#34
時は少し遡り、シグが人間達の拠点にたどり着いた頃。
「‥‥‥やはり任せておけないウキャ」
「お、おいモンガー!」
一体の猿妖族が立ち上がると、制止の声を振り切り走り去った。シグの命令に逆らう形だが、この場にいるのはマナのみ。
やはり特に何も反応しない彼女に他の猿妖族もどうしたらいいか分からず顔を見合わせた。
「オイラが連れ戻すウキャ! みんなはここで待つウキャ!」
そう言って追いかけて行ったのはモンバーだった。自らが生まれ育った森だけあって、木々の間を飛ぶように馳ける猿妖族二体の速さは圧巻である。
特にモンバーの身体能力は一族の中でも高いようで、先を行ったモンガーとの距離を徐々に詰めていく。
「待つウキャ! 止まれウキャ!」
「‥‥‥‥‥‥」
モンガーは後方で叫ぶモンバーをチラリと見ると前へ向き直りスピードを上げた。
「くッ! 分からず屋ウキャね!」
日が沈みかけ、暗くなっていく森。暗闇で視界が不鮮明になろうとも二体の速度は変わらなかった。
モンガーの目的地である人間共の拠点までもう少し。乗り込み、命が尽きるまで、出来るだけ奴らを排除しようと息巻くモンガーは、張られていた糸に、侵入者が来たことを知らせるバレリアの結界の存在に全く気づかず引き千切った。
「‥‥‥あそこウキャね」
奇妙な布で出来た家屋が立ち並ぶ人間共の拠点が見えた。武器すら持っていないモンガーだったが、それを気にした様子もない。瞳には爛々と憎悪の光が揺れていた。
殴り噛みつき引きちぎって殺す。歯をむき出し表情を怒りに強張らせたモンガー。
そんな燃え盛る殺意とは別の、静かな悪意に後方にいたモンバーは気付く。
「ッ⁈ モンガー!」
次の枝へ飛び移ろうとしたモンガーを、寸での所で飛び付き押し倒す。
「ウキャ⁈ 邪魔するなウキャ!」
「落ち着くウキャ! 前をよく見るウキャ!」
下で暴れるモンガーを抑えながらそう諭す。
「前⁈ 何を言ってーーー」
気付き黙る。クモの巣、それも巨大な。言われなければ、止められなければ、暗闇の中ほぼ透明なその糸に絡めとられていただろう。
「何だウキャ‥‥‥こんなクモの巣見たことないウキャ‥‥‥」
「違ウキャ、モンガー。これはーーー」
「おしいなぁ。あのまま気付かず突っ込んでバラバラ大爆ショーになると思ったのに」
夜目がきく猿妖族の二体は、声のする眼下に一人の人間が姿を現したのをはっきりと認識した。
装備という装備がほとんどない、要所要所だけ鉄のプレートで覆った若い騎士。それに比べて厚みのある両手に嵌めた手袋らしきものが目立つ。
サガンと同じユリウス直轄の騎士、バレリア・ロングシーである。
「後ろの一匹さんはどうやら感覚が鋭いらしい。他のお猿さん達は気付かず引っかかってくれたんだけどなぁ」
「に、人間ッ!」
「ッ!」
激昂するモンガーは拘束を逃れ、男へと向かおうと力を込めたが、逆にモンバーはそんなモンガーを後ろへと引っ張り、二体は立っていた枝から飛び降りる形となった。
それとほぼ同時に先程まで立っていた枝が粉々になる。その現象がクモの巣のように見えた糸状のもので細かく切り裂いたのだとモンバーは理解した。
「やるなぁお猿さん。躱すなんてね」
口笛を吹きながら感心するバレリア。モンバーは地面に着地すると油断なく周囲を見渡し忠告する。
「気をつけるウキャ! 奴は糸みたいなの飛ばしてるウキャ! 触れるだけで切り裂かれるウキャ!」
「そ、そんな! ただの糸じゃないウキャ⁈」
夜目のきくモンガーですらどこに糸があるか分からなかった。気をつけようにも認識できなければ対処のしようがない。
「モンガー、ここは逃げるウキャ。糸見えてないウキャね、それじゃ近づくのも無理ウキャ」
どうやらモンバーには見えているらしい。さすがは族長と言ったところか。自分の力の足りなさにモンガーは歯噛みする。
「‥‥‥見えなくてもなんとかするウキャ!」
「無理ウキャ! いい加減目を覚ますウキャよ!」
「うるさいウキャ!」
