#19
19
ーーー9年前.レストニア王国.某所
それは何処にでもある風景。幸せな風景。
住宅街の一角、共通の庭での兄弟の姿。
「見せて見せてー!」
「だから、この剣は大切な時にしか抜いちゃダメなんだって」
「兄ちゃんのけち! じゃあじゃあスパーって剣振ってよ!」
「仕方ないなぁ」
困りながらも満更でもない兄は鞘に収まったままの剣を構えて、流れるようにそれを振るった。
幼いながらも、その動きがとても洗練されたもので、兄の腕前はとにかくすごいという事だけは何となく分かった。
「すげー! カッコいいー! ねえねえ兄ちゃん! 俺にもやらせてよ!」
「ダメダメ。まだシグには早い。そうだなぁ」
そう言うと、少し考えた後、一度家に戻って何かを取ってきた。
それは小さな木刀だった。兄が昔修行と称して自ら削り作ったもの。
「これをお前にやろう」
「えー! 本物の剣がいい!」
文句を言う俺に、兄は木刀を押し付け、頭にポンと手を乗せて言った。
「俺も最初はうまく剣なんて扱えなかった。でもこれで沢山練習して、今じゃ王国一と言われるようになったんだ。だから、シグもこれで毎日練習すれば、きっと俺みたいになれるよ」
「ほんと? ほんとにほんと?」
「ああ、約束しよう」
「分かった! 俺がんばるよ!」
嬉しそうにはしゃぐ俺を見て、微笑む兄。だが、その顔が少し寂しそうだったのは鮮明に覚えている。
「なあ、シグ。もう一つ約束だ。俺にとって、お前も母さんも、とても大切な家族だ。何よりも守ってやりたい。でも、今俺は王国の勇者に選ばれ、魔王を倒しにいかないといけない。この国の、みんなを守る為に」
「‥‥‥それが、どうしたの?」
「だから、シグ。側にいれない俺の代わりに、母さんの事、頼んだぞ」
「任せてよ! 俺、修行して兄ちゃんより強くなるから! お母さんだって守ってみせるよ!」
ああーーー頼んだぞーーー
夕日を背にした兄の顔が赤に飲まれ消えていく。
そこにもう兄の姿はなく、代わりに泣きべそをかく俺がいた。
「やーい! この悪魔!」
「お前の兄ちゃんが裏切ったから、いっぱい人が死んだんだぞー!」
「裏切り者の弟も裏切り者だー!」
「どっか行けよこの悪魔!」
投げられる石。投げられる罵声。
辛かった。石をぶつけられる事じゃない。叩かれ、蹴られ、それでも誰も助けてくれない事じゃない。
あの優しく強い兄を、馬鹿にされる事が辛かった。
そして何よりーーー
「ごめんね‥‥‥ごめんね‥‥‥シグ‥‥‥」
そんな傷つく俺に対して、何も悪くない母さんが涙を流し、俺に謝る事だった。
日に日にやつれ、前のような花が咲いたような笑顔も消え、俺に謝り続ける姿に、俺は行き場のない感情で一杯だった。
そして、そんな辛い日々も終わりがきた。
赤い。赤い赤い真っ赤っか。生まれてずっと過ごしていた家は轟々と真っ赤に染まった。
みんなで過ごした居間も、もらった時は嬉しくてはしゃいだ一人部屋も、寂しくて何度も行った母さんの寝室も。
全てが全て、気付いた時には赤に包まれていた。
熱い。アツイ。アツイアツイアツイーーー
外から聞こえる大勢の声。悪意のこもった忌まわしき声。
ーーー悪魔だ悪魔だ燃やしてしまえ
ーーー裏切り一家は皆殺し
ーーー全て燃やして消してしまえ
耳を塞いでも響いてくる。あまりの憎悪に気が狂いそうになる。
フラフラとしながら廊下を歩く。ああ、コケてしまった。ぼんやりと見上げる天井は、いつのまにか近くまできていてーーー
「ーーーねえ、シグ」
母さんの声に、意識が戻る。体がイタイ。突き飛ばされたのだ。誰に?
声のする方へ顔を向ける。そこには大好きな母さんがーーー燃え落ちた天井に押しつぶされた母さんがーーーこちらを見て微笑んでいた。
「ごめんねーーーあなただけでも、生き延びてーーー」
「お、おかあーーー!」
周りの壁が、限界を迎えたのか燃え盛りなかまら倒れていく。動けない母さんへと。
「あなただけは、優しかったお兄ちゃんの事、覚えていてあげてーーー」
もうそこには炎しかなかった。真っ赤な真っ赤な最期の光景。それが母さんの最後の言葉ーーー
そう、そうだった。俺はいつも、誰かに助けられて生きてきた。
失いながら、辛い思いをしながら、それでも俺はーーー
脳裏に浮かぶ走馬灯が消える。
目の前には獅子が。ガルドアが、口を開け言葉を発する。
「力を得て舞い上がったか? 何でも出来る気になったか? 何かを成そうとする意志、何かを奪ってでも遂げたいという覚悟、貴様にはあるか? その力はそういうものだ。ゼグルド様にしか許されぬ、唯一無二の絶対の力!」
ガルドアの咆哮の如き問いに呼応するように、炎は勢いを増す。手の中の弱者はグッタリと力無く崩れ落ちた。
「ーーーさあ、その力を返すが良い」
見つめる先でピクリと、黒焦げの手が動いた。手だけでなく、顔も。ゆっくりと、燃やされながらも、こちらへと顔を上げる。
破壊と再生を繰り返す肉体、その眼光が、炎よりも鮮やかな赤い瞳が、確かにこちらを力強く睨んだ。
「む?」
予想に反した行動に対し訝しむガルドアへと、シグの口が動く。
「‥‥‥俺は、死ね、ない。俺は、死なない!」
拘束からはい上げた両腕を伸ばし、ガルドアの手を力強く握り、吼える。
「俺が死んだら! 誰が優しかった兄を! 最後まで辛い思いしかしなかった母さんを! 幸せな人生があったはずのアイシェ達を! 誰が覚えていてやれるんだッ!」
今まで触れる事すら叶わなかった影が、シグの身体から溢れ出る漆黒の闇が、ガルドアの腕に纏わりつく。
「無かったことになんかさせない‥‥‥この世界で、みんなはちゃんと生きていた‥‥‥それを、俺が証明する。クソッタレなこの世界に、刻んでやる!」
ーーーだから、邪魔をするな!
「ぬうッ⁈」
影がガルドアの右手を締め付ける。思わぬ反撃に手が緩み、シグは解放された。
地に落ちるシグへと、もう一方の左拳で殴りつける。
「なッ⁈」
驚きの声。拳は止められた。まだ再生の終わらぬ身体、黒く炭化した右腕一本で。
「お前は言ったな。この力を、使いこなせていないと」
燃えるのにも構わず、止めた拳を握り返し高らかに宣言する。
「ならば俺が使いこなせるまで、永遠にでも踊ってもらうぞガルドア!」