#25
シグの話が終わる頃には夜も明け、登り始めた太陽が大地を照らす。その後ずっと起き続けていたマナが眩しそうに目を細めシグの背中に隠れる。
「もう朝か。そうだな、大体の話は分かった」
情報を整理するようにしばらく空を仰ぎ、そしてシグへと真っ直ぐに顔を向けジュディエムは問う。
「だが、一つ確認したい。その子の、マナちゃんの父親は魔王であり、お前の兄を殺した者。お前はそれでもその子と一緒にいるのか?」
まるでこちらの覚悟を試すかのような問いかけに、シグもまた真っ直ぐに答えた。
「それを言ってしまえば、俺の兄はマナの父親を殺した憎い相手って事にもなるんだけど。そうだね、その辺の事は既に分かり合ってるよ。その上で俺達は一緒にいる」
ガルドアが言っていた《闇の婚約》とやらは、マナと俺とを繋ぐ契約。それは力だけではない。契約時、互いに互いを知った。深層心理と言えばいいのか、深くまで相手の事を理解した。
そして分かった事は、マナはまだ幼い。肉体ではなく精神が、七年もの間誰とも接する事も出来ず暗闇に閉じ込められていた為に成長していない。
その上、まだ彼女の心はヒビ割れたままだ。憎むという感情も芽生えぬ程ズタズタに。そんな彼女は誰かの助力なくては生きていけない。
死なない身体だとしても、だ。
「分かった。そこまで自信を持って言うんならいいさ。しっかり守ってやれよ王子様?」
「王子様ってガラじゃないよ。ジュディエムみたいに俺には華がないし」
ジュディエムはやれやれ、とばかりに両手を上げて首を振ると、真剣な顔に変えて尋ねる。
「それで? これからどうするつもりなんだ?」
「‥‥‥それを悩んでる」
「まあ、行く当てなんかないよな。俺が今やっかいになってる村が近くにあるが、今のお前じゃあ無理だな。気配がデカ過ぎる。同じ魔族じゃなくても分かるよ」
「そんなにか」
「ああ。その胸にある《闇の刻印》だっけか。それ自体が強い力の気配ってやつを垂れ流しにしてるからな」
なるほど。だからこれをマナが持っている時は、ノイノラはすぐにマナを見つけられたという事か。
逆にシグが持っていた時には、ガルドアすらマナのことを目にするまで気づけなかった。
「だからお前がこれからどこに行こうが魔族はお前の位置なんかすぐ分かっちまうし、魔族じゃなくても脅威を感じちまう。それをまずなんとかしないとな」
「気配‥‥‥か‥‥‥」
何かを考え込むシグへと、ジュディエムは立ち上がり声をかける。
「さて、そろそろ俺は行くよ。一緒にいてやりたいのは山々だが、俺にもやるべき事があるからな」
「やるべき事?」
そう問うと、爽やかな表情に一瞬暗いモノがよぎった。
「ああ‥‥‥まあな。本当ならお前にも色々話してやりたいが、まだお前はお前で抱えているモノがあるからな。余計なお節介かも知れないが」
「いや、その通りだと思うよ。ジュディエムの言う事は、女関係以外は正しい事ばかりだった」
「ったく、生意気になっちまいやがって。まあ元々そうだったか。次にもし会うことがあれば、そうだな、その時にお前が俺が認められるくらいデカくなってりゃ、話すとするよ。とりあえず、生きててくれて良かった」
それじゃあな、と何気ない日常のように気軽に別れを告げると、高位の魔導具だろう透明化のマントを被り、ジュディエムはそのまま立ち去った。
「さて、俺達も行こうか」
気配が完全に消えた後、シグは眠そうなマナにそう告げた。
「どこ、に?」
「ああ、まずはーーー」
「で? 何で戻って来たわけ?」
ぶっす〜とした表情で湖の上に浮かぶディーネに、どうしたものかと頭をかき、決心して頼む。
「ディーネ。君に頼みがある」
「頼み? ここに住み着こうってのは断ってたわよね?」
「ああ、それとは別だ」
この身に宿す《闇の刻印》その気配が大きいのであれば、その気配をなんとかできないか。そこで思いついたのがーーー
「君達精霊の、気配を消すことの出来るその術を、俺に教えてくれないか?」
「‥‥‥何ですって?」
「わたしたち〜、精霊の〜、気配がないことに〜、気付いたから〜、それを〜、教えてほしいって〜☆」
「分かってるわよそんなのはッ! ややこしくなるからあんたはどっか行ってなさいよッ!」