苛立ちから怒鳴り声を上げたモンガーに、モンバーが強く右腕で体を押した。たまらず吹き飛ばされ尻餅をつく。
「ッ! お、怒ったのかウキャーーー」
怒鳴った事に対する仕打ちかと考えていたモンガーはその認識をすぐに改める。
「も、モンバー⁈」
「‥‥‥に、逃げろ、ウキャ」
吹き出す鮮血。モンガーを押したはずの右腕が、肘の部分から消滅していた。
「へぇ、お猿さんにも仲間を庇うみたいな真似ができるんだね」
バレリアが右手の指を奇妙にくねらせながらゆっくりと近寄っていく。
「ッ〜〜〜!」
モンガーの判断は早かった。倒れかけたモンバーを抱き抱えると、火事場の馬鹿力で木々の間を縫うように馳け、その場を離脱した。
「あら、逃げるんだ」
呟くバレリアの言葉が既に届かない距離まで、二体はあっという間に移動していた。
「なぜ、どうしてウキャ⁈ オイラなんかを庇ったウキャ⁈」
自分と同じ大きさのモンバーを抱えているとは思えない程のスピードで逃げるモンガー。その表情は怒りと困惑に苛まれぐちゃぐちゃになっていた。
失血の為か、青白い顔のモンバーは、自分よりも死にそうな顔をして問いかけるモンガーに答えた。
「な、ぜ? かん、たんウキャよ‥‥‥大切だからウキャーーー」
そう告げると目が閉じられる。
「ッーーー! 駄目ウキャ! 死ぬなウキャ!」
反応はない。だが、まだ間に合うはずだ。涙をぐっと堪え、モンガーはさらにスピードを上げた。仲間達の元へと。
一人取り残されたバレリアは頭をかいていた。逃げられた事に対して悔しがっている、という訳ではない。むしろその顔はだらしなく笑みを作っており、これから行うことが楽しみで仕方ないといった風だ。
「まあ、そろそろ大掃除した方がいいだろうしね。チマチマ減らすのも面倒だったし、行くとしますか」
彼の左手。その小指から伸びる糸を愛おしそうに眺めて、バレリアは二体の去った方向へと走り出した。
勢いよく飛び出して来たモンガーに真っ先に大声をあげたのはモンユーだった。
「ヒィ〜〜〜! て、敵ウキャ! 敵が来たウキャ〜〜〜!」
足をもつれさせ転び騒ぐモンユーを無視し、モンガーは未だ意識の戻らないモンバーを抱えて叫んだ。
「だ、誰か! モンバーを助けてくれウキャ!」
「ひ、酷い怪我ウキャ!」
「血を止めないとマズいウキャ!」
ワラワラとモンバーに集まる仲間達だったが、腕の欠損という大怪我に対して治療のような高度な事は誰にも出来ない。
一体が身につけていた衣装を破き、紐状にしてモンバーの腕を縛り止血はするが、このままでは命が危ない。
「お、オイラのせいウキャ‥‥‥モンバー、オイラかばって‥‥‥すまない‥‥‥すまないウキャ‥‥‥」
堪えていた涙をボロボロと流しモンガーが懺悔する。仲間達はそんなモンガーを責めたりせず、優しく抱き寄せた。
「どうするウキャ? モンバーですらやられたとなると‥‥‥」
「やはりこの森から逃げた方がいいウキャか‥‥‥」
「森を出て生きていけるウキャか?」
「やっぱり、もうどうしようもないウキャか‥‥‥」
族長の痛ましい姿は、仲間達に暗い感情を呼び起こすには充分だった。未来を諦め、ただただ絶望してしまう。
そんな中、マナは一人じっとモンバーと、寄り添うモンガーを見ていた。そしてその視線は何かを辿るように彼らがやって来た方向へと。
「‥‥‥くる、よ」
その呟きに猿妖族は気付かず、略奪者は下準備を終えた。
この場にいる者全員が、固まってしまったかのように動きを止めた。
「ーーーな、何だウキャ⁈」
「か、身体、動かない、ウキャ!」
「どうなってるウキャ!」
あちこちで叫びがあがる。だがやはり動く者は、動ける者は誰一人としていなかった。
そんな悲鳴をカーテンコールに、舞台に上がるはバレリア・ロングシー。
たった一人で堂々と、その場に姿を現した。全員の注目を集めるように両手を大仰に広げ、宣誓する。
「やあ、こんばんはお猿さん達。僕が今日を君達の特別な日にしよう。バレリア・ロングシーによる超絶楽しい猿妖族絶滅殺戮ショーの始まりだ」