#1
カドレの森は迷いの森。人からも亜人からも忌み嫌われた魔物の住処。一度入れば弱者はあっという間に淘汰される世界。
ーーーそんな森に、いるではないか、人間が。
おそらくはまだ成長しきっていない人間の雄。肉の量は少ないが、狩りの手間を考えれば美味しい獲物と言える。
思わず舌舐めずりをしてしまうが、すぐに狩りの態勢に移る。気配を消し、背後へと回る。
無防備に歩く背中を見つめながら、仕留める算段を立てる。まずは組み伏せ、爪で一気に首を刎ねる。身体能力の低い人間ならばこれだけで十分だ。
呼吸を整え、機を伺う。獲物がこちらに気づいた様子は一切ない。他の獣がこちらに来る前に仕留めなければならない。
いける。そう判断したウォーウルフは身を潜めていた茂みから一気に飛び出し、予定通り人間を背中から組み伏せーー
「グオッ⁉︎」
突如背中に衝撃を受け、襲いかかろうとした人間が視界から消える。
そして自らが何者かに組み伏せられ、地面に顔を叩きつけられたことを理解した次の瞬間には、ウォーウルフの意識はそこから永遠に閉ざされた。
「うまくいったね、シグ!」
ウォーウルフの切断された首を掲げながら、嬉しそうに声を出したのは頭頂部に獣の耳を生やす亜人の少女。
「さすがはアイシェだね。これで3日くらいはなんとかなりそうだ」
シグと呼ばれた少年はそう言うとウォーウルフの死体を背中に担いだ。
「へへーん。狩りなら任せてよ」
「悪いね。アイシェばかりに任せて」
得意げに言うアイシェに、少しばかり申し訳ないと告げるが、キョトンとした後にすぐに笑みを見せる。
「なーに言ってんのさ。危ないのは囮になってるシグの方だし、こういうのは適材適所ってやつでしょ?」
ウォーウルフを仕留めた長く鋭い爪でシャシャッと空気を裂きながら問いかけるアイシェに同意を込めた苦笑で返す。
実際に人間のシグよりも亜人であるアイシェの方が、暗く足場も悪い森の中でも縦横無尽に動け回るし、獲物を仕留めるための武器も備えているからだ。
「さて、帰ったら火を焚かないと。5日ぶり出し、みんなお腹空かせてるだろうから早く用意してあげないとね」
「だねー。 解体は私達でパパッとやるから! 火はよろしくー!」
迷いの森の中で、食べることのできる物は限られた。木の実や果物などがたくさん生える場所は獣の縄張りとなっており近づけない。そのため手に入れられるのは少量だ。
なので、メインとなるのは肉。今回の様なウォーウルフやズーオークなど、比較的小型の、それも集団から離れた個を狩猟しなくてはならない。そんな個が現れるのも稀である。ここで生きる為の食料問題は解決の兆しなどない。
「周囲に気配はない?」
「‥‥ない! 急いで入ろう!」
シグ達はある木の根元で周囲を確認すると、落ち葉で覆われた一角に手を突っ込み、何かを引っ張り上げた。それは人一人分の木の大きさの板。木の根元にある穴を隠すためにシグが作り上げたものだ。
急いで穴の中に入り、板を元に戻す。一瞬外光に照らされた穴の中もすぐに暗闇に覆われてしまうが、亜人であるアイシェの眼は闇の中でも見通す事ができる。何も見えないシグはアイシェに手を引かれ、背中の獲物を落とさないよう転けないよう、注意して奥へと進んだ。
「おかえりなさーい!」
「お‥‥おかえりなさいです‥‥」
「わっはっは! 帰ったぞルイシェにロイシェよ! 今日はご馳走だぞー!」
「わーい! やったー!」
シグには全く見えないが、足元にぶつかってきたのはアイシェの妹のルイシェであることは今までの経験から分かった。
「はーやーくー! 食べたーい!」
「はいはい。じゃあ灯りをつけるから、持って来てくれる?」
獲物をその場に置きながらルイシェにあるものを取ってもらう。シグがそれを受け取ると、数秒の後暗闇に光が灯る。
「まぶしいー!」
暗闇に慣れた目を刺激され、ルイシェが抗議の声を上げる。光を発生させているのはシグが手に持つ一振りの剣であった。正確には剣が収まっている鞘。そこに刻まれた魔術紋様がシグの魔力を通すことで発光しているのだ。
「それじゃあ火起こし場まで行こうか」
「はーい! じゃあ私がお肉運ぶねー!」
「ぼ‥‥ぼくも、運ぶの、手伝う」
「えー? ロイシェは力無いから私だけでできるもーん!」
そう言うとルイシェはロイシェを置いてさっさと獲物を引きづりながら奥の火起こし場へと向かって行った。慌ててロイシェもそれに続く。
「双子なのに、二人は全く性格が違うなあ」
「はははっ! まあ二人とも元気だからいいじゃん! じゃあ私は串とか持って行くから先に行ってていいよ」
姉であるアイシェと妹のルイシェは活発な所がとてもよく似ている。その点弟のロイシェは大人しく口下手で、喧嘩すればいつも負けてしまう。同じ男として同情するが、シグも口が達者な方ではないので、如何ともし難い。いつも心の中で助けてやれなくてすまないと謝るばかりだ。
「分かった。先に行ってるよ」
すでにあの双子は火起こし場に着いているかもしれないな、とシグは剣の灯りを頼りにゴツゴツと足場も不安定な洞窟の奥へとゆっくり向かった。