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五 通夜の夜

 通夜が終わり、祖母の実家の人達や保科の両親も帰っていった。本当の親族だけになり、智章はホッとする。


 保科の叔父は兎も角として、その親は本当に苦手だったからだ。彼らにとって医者でない者は人間では無いのではないかと疑ってしまう。


 祖父の葬式の時に『こちらには智章くんがいるから心強いでしょう』と祖母に言っていたのが、医者にはならないと決意していた智章にはグサッと胸に突き刺さったのだ。


 叔母が女の子しか産めなかった嫌味にも取れる言葉でもあると、その当時は高校生だった智章は、酷い人達だと感じた。


 今回は保科の両親も百合の言葉通りかなり弱っていて、医者にならなかった智章に嫌味を言う元気もなかった。


「賢治さん、飲み直しましょう」


 母が妹の夫に媚を売っているのを見て、智章はこの性癖はどうにかならないのかと拳を握り締める。


 座敷に座ったままの二人を横目に、台所へ向かう百合を追いかける。


「百合叔母さんは夕食も食べてなかったでしょう」


「そうねぇ、いっぱい残っているから、みんなで食べましょう」


 中の間に折り畳み式の座敷机を運んで、寿司桶の残りを四人でつまむ。


 智章は通夜の前に寿司桶一人前は食べたのだが、周りを親戚に囲まれていたから食べた気がしなかったので、手を伸ばす。


「少し多めに注文していたから、賢治さんも食べてね」


 勧められる前から当然の如く薔子は、寿司をつまみながらビールを飲んでいた。


『なんもしないくせに、本当に横着者なのだから』


 腹が立つが、今は母と喧嘩をしたくないので我慢する。今夜は、祖母のお通夜なのだ。



 残りの寿司をつまみながら、通夜に相応しい八重の思い出話しになった。


「お母さんは紫の着物が好きだったわねぇ」


 病院から白の装束に着替えさせて貰って連れて帰っていた八重に、いつもは仲の悪い姉妹だが、この時ばかりは意見が一致して、お気に入りの紫の訪問着を被せて納棺したのだ。


 智章も祖母を思い出す時は、いつも紫の着物を着ている姿だった。メトロのホームに一瞬現れた祖母もそうだったと、ビールを一口飲む。


「お母さんは自分に似合う色を知っていたのよ。色が白く見えるし、上品な感じがするから」


「そうだねぇ。酒井のお母さんは美人で有名だったそうだよ。うちの父などからよく聞かされたものだ」


 暫くは賢治も思い出話しに加わっていたが、酔っているので車は駐車場に置いて、港にいつもいるタクシーで帰った。



 こうして三人だけが家に残った。お腹もいっぱいになり、お茶を飲みながら奥の座敷で線香番をする。


「ねぇ、おばあちゃんが亡くなった時間っていつ?」


 智章は、メトロのホームでおばあちゃんの声を聞いた時間ではないかと感じていたが、本当の身内だけになってから質問した。叔父とはいえ賢治はやはり血が繋がっていないので、こういう微妙な話はしにくいのだ。


「倒れたと病院から電話があったのが三時ぐらいだったかしら? それからお姉さんに連絡をとって、病院へ駆けつけたのよ。その時は、まさかこんな事になるとは思ってもみなかったわ」


 庭で倒れたと聞いたので心配はしたが、まさか亡くなるとは思ってもいなかったのにと百合は愚痴る。それは薔子も同感みたいだ。


「私が病院に着いた時には、どたばたしていたわ。百合からは倒れたとだけ聞いていたから、びっくりしたわ。何人もの先生や看護婦さんがいっぱいで、お母さんには会えなかったのよね」