ガルルと吠えられシルフィがやーんと笑顔で離れていく。本当に仲の良い姉妹だ。
「それで? 理由は大体分かるけど、それを私が教えると思ってんの?」
「どうしても必要なんだ。頼む」
頭を下げて頼むシグに、ハァと溜息をついてディーネが口を開く。
「まず、私達の気配がないのは単に魔法だとか技だとか、そういったものじゃないわ。体質、と言えばいいかしら。自然と一体化してる私達は何処にでもいるようで存在しない、空気みたいなものよ。だから、教えることは不可能」
「‥‥‥なるほど、そうなのか」
「理解したならさっさと去りなさい。この森をあんな溶岩地帯に変えられたらたまらないわ」
シッシ、と手を振り出て行けとあからさまに仕草で伝えるが、シグはうーんと悩み悩み悩み、マナへと困り顔を向けた。
「‥‥‥ごー」
やれ、とマナからもシグのやる事へ許可が出た。
「やっぱり、それが一番の解決方だよね」
今度はシグがハァと溜息をつき、ディーネに向き合う。
「教えてもらえないのは仕方ない。だけど、どうしても必要なんだ。だから、先に謝っておくよ。ごめんなさい」
空気が変わる。シグの真剣さに、ディーネも何をこれからしようとするかを察する。
「‥‥‥なるほどね。貰えないなら奪うしかない、と。シンプルでいいんじゃない? けど、私を簡単に殺せるなんて思い上がりも甚だしいわ!」
ディーネが両手を掲げる。それに呼応するように湖がせり上がり、うねりを上げ、水の竜が生み出された。しかも、前回とは違いその数八頭。これが本気ということか。
「私に敵対するというなら容赦はしないわ。死なない身体だからと言って調子に乗らないことね!」
腕を振り下ろす。それだけで圧倒的な水量の暴力がシグへと襲いかかる。
それに対して、シグは慌てる事なく胸に手を当てた。
「《魔装顕現》」
八つの顎がシグを喰らい付くさんと迫る。が、その全てがシグに触れた途端に蒸発した。
「《闇・煉獄の轟斧》」
現れるは燃え盛る灼熱の斧。《闇の支配》により全体が黒く染め上げられたガルドアの魔装。生み出された炎も黒く燃え上がり、その熱量は簡単に水の竜を退けた。さしものディーネもその様子に焦りを見せた。
「チッ! 魔族の武器か! ならば!」
魔族の力は強大であるが、弱点もある。聖属性が付与される攻撃には弱い。森の精霊であるディーネには多少なりともそれが扱える。
「"我が恵みは汝に祝福を与え、我が試練は汝に苦難を与えん。我を崇め、我を恐れよ。神なる者は常に汝の隣人である"!」
ディーネが歌うは聖唱。これによって付与される聖なる力は魔なる者への特攻、耐性を宿す。
「"神水龍の逆鱗"!」
先程の数で押す攻撃ではなく、一に力を込めた攻撃。生み出された龍の姿も、その威圧感も先のモノとは全く違う。
「消し飛びなさい!」
聖なる水の龍が、森の外まで貫く程の速さと力で一直線に飛ぶ。逃げる暇もないその攻撃に対し、シグは斧を盾にするように自らの眼前に突き立てた。
「開け! 《闇・煉獄の轟斧》!」
地面に突き立った斧、その中心にある炉の扉が開かれ露出する。暗く輝く炉が高速回転。強大なエネルギーを生み出しさらに高温の黒炎を発する。
炎の盾に水の龍がぶつかる。幾分かは蒸発するも、今回は聖属性が付与された為か、形も勢いも失わずに炎を飲み込んだ。そしてそのまま森を突っ切っていき、外までいくと形を崩した。
「‥‥‥やってしまったわね。倒した木々を戻さないと」
己の森を自らの力で破壊してしまったことに苛立ちながら、戦闘の構えを解く。解いてしまった。
「なッーーー!」
ディーネの下、湖面に映る影から伸びた無数の黒糸。油断したディーネを縛り拘束する。
「あの派手な斧は、陽動⁈」
龍とぶつかり合う瞬間に、斧はそのままにシグ自身は影に潜り、龍が生み出した影からディーネの影へと移動していたのだ。
「でも、このくらいで!」
力任せに拘束を剥がそうとする。だが、一瞬遅い。
「ごめんね」
黒糸を伝い現れたシグがそう言って身を近づけた。
「くッーーー」
喰い殺される。目の前の略奪者に。
そう覚悟して目を瞑ったディーネに、襲いかかったのは不器用な口付けだった。