#33
バングのいたテントから出た後、シグはある方向へと歩みを進めた。その間、オブジェのように固まり動けない何人かを素通りした。
夕方ここに潜入した時に拠点で活動する全ての者の影に《魂身分離》を用いて自らの影を仕込んでいた。
先程それらを一斉に発動させ、影による拘束を行なったのだ。拠点では影に包まれ、もがく者しかいなかった。
ただ一人を除いて。
先程のテントが密集した場所と少し離れた空き地。そこに男が一人こちらを向いて佇んでいた。まさに待っていたのだろう。
鎧を着た騎士。筋骨隆々な身体と、己の力に絶対の自信があると言った表情。獲物を見つけたかのように目が細められた。
「こんばんは。君が騒ぎの元凶かな」
問いかけられ、シグは止まる。おそらくだが、この男がバングの言っていた者だろう。なるほど、彼なら自分を討てる、そう考えたのか。確かに、凄まじい圧力だ。
「あなたが、サガンですね」
「ああ、いかにも。あの豚にでも私の名前を聞いたのかね?」
バングに対し敬意の欠片もないサガンの言葉にシグは納得した。
「なるほど。あなたを拘束出来ていないのは分かっていましたが、助けに入らなかったのはそういう訳ですか」
「一応、責任者という事である程度立ててはやっていたがね。正直あのような無能な輩は嫌いでね。代わりはいくらでもいるし、君が処分してくれたなら手間が省けたというものさ」
軽く肩をすくめ、本心からであろう言葉を投げかけてくる。シグもある意味同感ではあるが、この場でそれを言っても仕方ない。
「残念ながら、殺してはいませんよ」
「そうか、まあどうでもいい事だ」
空気が一気に張り詰める。まごう事なき殺気だ。
サガンが腰に帯刀している剣を抜き放つ。同時に魔力反応。シグの頭上に拳大の魔法陣が出現、そこから雷が鳴り落ちる。
「ッーーー⁈」
躱した。そう思ったが魔法陣は一つではなかった。避けた先に設置されていた二つから落とされた雷に身体を打たれる。
視界が白ばみ、思考にもノイズが走る。
「シッーーー!」
常人ならそれだけで命が奪われる威力だが、サガンは相手を常人とは見ていない。油断なく雷によって動きを止めたシグへと電光石火の一太刀を首元目掛けて振るう。
甲高い金属音が夜闇に響き渡る。サガンの必殺の攻撃は、動けないと思われたシグが何処からか取り出した《闇・双蛇の絞刃》によって防がれた。
「ほう、アレを喰らって動けるか。しかも、我が電光の一太刀まで」
「‥‥‥いや、ギリギリでしたよ」
シグは既に《超身煌化》を使っている。そうでもしないとサガンの動きについて行けないのだ。
人間にしてこの動き。確かに化け物である。
「ここに来てからずっと退屈していた。久々に楽しませてくれ!」
洗練された剣術。それに加え魔法による雷。その二つを使いこなす圧倒的な才能と経験。戦闘の始まりからシグは防戦一方であった。
攻めるサガンは高ぶる気持ちと共に冷静に相手を分析していた。
雷による攻撃は、多少動きを鈍らせるがダメージを負っているようには見えない。身に纏っている黒装束の効果なのか、対魔力が高い事が伺える。こちらの攻撃を躱しきる反射神経も常人を超えている。
サガンが持つ魔武器は王国トップの工匠が作り出した逸品、《雷迅》。
その能力は視界内に雷を自由に発生させ攻撃を行うものと、所有者体内の電気信号を加速させ超人的な動きをもたらすものがある。
鍛え上げた肉体と、それを動かす超加速の電気信号。この雷光の如き動きについてこれる者など早々はいない。それだけでも相手が只者ではない事が分かる。
だが、勝てる。サガンは一分とない剣戦の中でそう確信していた。
「素晴らしい力だ。私とこうも剣を交える事が出来る者など、なかなかいない。しかし、君と私では決定的な違いがある」
鍔迫り合いからわざと力を流し、相手の体勢を崩す。生まれた隙を逃さず一閃。
「くッーーー」
黒い襲撃者は恥も外聞もなく後ろへ転がり避けた。やはり並みの反射神経ではない。サガンはあえて追撃せず余裕の笑みを見せた。
「君は剣を振るうのが下手クソだな。残念だよ。君の剣では私に傷一つ負わせることは出来ない」
両者にある圧倒的な差。それは単純な剣術の腕前だった。
