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四 お祖母ちゃんのお通夜で……

 さっきの女子高校生の言葉で智章は祖母の死因により疑いを深め、医師である保科賢治に詳しく尋ねようと座敷に意気込んで向かったが、そこには彫刻を施した立派な棺が鎮座していた。


「こんなに立派な棺を選んだっけ?」


 父親の写真が自分にそっくりだったショックでグダグダだった智章は、祭壇や盛花の選択を叔母に任せたが、こんな如何にも高価そうな棺を選んだ記憶はない。ぼんやりとはしていたが、同じ席について聞いていたのだから確かだ。


 その立派な棺には、あろうことか龍と鳳凰が舞い、牡丹がビッシリと彫られている。百合が選んだのは、もう少し控え目な彫刻がほどこされた中の上あたりの棺だった。


「ああ、喪主様もいらしたみたいですね。では、納棺の式をおこなわせて頂きます」


 さぁこちらにと座布団を示されたが、智章は確認しないと喪主の席になどおちおち座れない気がする。


『もしかして、ぼったくり葬儀社なのか? こんな高価そうな棺を選んだ覚えはないぞ』


 母や叔母が何も言わないので、若いとはいえ喪主の智章が思い切って問いただす。


「あのう、この棺ですが……間違っていませんか?」


「なんやて、間違えなんか?」


 母の驚く声が沈黙の中に響く。関西弁なのが耳慣れず、きつい感じがして、百合は責められたように感じる。


「お姉さん……だって……」


 座敷に微妙な空気が流れたが、コホンと咳払いして葬儀社の人が答えた。


「先程、保科の奥様から電話で注文があったのです。急な変更でしたのでお伺いするのが遅くなりまして、申し訳ございません」


 智章は、百合叔母さんが自分や母の前では控え目な棺を選んだのを後悔して、自分の判断で立派な棺に訂正したのだと溜息をつきたくなる。このままでは、また姉妹喧嘩が勃発する。


 祖母との最期の時を平穏に過ごしたいと智章は考え、豪華すぎるとは思うが、百合の判断に従うことにする。


「そうだったのですか。では、納棺の式をお願いします」


 案の定、薔子は不満そうに鼻をフンと鳴らしたが、流石に母親のお気に入りだった紫色の訪問着などを目にすると、涙を浮かべた。


 葬儀社の人の説明のまま、智章は渡された菊の葉っぱを水につけて、そっと祖母の唇を湿らせながら、末期の水をとった。


「お母さん……」


 普段は仲の悪い姉妹だが、お互いに協力して細々とした副葬品を選んだり、白い脚絆などを置いていく。


 智章は、納棺された祖母が段々と自分の知っていた祖母からかけ離れた存在になっていくのを呆然と見つめていた。


『おばあちゃん……本当に死んだ』


 棺の中の白い絹の上で横たわる祖母は、さっきまで布団の上で眠っていた時とは違って、よそよそしく感じる。


 気まぐれで帰省し、すぐに出ていく母親を追いかけて泣いている孫を抱きとめてくれた祖母ではなく、智章が知らない八十年を生きた八重という人の亡骸だった。


 智章が知っているのは、八十年の内の十五年、いや大学二年までは少しは会ったので、二十年ぐらいの八重に過ぎない。


『その八十年の人生はどの様に幕を引かれたのか?』


 葬儀社の人と化粧品は棺に入れては駄目なのかと揉めている姉妹を呆れて眺めている叔父に尋ねることにした。


「あのう、叔父さん? 祖母は何が原因で亡くなったのでしょう?」


「私も詳しくは知らないが、庭で倒れていたのを誰かが見つけてくれたようだね。さほど血圧も高くはなかった筈だけど、目眩でもしたのか、何かに蹴つまずいて転んだのだろう。頭を打って、救急車で鞆総合に運ばれた時は、まだ意識もあったみたいだが……頭部CTなどを撮っている間に急に容体が悪くなったようだ」


 医者とはいえ、祖母を診ていた訳でもないし、救急車で運ばれた病院に勤めてもいないので詳しくは無さそうだと智章はがっかりした。しかし、叔父は医者らしく、母や叔母とは違い、担当した医師から詳しい説明を受けていた。


「頭部の傷は表面だけで死因では無いと、救命医は言っていたよ。CTの画像も見せて貰ったが、脳内出血など無かったのは確かだ」


「なら、何故?」


 祖母の急な死が納得できない智章の肩を叩いて、賢治は「寿命なんだよ」と医者らしく無い言葉を発した。


「でも……」


 確かに年齢からも寿命と言われても仕方は無いが、何か病院で急変するような治療ミスでもあったのでは無いかとの疑問が湧き出てくる。そして、賢治は医者の仲間として庇っているのでは無いのだろうかとまで智章は疑い始めた。


「まだぐずぐず言ってるの? ほんまにおばあちゃん子やったんやから」


 金属は棺に入れられないと葬儀社の人に言われて、渋々化粧品を祖母に持たせるのを諦めた姉妹が、智章と賢治の話に入り込む。


「何? 智くんはお母さんの死因に疑問でもあるの? もしかして、私がもっと世話をするべきだったとでも言いたいのかしら」


 母の揶揄には肩を竦めてスルーした智章だったが、叔母の被害妄想的な発言には慌てて誤解だと弁解をする。


「まさか! 俺こそ、何年もおばあちゃんに会いに帰って来なかったのに……ただ、何故、亡くなったのか知りたいと思っただけなんだ。それと、庭で倒れていたおばあちゃんを誰が見つけたのか? 誰が救急車を呼んだのか? 分からないから、もやもやしちゃって……」