「そうだったわねぇ。どうせ駄目なら静かに見送りたかったわ。死亡時間は七時半ぐらいだったかしら? それから、色々な手続きをして、家に連れて帰ったのよ」


『七時半?』


 智章は首をひねる。おばあちゃんの声を聞いたのは、十時を回っていたからだ。


「昨日から寝てないから疲れたわ」


 そう言うと、薔子は座布団を二つ折りにすると枕にして、行儀悪く寝転んでしまった。


「お姉さん、風邪をひくよ」


 百合は、眠たくても母親の側に居たいのだろうと、毛布をかけてやる。こういった祖母と同じ親切心は母には受け継がれていないと、智章は今更ながら忌々しく感じる。


「叔母さんも疲れてるでしょう。俺が線香番はするから……」


「良いのよ。最後だから、少しは親孝行しとくわ」


 祖母に迷惑ばかりかけていた母が寝ているのに、真面目な叔母に恐縮する。


「おばあちゃんが家に帰ったのは、何時頃なの?」


 亡くなった時間では無かったが、もしかして? と尋ねる。


「そうねぇ、もう十時を過ぎていたかもしれないわねぇ」


 家に帰ってから、自分に声をかけにきたのかと智章は、もう一度手を合わせる。


「何かあったの?」


 百合は智章の特殊体質を知っている。だから医者にならなかったのを承知している数少ない一人だ。


「おばあちゃんが会いに来たんだ……」


「そうだったの……だから、あなたは死因を知りたかったのね」


 自分が婚家に遠慮して、母の面倒を見ていなかった事に引け目を感じていた百合は、智章の死因に拘る態度に少し苛々していたのだ。


「未だ見えているのね。大人になったら見えなくなるとばかり思っていたけど……お姉さんは見えなくなったと言っていたから……」


 この厄介な特殊体質を智章に受け継がせた本人は、呑気に微かな寝息をたてている。


「お母さんは結城の憑座の血を引いていたから……私はさっぱりだったから、助かったわ」


 八重の実家の結城では憑座が時々産まれていたのだ。それで、昔は近所の人々から恐れ敬われていたそうだ。


 しかし、通夜に来た人達にはどうやら受け継がれていないと智章は肩を竦める。


「こんな厄介な体質! 早く消えて欲しいよ」


 祖母には命を救われた智章だが、耐震偽装の件で他の社員よりダメージを多く受けたのも、この特殊体質のせいかもしれない。


 面と向かっての苦情も辛いが、家でのローン返済についての喧嘩のシーンなども上乗せされたりして、ダブルパンチ状態なのだ。


「もしかして智くんが家に帰って来なくなったのは、何かあったの?」


 高校二年の時に祖父が亡くなり、その後、何回は鞆の家に帰っていた智章だったが、大学二年生から全く寄り付かなくなった。


 おばあちゃん子だった智章が、年寄りの一人暮らしになったのに放置しているのを、百合は前から怪訝に感じていたのだ。


「うん……なんでか知らないけど、大学二年の夏休みに帰った時におじいちゃんに叱られたんだ。医者にならんのか? ってね。無理なのは知っている筈なのに……」


 はぁ~と、百合は深い溜息をついた。


「どうして医者という人種は、医者以外の道は認めないのかしら。それにしても、葬式や、初盆ならわかるけど、お父さんも出てくるの遅いわ!」


 確かに、高校生の時に進路を変えろ! と出てくるならいざ知らず、大学二年になってからでは遅すぎる。智章も何年も経った今なら呆れる余裕が持てる。


「もしかして、大人になったら見えなくなると思って出て来たのかしら? 見えなくなったのなら、智くんに医学部を受け直して貰いたかったのかも。だって、頭は良いのだから」


「いや、いや! 出て来たのが見えてる時点で駄目じゃろう。無理じゃ」


 百合と話しているうちに備後弁が智章の口から出てくる。十五歳まで鞆で 育ったのだから当然だ。


「もしかして、智章は未だ女を知らないの?」


 寝ていた筈の母から、微妙な質問をされて、智章は真っ赤になる。


「黙って寝てろ! そんなの親に報告する必要なんかないわ!」


 ふふ~ん! と寝転んでいる薔子に笑われて、智章は誤解されるのも嫌なので「知ってる!」と叫ぶ。


 人づきあいの苦手な智章だが、大学生の頃に付き合った彼女ぐらいはいる。ただ、あまり長続きしなかったのは、母の血かもしれないと密かに悩んでいたのだ。


「ふうん? 憑座は処女じゃないといけないと思っていたわ。お母さんもお父さんと結婚してから、変なもんは見えなくなったと言っていたから」


「もしかして、お姉さんが男好きなのは変な物を見ないようにするためなの?」


『まさか?』と、智章は驚く。


「さあねぇ、違うとは思うけど……私は医者になれなかったコンプレックスを持って育ったから、何となく頭の良い人に魅かれるのよ」


 智章は母の男遍歴を思い出し、何人かは賢いとはいえないのではないかと眉を顰める。特に現在一緒に住んでいる上原翔平は、若さと顔だけで選んでいるじゃないかと、内心で罵った。