シグの振るう剣は全て弾かれ、いなされ、反撃されてしまう。
合間合間に飛んでくる雷も厄介であった。死にはしないが、喰らうたび一瞬ではあるが視界も思考も白く飛んでしまう。
「ここまで、差があるとは‥‥‥」
相手との距離を空けてシグが呟く。分かっていた事とは言えショックだ。やはり自分に剣の才能はない。
「悲観することはない。剣の腕前なら私は王国でも五本の指に入る。ついでだ、とっておきも見せてやろう」
そう言うや否や、サガンは剣を鞘に仕舞い、腰を低くし足を開き構えた。
「‥‥‥居合?」
しかし、両者の距離は離れている。剣など届く間合いではない。一体何をするつもりなのか。
サガンの魔力反応が高まる。手に持つ《雷迅》へと込められた魔力が鞘の中で雷撃に変換。特殊な金属でできた刃と鞘が、生じた磁力により反発し、その抜刀は超電磁加速する。
「疾れ、《雷翔閃刃》!」
音すら置き去りにした超電磁抜刀。剣から迸る雷撃は刀身の延長となり、薄く鋭く速く、横薙ぎの一閃が視界内のモノを容赦なく切り裂いた。
ドゴォォォォォォ! と遅れて空気が裂かれた事による悲鳴をあげた。
会心の一撃。黒装束だけでなく、その背後にある木々もまとめて切り裂かれ、派手な音とともに崩れ落ちる。
崩落の音が止み、束の間の静寂が訪れた。
ニヤリ、とした笑みを浮かべていたサガンは、抜刀した体勢のまま、ある事に気づき固まった。
「ーーーば、馬鹿な‥‥‥なぜ、切れていない?」
木々が崩落し終わっても、目の前の黒装束は変わらず立ったままだった。
「あ、あり得ん‥‥‥《雷翔閃刃》を受けて立っているなどと‥‥‥」
信じられん、と理解が追いつかないサガンに対し、黒装束は慌てた様子もなく先程の一撃を褒めたたえた。
「ーーーすごい一撃だった。あまりに速く鋭すぎて痛みを感じない程だったよ」
何を言っているのだ、こいつは。痛みなどというレベルではない。切られたのなら死ぬべきだ。何故平然と目の前に立ち続けていられる。
「少し、自分自身の剣術がどの程度か知りたかったんだけど、やっぱり向いてない。本当に残念だ」
「‥‥‥は?」
様々な予想外、意味のわからぬ黒装束の発言。混乱するのも無理からぬ。それでも冷静さを失わなかったのは歴戦の猛者たる故か。
ーーー効いていない。ならば、あの身体は本体ではない? それとも弱点となる心臓のようなモノを捉えれば倒せるか? もしくは雷撃などの魔法攻撃に対して絶対的な耐性があるのか?
「どうしましたか? いきなり動かなくなって」
挑発するかのような黒装束の言葉に、サガンも皮肉げに返す。
「‥‥‥同じ人間のような見た目に騙されていたよ。どうやら君は特殊なモンスターの類のようだ」
「も、モンスター、ですか‥‥‥そう呼ばれるのは、ショックだなぁ」
こちらの言葉に動揺するフリすらしてくる。なんと狡猾なモンスターか。兎に角、今試せるのは刃による直接攻撃が有効かどうか、だ。
力強い踏み込みで一息に剣の届く範囲まで迫るサガン。いまだ構える様子すらない黒装束へと斬撃を見舞う。
「‥‥‥剣の技術はあなたの勝ちだ、サガン」
「なッーーー⁈」
高らかに響く衝突音。黒に染まる剣により防がれた。だが、驚きはそこではない。黒装束が右手に持つ剣は動いていない。そもそも身動き一つとっていないのだ。ならば、なぜ防がれるのか。
「ここからは、モンスターとしてお相手しよう」
剣が増えた。しかも、持つことすらしない。
黒装束の足元から生え出現した剣は自立し、サガンの斬撃を防いでいた。
「クソッ!」
剣が一本増えた所で何だと言うのだ。再度、空いたスペースへと斬りかかる。
が、それも防がれる。三本目の漆黒の剣に。
「こちらからも攻めようか」
呆気に取られる暇はなかった。こちらの攻撃を防いだ二本はそのまま、さらに四本目、五本目、六本目と黒装束の足元の影から現れた剣達がこちらを射抜かんと射出される。
ーーー少しでも傷を負えばまずい。
本能でそれを察したサガンは、先程シグがそうしたように不恰好に全力で飛び退がった。
だが攻撃は終わらない。射出された剣達には影が縄のように繋がっており、鞭のようにしならせ左右、上方の三方向から襲いかかる。
