#28
シグ達がカドレの森を出発して二日後。途中途中で休息を取りながら北へ進むと、前方にカドレの森程の規模ではないが、森林が見えた。
「あぁ、森が見えるな。何か食べられるモノが欲しい‥‥‥」
この二日間、水しか口にしていない。と言っても人間の身体ではなくなったシグに、同じく不死者のマナ。本来食事は不要ではあるのだが。
「何言ってんの? 別に食べなくても平気なはずでしょ?」
「違う、違うよディーネ。食べなくても生きていけるからって、食べなくてもいい理由にはならないよ。食事はそれだけで幸福感を与えてくれるからね」
「‥‥‥リカ、ンの実。また、食べ、たい」
「あぁ、あの森にあるといいね」
ふーん、と呟きディーネはシグの肩の上で足をブラブラさせた。もちろん精霊である彼女も食事は必要なく、そういった行為を一度もした事がなかった。
「ディーネも食べてみるといい。果物なんかは甘くて美味しいからね」
「その美味しいってのが良く分からないけど。まあいいわ、そこまで言うなら私をちゃんと喜ばせられるモノを用意しなさい」
はいはい、と笑って答え、シグ達は森へと向かった。
「ふーん、私の森には遠く及ばないけど、そこそこ生命力は溢れているわね」
「ディーネみたいな精霊がここにも居るってこと?」
「それはないわね。精霊が生まれるには土地自体に大きなエネルギーが必要だし。あと地脈も影響するから、そうどこにでも精霊は生まれないわ」
「カド、レの森、エネル、ギー、すご、い」
「でしょ? でしょ?」
そんなものなのかと、全く分からないシグはとりあえず頷いてみせた。見なくてもディーネがドヤ顔しているのは分かるが。
草木を掻き分け奥へと進んでいく。今の所動物達の姿は見えない。期待していた果物もこの辺りにはないようだ。
「そういえば、今俺の気配は抑えてる訳だけど。ということは前みたいに野生動物、魔獣やらに襲われるかもしれないってことかな?」
「そりゃあーーー」
ディーネの言葉が途切れる。バッ、と足元が弾けた。唐突に襲う浮遊感。視界が宙に上がる。
「な、なんだ⁈」
「わ、罠よ罠! 何原始的なモンに引っかかってんのよ!」
「おぉ‥‥‥ぶら、ぶら、する」
勢いよくシグ達を捉え吊り上げたのは蔓で編まれた捕獲罠。ぶらぶらと三人を捕まえた蔓の籠が揺れ動く。
「一体誰が‥‥‥」
シグの声に応えるように、何者かが、複数の気配がこちらに近づいてきた。
木陰より姿を現したのは猿に似た、だがそれより体躯は大きい者達。他の動物の皮で作られたであろう衣装に、手には木を削った槍を持ち武装している。猿に比べいささか知的な生物だった。
「ウキャキャキャ! 捉えた捉えた!」
「ウキャ! お前ら人間! 仲間の仇だ!」
「串刺しにするウキャ!」
物騒な事を好き勝手に喋る猿に似た者達。今にもこちらに槍を突き出してきそうだ。
「待つウキャ! こいつら人質にして、残りの奴ら追い出すウキャ!」
その中でも他よりは幾分立派な衣装を見に纏う一体が放った言葉に、他の者達の動きが止まる。
「何言ってるウキャ! 人間殺すウキャ! すぐにヤるウキャ!」
だが一体だけ言う事を聞かず、反論し始めた。
「おいモンガー! オイラの言う事聞けないウキャ⁈ ここで二人殺したとこで何にも変わらないウキャ!」
「知らないウキャ! オイラの妹殺されたウキャ! もう許せないウキャ! 止めるなウキャーーー!」
制止を振り切り、激昂するモンガーと呼ばれた一体が走り、槍を宙に吊るされているシグへと突き出した。
「ーーーさすがに黙って刺されるのは痛いからね」
槍が空を突く。先程までそこに吊るされていたはずのシグ達は蔦を切り地面に落ちていた。
どのような芸当なのか、身体に絡まる蔦の全てが細かく切り裂かれる。猿もどき達には全く理解できなかった。
「さて、とりあえず言葉は通じるみたいだし、少し話し合わないかな?」
呆然としていた彼らだったが、モンガーだけは我にかえると再び槍を持つ手に力を込める。
「ふざけるなウキィィーーー!」
今度は避けられない。そう確信し、槍を思いっきり心臓の位置へと突き刺す。確信通り、槍は深々とシグの胸へ刺さった。
「どうだウキャ! オイラ達の痛み思いしったウキャ⁈」
命を一撃で絶つ攻撃。だらんと垂れ下がる頭にそう吠えたモンガー。次は隣の女だ、と槍を抜こうとする。しかし、抜けない。
「ウ、ウキャ⁈」
死んだはずの男の手が槍をガッシリと掴み、抜けないようにしていた。
バカな、確実に死んだはず。そう思ったモンガーへと死体が、動かないはずの口を開き声を発した。
「痛いなぁ‥‥‥これが君たちの痛みか。これで、満足してくれたかい?」
死ぬはずの一撃を受け、痛いと言いながらもこちらに微笑みかける人間。いや、人間なのか?
