#26
この森に生まれ、この森を守る。それが私の役割。
もう何百年になるであろう変哲のない私の生活。自然の恵みを与え、育て、見守る。外界からの脅威が現れれば排除する。繰り返し、繰り返し、繰り返し。
不満などある訳がない。私の生まれた意味は、私のやるべきことは決まっている。この森が朽ちるまで、ずっとずっとずっとーーー
私はこの森の管理者だ。だから、何も要らない。延々と、この平穏を守り続けるのだ。
見返りもなく、ただ与え、守る。それに不満などーーー
いつぶりだろうか、外の生き物がこの森に住み着くのは。
この森は内部で完結している。他の外界より食物連鎖が強靭なこの森で、ひ弱な人間、それにまだ子供の獣人では生きていくのは難しいだろう。
だが、だからと言って助けはしない。自然のやり取りや生き物同士の食物連鎖などに私は介入しない。
また、排除する程にこの森に悪影響を与えもしない彼らは、諦めてこの森から去るか、他の生物の糧になるのか。その行く末を暇つぶしくらいにはなるだろう、観察しようと思う。
外から来た彼ら。私の知らない外の世界から。
なぜわざわざ生き辛いこの森で生活しようとするのか。なぜ死にものぐるいで生きようとしているのか。
なぜ、笑顔を浮かべ、楽しそうに生きているのか。
分からない。分からない。私には分からない。
この森で生まれ、この森で育ち、この森でしか生きてない私には、分からない。
外の世界には、あんなに幸せそうに生きている者達がたくさんいるのだろうか。あんなに楽しそうに話し合える者達がいるのだろうか。
ーーーダメだ。こんな考えを持ってはダメだ。
私は、この森の管理者。この森の繁栄のみを考え行動し、いつまでもこの平穏を守るために存在しているのだから。
ーーーでも、羨ましいと思う私はやはりおかしいのだろう。
「ッ〜〜〜!」
「君は‥‥‥」
頭に重く残る光景。それが過ぎ去ると、現実の、現在の状況へ引き戻される。
具体的には顔を真っ赤にして目を見開くディーネに、次の瞬間に思いっきりビンタされ目が覚めた。
「ブフィッ⁈」
「は、ははははは、初めて、だったのに〜〜〜ッ!」
余りの力に空中から地面まで叩きつけられる。治るとは言えとても痛い。
「あ、あああアンタ! な、なぜ、なに、どうして⁈ な、なななななッーーー」
混乱の極みと言ったようにパクパクと口を閉開させ、顔から湯気を上げるディーネ。
不恰好に着地したシグがいててと立ち上がって、三度謝る。
「その、何というか、ごめんなさい。初めて、だったんだね」
「ッ〜〜〜!」
トドメを刺され、ディーネは湖へと急降下。派手な水飛沫を上げ、誰も見えない深くまで潜って消えた。
「‥‥‥悪い事をしてしまったなぁ」
「ほんと〜、あなたって〜、悪いオ・ト・コ♡」
頭をかくシグの横にシルフィが姿を現し、蠱惑的な笑みでなじる。
それに対しそっけなくシグは疑問をぶつけた。
「君はどうして一緒に攻撃してこなかったの?」
「え〜? だってぇ〜、全然殺意とか〜、敵意を〜、感じなかったから〜?」
「‥‥‥なるほど」
実は姉妹仲が悪いのかと思ってしまった事は黙っておこう。
「ん〜? 私は〜、お姉様の事が〜、世界で一番〜、大切なんですよ〜?」
「こちらの思考を読まないでください」
「あはは〜、あなたは〜、結構顔に出るタイプだし〜?」
本当におかしそうに笑うシルフィだったが、その笑みを引っ込め、感情のこもってない表情をこちらに向ける。
「だから、お姉様を泣かせたり悲しませる者には容赦しない」
「‥‥‥‥‥‥」
初めて、この掴み所のない精霊の、本気の心を見た気がした。
「だったら、まさに俺は君に容赦なくやられる対象になっちゃうのかな」
「いえ〜? 別にお姉様は〜、ビックリしただけで〜、粛正の対象では〜、ないかな〜?」
「そ、そうですか」
判断基準がイマイチよく分からないが、とりあえず助かった。
とは言え、酷いことをしてしまったことに対して本人に許しを得るのは難しいだろう。本当ならもう一度きちんと本人を前に謝罪したいが、この場合もう会わない方がいいのかもしれない。そうだな、うん。
「それって〜、ヤリ逃げって〜、言うんですよ〜?」
「‥‥‥とりあえず邪魔したね。すぐにここから去ります。ほんとすぐに」
これ以上シルフィの側にいるのは辛い。悪魔とはまさに彼女の事を言うのではないだろうか。
「行こうか、マナ」
「用は、終わ、り?」
「ああ、気配についてはこれで抑えられそうだ。どう?」