「ぐ、ガァァァァァアッ!」
ほぼ同時に襲いかかる三つの刃を、神速の斬撃で全て打ち払ったのはさすがと言える。
弾かれた剣達は黒装束の元へと戻り、周囲をフヨフヨと漂う。
「まるで蛇だな‥‥‥」
こちらに首をもたげる五本の黒剣。今にも獲物へと一斉に飛びかかってきそうだ。
サガンは不用意に近づけなくなったことに焦る。遠距離からの攻撃は効かない。かといって近距離ではあれらに全て防がれてしまう。
打つ手が見つからなかった。
「どうした? こないならこちらかーーー」
動きを見せようとした黒装束が不自然に止まる。サガンもくるか、と攻撃を受ける覚悟をしていた為、両者の間に奇妙な沈黙が流れた。
「‥‥‥あー、やっぱり難しいな。さっきみたいな単純な拘束くらいなら簡単だったけど。分けた意識の同時操作なんて、右と左同時に見ろってくらい人間離れしてるよ。精霊はすごいなぁ」
「当たり前でしょ? ブツブツ言ってないで集中しなさいよ」
独り言、だろうか。小さくてよく聞こえないが、明らかにこちらから意識が逸れた。そしてそれを逃す程甘くはない。
一撃だ。直接刃で切り込み、今度こそ殺す。
今宵一番の踏み込み。一瞬で間を縮めた。
油断しているのか、こちらへ反応する素振りすら見せない黒装束へと、上段から真っ二つにすべく剣を振り下ろす。
肉を断つ感触が確かに刃から手に伝わった。だが、綺麗に断ち切れる事はなく、刃は中程、黒装束の腹部当たりで急に動きを止められた。
「ぬッ⁈ な、なぜ⁈」
いくら力を込めようとも剣はそのまま下に振り切ることも、引き抜くことも出来なかった。
そんな悪戦苦闘する隙だらけのサガンに対し、シグはやはり反応を見せず、他の何かに集中しているようだった。
「クソッ! ならばこのまま焼き殺してやるッ!」
サガンが魔力を剣に込め、雷撃を発生させる。体内からの雷撃ならばこの化け物を殺すことが出来るはずーーー
「ッーーー邪魔だッ!」
「ヒッ⁈」
頭から裂かれ、更には雷撃で身体を焼かれる化け物からの、初めての殺意。思わず愛剣を手放しその場から逃げ出してしまう程の。
結果的にそれがサガンの命を救った。先程まで居た場所には五本の黒剣が地面に深く突き立っていた。あと少し反応が遅ければ串刺しにされていたことに冷や汗が流れる。
「‥‥‥さて、向こうの方は終わった。こちらも終わらせようか」
ズブリ、と腹に刺さる剣が沼に沈むように黒装束に吸い込まれていく。
「なッーーー!」
程なくサガンの愛剣はその姿を消した。切られ、雷撃に焼かれたはずの黒装束は、そんな出来事がなかったかのようにこちらへと歩みを進める。
武器を失ったサガンをもはや敵として見ていないのか、黒装束は全ての黒剣を影に沈め消した。
「な、何なのだ! 貴様は一体何者だ! 何故死なないのだ!」
「‥‥‥‥‥‥」
黒装束は答えず、歩みを止めず。黙ったまま、足元から一つだけ取り出した。
サガンにとっては何よりも見知った形。
黒く黒く穢され染まった《雷迅》だ。
「なッーーー! き、貴様ッ! 返せッ! それは私の剣! 王国の聖剣にも等しい私の、私のォォォオオ!」
叫び、狂ったように飛びかかってくるサガンに、シグは構えもせず鞘から《闇・雷迅》を抜き放った。
ただ、あまりにも速すぎる抜刀は、相対するサガンにすら認識できなかった。
「ーーーあ?」
サガンは間抜けな声を上げ、自らに降りかかる不思議な現象に困惑した。
黒装束へと飛びかかったはずなのに、視界の中、足元にあるはずの地面がせり上がってくる。地面はそのまま向かってくるとサガンの顔面にぶつかってきた。
「ブヘッ⁈」
痛みはそれ程ではないが、何が起きたのか全く理解できない。それよりもこの壁が邪魔だ。奴から剣を取り戻さないと。
「何をしてるんだ?」
「‥‥‥は?」
壁の向こうで見えないはずの黒装束の声が頭上から聞こえる。見上げれば、壁に垂直に立ちこちらを見下ろしてーーーいや、何かがおかしい。一体何がーーー
「そろそろ立ち上がったらどうだ? と言っても、立ち上がる為の足はもうないがな」
「な、何をッ⁈」
そして気付く。地面がせり上がってきたのではない、と。自分が地面に倒れこんだだけだったのだと。ならば、なぜ?
