿を変え沈黙した。
「‥‥‥敵じゃなくて本当に良かったウキャ」
誰かが呟いたその言葉に、その場にいたマナ以外の者が同意した。