 自分こそ不孝者なのにと、智章は頭をうなだれる。


「そうだよなぁ。いきなり死なれたら、何故だか知りたいよな。お義母さんは何か薬でも飲んでいたかも?」


 自分の患者ではないが、薬を見れば何を患っていたのかわかる筈だと賢治が言い出したので、ここでも百合が台所の水屋の引き出しから薬袋を取ってきた。


「わぁ、おかあさん、かなりの薬を飲んでいたのねぇ。知らなかったわ」


「ほんまやわ」


 姉妹が驚いている間に、医師の賢治は薬袋から薬を取り出すと、厳しい顔になった。


「百合、薬手帳は無いか? 後期高齢者の健康保険証などがしまってある場所に一緒に置いてないか?」


「あなた……わかりました。探してきます」


 薔子と智章は、何があったのかと心配そうに顔を見合わせる。


 百合が、祖母がいつも使っていたハンドバッグの中から薬手帳を見つけて来た。


「やっぱり! お義母さんは心臓の薬を飲んでいたんだ。それもかなり前からだな」


 その薬手帳には二年前から心臓を患っていた証拠があった。


「そんなぁ、お母さんは何で言ってくれなかったのかしら?」


「この薬は軽い不整脈の場合にだすから、きっと心配させたくなかったのだろう。それにしても、一言ぐらい……」


 水臭いと嘆く賢治だったが、医者といっても整形外科に相談しても仕方が無いと祖母は思ったのだろうと、そこにいる全員が思った。


 しかし、祖母の死因はわかったものの、まだ智章にはもやもやが残っていた。


『あの女子高校生は誰なのか? お母さんが言っていたように、単に見つけたのに放置したのを謝っただけなのか? それともまさか……おばあちゃんを殴った? それは無いよなぁ? えっ、有りなのか?』


 門の前に立っていた女子高校生は、制服のイメージもあるが清楚に見えた。その女の子が、小柄な祖母に暴力を振るうとは智章には思えなかったが、ニュースでは有り得ない事件も流れている。



 葬儀というのは、悲しむ暇もないが、ましてやもやもやしている暇もない。祖母の実家関係や保科の両親なども通夜に参列するのか、次々とやってくる。


 寿司屋から桶が何個も届くと、百合が慌ただしく動きだす。


「智くん、ぼんやりしてないで、机を並べるの手伝って」


 奥の座敷には祭壇が組まれているが、中の間と前の間に折りたたみの座敷机を何脚か並べて、通夜の前に簡単な食事をとるようだ。


 こんな時に薔子はすっといなくなる。そして、座敷机の上に寿司桶が並び、ビールやコップなどが置かれた頃に、喪服姿ですっと現れて、男の人に注いでまわったりするのだ。


 喪主という名前だけの智章などは、百合の指示でこき使われているというのに、薔子は男の人にビールを勧めながら、自分もしっかりと寿司を食べている。


「智くんも食べとかないと……それに、そろそろ喪服に着替えなきゃ」


 そういう百合も寿司など食べていない。


「叔母さんは?」


「私は今夜はここに泊まるつもりだから、お通夜の後でゆっくりと食べるわ。あなたは、お昼も食べていないんでしょ」


 普段の帰省なら新幹線の中でお弁当を食べるのだが、今回はそんな気持ちにならなった智章だ。


「なら、頂きます」


 できれば座敷ではなく、台所で一人で食べたい智章だったが、百合はさっさと寿司桶とお汁を運んでしまう。


 座敷では薔子が親の通夜とも思えぬほど愛想を振りまいていた。智章は、自分の母親ながら本当に苦手だと、寿司を黙って食べる。



 寿司を食べたら、ざっと片付けて通夜の始まりだ。こんな時は、身内だけなので簡単に済まされる。


 慶弔用の座布団を並べて、親戚が血縁順に座ると、酒井家の檀那寺である光龍寺の僧侶が到着した。


『えっ、誰?』


 今まで盆や彼岸に拝みに来ていた馴染みの僧侶が来るものばかりだと思っていた智章は、若い僧侶に驚いた。


「この度は急な事で……」


 喪主である智章の前に座った僧侶に見覚えがあった。


「きっちょむ?」


 同級生と再会して思わず渾名を口にした智章に、目で笑って頭を下げる。


『本当に彼奴だ! あの悪たれ小僧が坊主? 民話のきっちょむさんみたいに知恵はあったけど……』


 お寺の息子である吉川信高だが、兄がいるから坊主にはならないと言っていた気がする。智章が不確かな記憶を掘り返しているうちに読経が始まった。


『まぁ、俺も医者を継がなかったのだから、お寺を継ぐのも嫌がる人もいるだろう……そう言えば、俺の血縁上の父親も坊主だったんだな』


 育ててくれた祖母のお通夜だというのに、何を唱えているのか意味不明なお経より、あれこれと煩悩大爆発の智章だった。

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