「‥‥‥いい、と、思う」
精霊の持つ自然と一体化する術。魔法ではなく体質と言っていたが、まさにその通りだ。ディーネと《闇の婚約》を交わし、能力を共有することで気配は抑えられたはず。ジュディエムに気づけたマナのお墨付きなら大丈夫だろう。
「あら〜、私には〜、キッスして〜、行かないんですか〜?」
「俺を何だと思ってるんですか」
「ん〜? 手当たり次第に〜、可愛い子を〜、手篭めにする〜、ケダモノ〜?」
「‥‥‥とりあえず欲しかった気配を無くす術は手に入ったので、あなたに口づけをする必要は全くありません」
「あら〜、ざ〜んね〜ん」
ちっとも残念そうに感じないシルフィに背を向け、森の外へと足を進める。
「あ〜、ちょっとだけ〜、待ってね〜。ほら、きた〜」
「えっ?」
シルフィの声に振り向くと同時に、湖面から何か小さい物が飛び出し、綺麗な放物線を描くとこちらに落ちてきた。
「‥‥‥宝石?」
「き、れい」
透き通るような青。内部は本物の水を閉じ込めたかのように流動し、淡く光を反射する。掌に乗るサイズの宝石をマジマジと観察していると、なんと宝石が声を発した。
「何ジロジロ見てんのよこの変態ッ!」
「うわぁっ!」
あやうく落として割るところだった。すんでのところで拾いあげ、もう一度宝石をよく眺める。
「‥‥‥だから、あんまりジロジロ見ないでよ」
「その声は、ディーネなのか?」
答えるかのように、宝石からディーネが現れる。
元の大きさではなく、宝石と同じくらいの大きさの、ちっちゃいディーネが。
「えぇ? 何これどうなってるの?」
「おに、んぎょう、みた、い。かわ、いい」
「好き放題言うな! こら、突くな! や、やめなさい!」
つんつーんとマナが小さいディーネにちょっかいを出す。ディーネは自分の顔と同じサイズのマナの指先を押し返そうとするが、力の差があり過ぎてされるがままである。
「だから、これ本物? 何が何やら」
マナとディーネのやり取りから目を外し、シルフィに助けを求める。
「この宝石は〜、お姉様の一部であり〜、本人そのものでも〜、あるって感じ〜? 本人は〜、湖の底に〜、今も〜、引きこもってるけど〜、これを媒介に〜、分身を出してる〜、って訳〜」
つまり、自身の身体を宝石として分けているということ、なのか?
「精霊ってすごい。仕組みとかよく分からないけど」
「まあ〜、人間如きじゃ〜、理解は無理〜、みたいな〜?」
「分かった。君やっぱり俺の事嫌いでしょ」
あはは〜、と誤魔化すシルフィは放っておいて、いつの間にやらマナの手に捕まった小型ディーネに問いかける。
「それで、どうしてディーネはこの宝石を?」
「‥‥‥それは、その、あ、アレよアレ」
「アレ?」
「そ、そうよ、アレよ!」
「アレって、何だ?」
「あ〜、もう! だから! アレよ!」
そっぽを向いてわたわたと手を動かし、なにがしかを伝えようとしているが、全く伝わってこない。
「そ、そう! 私の力を共有したと言っても! まだその扱いがよく分からないんでしょ! そうなんでしょッ⁈」
「は、はいっ!」
否定を許さないディーネの鬼気迫る圧迫感に突き動かされ肯定する。
「だ、だから! 私が着いて教えてあげようってことよ! 感謝しなさい!」
「は、はいっ! ‥‥‥はい?」
何とおっしゃったのかこの小人妖精は。
「何よ‥‥‥そんなに、嫌なの?」
心底ショックを受けたように目を潤ませるディーネ。その顔は反則ではないだろうか。
「い、いや、嫌じゃない、です、はい」
「ほんと⁈ じゃあよろしくね!」
一方的に告げるだけ告げると、光の粒子となり姿を消した。サラサラと粒子は宝石へと入り込んでいった。
「あっ‥‥‥もうちょっ、と、触り、たかっ、た」
「気に入ったんだね、マナ」
すごく残念そうである。そういえばこのくらいの女の子は人形遊びが好きだもんな。ディーネはすごく嫌そうだったけど。
「じゃあ、この宝石、というかディーネを連れて行っていいってことか?」
「お姉様が〜、そう決めたなら〜、私としては〜、特に反対は〜、しないって感じ〜? 本人というか〜、本体は〜、ちゃんとここに〜、残ってるし〜?」
「そうですか」
何だか厄介なモノを押し付けられた気がしないでもないが。けれど、彼女の心を覗き見た立場としては、その償いにはなるかもしれない。
「それじゃあ、一緒に外の世界へ行こう、ディーネ」
返事はなかったが、代わりに宝石がキラリと光ったような気がした。