#13
痛み。様々な方向へ曲がり、内側から骨すら突き出す左腕。右手の失った箇所から溢れかえる血。そして今、胸に突き刺さされた刃の鋭い痛みと、同時に身体中を巡る新たなそれ以上の激痛。
だが、それらを一瞬忘れた。
目の前に、立ち塞がるようにして現れたマナを見て。マナへと視線を奪われて。赤い瞳に、意識の全てが吸い寄せられたかのように。
「‥‥‥な、んで」
「‥‥‥約束、したから」
貫かれた箇所からは血の一滴も流れていない。
何事も無いように、マナは胸元を晒す。
そこには、不思議な痕が。
見る者であれば、それが魔法の刻印だと分かっただろう。それもーーー
「あなた、に、あげ、る」
両手をその部分に押し当てると、刻印は消え、代わりに光が生まれる。
それを、シグの胸へと押し付けた。
「ァーーーーーー」
死。死。死。
死死死死死死死死死死死死死ーーー
「な、何をしているのですッ⁈」
ノイノラの叫びは闇に飲まれた。シグを、その胸に宿った刻印を中心に、側にいたマナをも巻き込んで、闇が二人を包み込んだ。
抜くことが出来なかった剣を手放し、ノイノラは大きく飛び退く。
「これ、はーーー! この紋様はーーー!」
闇は柱となり空へと伸びる。そして、遥か上空に魔法陣を、巨大で禍々しい黒い光で描いた。
それは誰もが知っている紋様。
かつて大陸を我がモノにしようとした王の象徴。
「《闇の刻印》ですと⁈ 馬鹿な! な、なぜ⁈」
闇に飲まれたシグは、自らに起こる変化に耐えきれなかった。
今まで感じて痛みなど、些末な事に思える程の、これは、何だ、痛み、違う、身体で感じられるモノでは、ない。
自分という存在そのものが、悲鳴を、あげる。
壊れ潰され引き千切られ混ぜて砕いて溶かしてーーー
ああ、消える。これが、死ーーー
「あな、たは、生き、て」
暗闇の中、唯一光る赤い二つの宝石が、シグの眼前に現れた。
同時に、柔らかく暖かいモノが唇へと、そして体内へと入り込んだ。
ーーーシグの眼前に、ある光景が浮かび上がる。
『ねえ、マナちゃん。一つ、お願いがあるんだ』
「ア、アイシェ! ルイシェ! ロイシェ!」
目の前に三人が抱き合っていた。悲鳴のように名を呼ぶが、彼女たちの反応に変化はない。
「生きていたのか⁈ なあ、みんな!」
シグの声は届かない。シグであり、シグでない自分の口が勝手に動いた。
『‥‥‥おね、がい?』
マナの声。マナの声が自分の口から発せられた。
「これは‥‥‥俺じゃない‥‥‥マナの‥‥‥」
『うん。もしもね、私達がシグの側にいれなくなった時は、出来ればでいいんだ、シグを助けてあげてくれないかな?』
『‥‥‥たす、ける?』
『シグはさ、今生きる意味を私達にしちゃってるから。ああ見えてさ、弱いんだ。初めて会った時も、勝手に私達を助けてさ、その割には自分の事なんてどうでもいいみたいな目をして。その時はあまりに腹が立ったからぶん殴ってやったけど』
『‥‥‥』
『だからね、もし私達がいなかったら、シグは多分またそんな風になっちゃうと思うんだ。でも、そんなのはイヤ。私達はシグにたくさん幸せをもらったから。だから、お願い』
真っ直ぐにマナを、シグを見て、アイシェは想いを伝える。
『生きてーーー生きていれば、きっと幸せになれるからーーー』
「アイシェーーーッ!」
目の前にいたみんなが消えた。もう二度と戻らない光景。
悲しみに浸る間も無く、暗闇は新たなものを映し出した。
『ーーー大丈夫だよ、マナ』
シグの記憶にない声。逆光で顔は見えないが、優しさに満ちた声色だった。影がこちらに手を伸ばす。どうやら頭を撫でているらしい。
『パパ?』
『これから、マナにはとても辛いことが起こる。パパの事を、嫌いになるかもしれない。でも、許して欲しい』
『きらいに、なんて、ならないよ。マナ、パパのこと、大好きだもん』
『‥‥‥ありがとう。ありがとうな。パパも、マナの事が大好きだ。世界で一番、愛してる』
ギュッと強く抱きしめられる。
『パパ? 泣いて、る?』
『ははは、パパは泣き虫だからな』
『だい、じょうぶ。なきむしなパパも、すき』
『ありがとう。ーーーそれじゃあ、お別れだ』
『えっ?』
影が離れる。堪らず手を伸ばすが、届く前に身体が闇に飲まれていく。
『マナ。私の大事なマナ。これから起こる事を、どうか乗り越えて欲しい。絶望に襲われても、どうか、どうか』
『パパ! パパ!』
『ーーー生きて、生きてくれ。そして、どうか幸せになってくれ』
『パパーーー!』
視界が暗闇に覆われ、沈む。
何もない。何も見えない。世界も、自分も。
真っ暗なこの場所で、少女は叫んだ。助けを求めた。だが、誰もいない、自分しかいないこの場所で、その事実に気付いた後も、叫び続けーーーいつしか少女は諦め、心は壊れ、闇に全てを委ねた。
七年もの間、彼女は何一つ無いこの場所で過ごしたのだ。
『生き、るって、何? しあわ、せって、何?』
振り返ると、そこには成長した、いや、今現在のマナがいた。
『パパ、は言っ、た。しあわ、せに、なって、くれ、と。アイシェも、言っ、た。生きて、いれば、しあわ、せに、なれる、と』
『‥‥‥‥‥‥』
『わから、ない。わたし、は、それが、わから、ない』
『あな、たは、分かる、の?』
悲しい、瞳。虚ろな、瞳。何もかもが壊れて、それでも、欲している。生きる、意味を。
『‥‥‥アイシェは、バカだよ。俺は言ったじゃないか。幸せだって。君と、君達といれるだけで、俺は、幸せ、だったんだ‥‥‥』
『‥‥‥幸せ、もう、ない?』
『ーーーああ、今は。だけど、言われたからね。俺も、君も。じゃあ‥‥‥探そう』
『探せば、見つ、かる?』
『ああ、いつか、また、きっと。アイシェに、怒られてしまうからね』
向き合う。絶望に染まる瞳に負けないように。
『俺は、俺自身の為に。そして君の為に、もう一度生きよう』
手を伸ばす。マナは、前と同じように、恐る恐る、だがしっかりと手を握ってくれた。
ーーー儀式は成った。