 しかし、百合は姉の言葉に大きくうなづく。


「そうやねぇ、私も理系はさっぱりだったから、医者にはなれなかったものねぇ。真里が医学部に合格した時は、本当にホッとしたわ」


 話は横にそれたが、医者の家に産まれ子どものプレッシャーを薔子も百合も受けていたのだと、新たな目で見る。


「智くんは頭も良かったし、理系だから、お父さんは期待していたのでしょうね。でも、こればっかりは仕方がないわ」


 うん! と、叔母の優しい言葉に智章は無言で頷く。しかし、ガバッと座り直した薔子が難癖をつけ出した。


「智章、今からでも医学部を受け直したら? ちょっとぐらい変な物が見えても、無視したら良いじゃない。お母さんの遺産も入るし、学費ならどうにか工面できると思うけど……」


 何を言い出すのかと呆れるが、百合も良いかもしれないと期待した目で見ている。


「智くんが医学部に行くなら、私も援助するわ」


 智章は冗談じゃないと、慌てて否定する。


「今から? 無理だし、したくないです」


 現役の受験生でも無いし、元々、医者になりたいと思ってもいないと智章はキッパリと断る。この母親に曖昧な態度などしたら酷い目に遭わされるのは、二十五年の人生でわかっているのだ。


 十五歳の時に、大阪で一緒に暮らそうと言われた時に、嫌な予感がした智章だったが、やはり親子で暮らすのが良いと口説かれた。家族ごっこは二年しか続かなかった。


「なら、今の仕事に満足しているの? ニュースで聞いたわよ。凄い騒動になっているじゃないの」


 ウッと痛いところを突かれて、智章は黙り込む。


「お姉さん、大きな建築会社だし、智くんは関係ないよ。えっ? 違うの?」


 庇ってくれる百合の言葉にズシンと落ち込む。その騒動の後始末をする部署に飛ばされて、ストレスでメトロに飛び込む寸前まで追い詰められていたのだ。


 智章は、ばたんと行儀悪く座敷に寝転ぶ。黒い天井を見ているうちに、こういった木造建築を守りたいから建築士になったのにと愚痴りたくなった。


「お前は頭は良いけど、要領が良くないから、会社勤めには向かないのよ」


 本当に痛いところをつくのが薔子は上手い。人付き合いの苦手な智章は、会社で上手く渡れているとは言えないのだ。


 智章が無視して目を瞑っていると、姉妹であれこれと勝手な事を話し出した。


「そういえば、この家はどうなるんやろ」


「智くんが継いでくれたら良いのだけど……でも、東京で就職しているし、無理かなぁ」


「どうも、あの子は後始末を押し付けられているみたいだから、会社を辞めて帰って来るかもしれないわよ」


 智章もこの酒井の家を潰したくはない。人が住まなくなると、家はあっという間に廃墟になっていくのを、智章は大学の古民家再生サークルで何度も目にしていた。


『会社には嫌気がさすけど……辞めたとしても福山に帰る選択肢は無いよなぁ。東京で再就職しようかと思っていたけど……』


 あれこれ話している姉妹に寝返りして背を向ける。


 智章は、行儀悪く寝転んだまま、あれこれ考える。この家を護りたいとは思うが、祖父が出てきて『医者にならんのか?』と嘆かれるのも困るし、現実問題として就職先があるのかも不安だ。


 今度こそは自分がしたい仕事を選びたいと智章は考えていたので、選択肢が多い東京の方が有利に感じる。しかし、東京暮らしを選ぶと、この家は廃墟へと転がり落ちてしまうかもしれない。


 智章がぐずぐず悩んでいると『智くん……』と、遠慮がちな祖母の声が聞こえた。


「おばあちゃん!」


 寝転んでいた智章が、ガバッと立ち上がり、棺の前の線香が消えかけているのに気づいて、新たな線香を立てるのを姉妹は驚いて見ていた。


「しまったわ! 話に夢中になって線香番を忘れていたわ」


「一番若い智章が線香番をしたら良いのよ。百合も疲れているでしょう」


「俺が線香番をするから、二人は休んで下さい」


 智章は祖母が何か伝えたいのでは無いかと感じたので、はっきり言って邪魔な二人には寝て貰いたい。何となく、薔子と百合も、そんなニュアンスを感じ取る。


「そうねぇ、明日もあるし、少し横にならして貰おうかしら」


 百合が中の間に布団を敷いて、二人は眠りだした。



 こうして智章だけが、棺の前で線香番をすることになった。


『おじいちゃんが出てきたら困るけど……まぁ、どうにかなるだろう』


 生きていた頃は、智章が医者にならないことを納得していた筈なのに、何故だろうと首を傾げながら、新しい線香に火をつけた。

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