黒装束の言葉に立ち上がろうとし、その言葉が現実であると知らされた。
太腿から下、あるべき二本の足が無かった。
「あァァァッ⁈ なんで、なぜッ⁈ どおしでッ⁈」
無い、無い。足が、無い。その理由すら分からない。見れば遠く、身体を離れた二本の足が地面に転がっていた。
何をした? 切った? いつ?
混乱の極みにあるサガンに、黒装束は優しく告げた。
「言ったろ? あまりに速すぎて痛みも感じなかった、と。自分で喰らうのは初めてか?」
「ーーーま、ましゃかッ⁈」
武器だけでなく、技も、《雷翔閃刃》まで奪ったと言うかのか。あり得ない、あり得ないあり得ないーーー
「さて、これで俺とあなたの戦いは終わりだ。色々と勉強になったよ。次に質問だ。是非お答えしてほしい。君達は、ここで何を育てているんだ?」
痛みと困惑にもがくサガンだったが、シグの質問を受け、大人しくなった。
見下ろす黒装束を睨みつけるその表情。それは覚悟を決めた顔だった。
「‥‥‥殺せ」
端的に、話すつもりはない、そう告げるサガンにシグが食い下がる。
「それじゃあ、君達のトップの、ユリウス・ディエライトは何をしようとしているんだ?」
「ッ‥‥‥早く殺せぇ!」
ユリウスの言葉に動揺はするも、答えは変わらなかった。シグはやれやれと首を振った。
「‥‥‥見上げた忠誠心だな。なるほど、あなたから聞くことも無理そうだ。俺の用も済んだことだし、さよならだサガン」
「ぐぅ‥‥‥」
目を閉じる。だが、いつまで経っても命は絶たれなかった。ざり、ざり、と足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
「ま、待てぇ‥‥‥待って、くれぇ‥‥‥」
殺さず、このまま放置していくと言うのか。すでにこちらに背を向け遠ざかる影に手を伸ばす。
「バングにも言ったが、俺は別にあなた達に恨みなんてないし、だから殺す気もない」
「ふ、ふざけるな‥‥‥! こんな、こんな事をして‥‥‥! 許さん! 許さんぞッ! 殺してやる! 殺してやるぅぅうう!」
やはり振り返らず、だが一つだけ黒装束が最後に言葉を残した。
「あちらもそう思ってますよ」
ズリズリ、と両腕を使い無理矢理身体を動かす。黒装束は去り、辺りは静寂に包まれていた。サガンは誰か生き残りがいないか探そうとしていた。助けを求めていた。
どれほど移動したか、近くから草葉の擦れる音が聞こえてきた。誰かがこちらに来ている。
「お、おい! 誰かいるのか? 助けてくれぇ!」
サガンの悲壮な叫びに答えるように、暗闇から何者かが姿を現した。
だがそれはサガンの求めていた者達ではなかった。
「‥‥‥猿、妖族っ⁈」
「無様ウキャね、人間」
一匹だけではない。わらわらと地面に這い蹲るサガンを囲むようにして続々と現れる。
「ひ、ひぃぃいい!」
情けなく叫び逃げようとするが、足のない身では無理な話だ。地をかく右手に黒く染められた木の槍が突き立てられる。
「ギャァァァァアアーーー!」
次に左手にも。地面に固定されたサガンが悲鳴を上げた。
「まだまだウキャよ‥‥‥仲間達の‥‥‥お前らに殺された仲間達の痛みは、こんなもんじゃないウキャよッ!」
「あァァァ! 痛い! 痛いィィ! 助けて! 誰か助けてぇッ!」
太腿も槍で突き刺され、標本のようになったサガンに猿妖族は告げた。
「お前ら、楽に殺さないウキャ‥‥‥お前らがしたように、生皮剥いで、長く長く苦しませてやるウキャ‥‥‥もうこの森に人間入ってこないよう、死体は吊るして晒してやるウキャ‥‥‥」
憎悪に燃える瞳がサガンを射抜く。この場にはもはや狂気しかなかった。
「い、いやだ! イヤダイヤダッ! 誰か! 誰かァァァ! 許して、許してくれぇぇえ!」
猿妖族の一体が、何かを持ってくる。それはボロボロに血で錆びた皮剥用のナイフだった。
「あ、あ、あ! あああァァァァァァァァァァアアアアアーーー」
今宵、王国が拠点としていた居住区からは、朝まで悲鳴が響き渡った。