見たことのない赤い瞳が肉食獣のようにこちらを覗く。モンガーの背筋にこれまで感じた事がない悪寒がはしった。
「これは物騒だから消しておくよ」
ズズズッ、と凄まじい力で槍が引きずられる。たまらず手を離すと槍は吸い込まれるようにその姿を消した。槍は反対側から飛び出した様子もない。文字通り吸い込まれたのだ。
「お、お前! ホントに人間ウキャ⁈」
思わず一歩退がるモンガーの後ろから、彼の仲間達が飛び出す。
「モンガー! 退がるウキャ!」
前方左右から投擲される木の槍。今度はシグに刺さることはなかった。一歩も動くことなく広げた影を鞭のように飛び出させ、槍の全てを掴み止めてみせた。
「器用な事するわね」
「それはどうも。おっと」
背後に回っていた一体がマナへと槍を投げる。それを見もせずに、マナを守るように展開された影が容赦なく叩き折った。
「ウ、ウキャ⁈ ば、化け物ウキャ!」
最期の一本以外を影に取り込み、シグは何でもなかったかのように会話を続けた。
「もう、満足かい?」
「ッ〜〜〜!」
勝てない。そう本能が告げていた。だが、ここで引くわけにはいかない。その考えを止めるかのように声が上がる。
「‥‥‥仲間の非礼を詫びるウキャ」
そう言ってシグの前に出てきたのは最初にモンガーを止めようとした者だった。槍を地面に置くとその場にゆっくりと座り込んだ。
「君は?」
「オイラは猿妖族の長、モンバーだウキャ。ここは、オイラ一人の命で許して欲しいウキャ」
「な、何言ってるウキャ!」
目を閉じ頭を差し出すように下げ、覚悟を決めるモンバーに、モンガーが駆け寄る。
「まだ負けてないウキャ! 人間なんかに頭を下げてどうするウキャ!」
まくし立てるモンガーをひと睨みして黙らせると、モンバーは彼を説得するために口を開いた。
「まだ分からないウキャ? 赤い眼をした人間を見たことあるウキャ? 二人とも人間じゃないウキャ。見た目はそっくりでも、明らかに人間より強い存在ウキャ。肩に乗れるような小人も見たことないウキャ」
「‥‥‥ウキャ」
納得したくはないが、先程の戦いにもなってない戦闘の結果から、モンガーはモンバーの意見に反対出来なかった。
「他の仲間は見逃してくれウキャ。虫のいい話ウキャが、もうオイラ達猿妖族は数が少ないウキャ。これ以上は全滅してしまウキャ」
どうか、頼む、とモンバーは仲間の為に命を投げ出すと公言した。その悲壮な覚悟に対し、困ったなと頬をかきながらシグが答えた。
「えーっと、最初も言ったけど話し合わないか。俺達はこの森に来たばかりで何の状況も分からないんだ。どうして君達が人間を憎むのか、君達がどうして全滅しそうなのか、教えてはくれないか?」
「‥‥‥知ってどうするウキャ」
相手の真意を図るように問うモンバーに、シグは優しく微笑んだ。
「それは教えてもらってから考える事にするよ。とりあえず、俺はシグ。こっちはマナ。肩にいるのがディーネだ」
「‥‥‥よろ、しく」
「別に私は仲良くなんかしないわよ? 勝手にしてちょうだい」
不思議な三人組に猿妖族達は顔を見合わせる。しばしの間の後、モンバーが一つ頷くとそれに従い他の猿妖族達も腰を下ろした。