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二 葬儀準備

「お姉さん、遺影はどれにする?」


 中の間から叔母に呼ばれて母が立ち上がったので、やれやれやっと祖母とゆっくりとお別れができると智章は思ったが……甘かった。


「そんな年寄り臭い写真なんかお母さんも嫌がるわ」


「でも、実際に年をとっているのだから、あんまり若い頃のは変じゃない?」


 中の間で祖母の遺影を巡って姉妹が争いだした。


「ねぇ、このくらい若い時の写真でもおかしく無いわよねぇ」


「そうですねぇ。そのような場合もございます」


 甘い声で葬儀社の人に同意を強要している母の声に、耳を塞ぎたくなる。男と見れば、総て自分の味方だと思い込んでいる母の態度に嫌気がさし、智章は変な写真を選ばれたら嫌だと、祖母の側を離れて話し合いに参加する羽目になった。


「この度はご愁傷様です。こちら様が喪主様ですか?」


「えっ?」


『喪主』という言葉の重さに驚く智章だったが、母も叔母も当然の如く頷いている。


「酒井の家の男は智くんだけだから、当然でしょう」


 叔母としては、スキャンダルをおこしてバツニ? もしかしたらバツ三? になった姉よりは、父親不明ではあるが、酒井の家で十五歳まで育った智章の方が喪主として相応しいと考えている。母は、喪主なんて面倒臭いものは息子に押し付ける気満々だ。


「でもおじいちゃんの時は……あっ、おばあちゃんが喪主だったのか」


 何度か結婚と離婚を繰り返し、今は酒井の姓に戻っている筈の母だが、息子の智章でも喪主はさせられないと感じる。


 それからは、祖母の死を悼む暇は智章には無かった。葬儀社の人と色々と決めなくてはならない事が山積みだったのだ。


「祖母は親族だけの通夜と葬式を望んでいたと聞きました。だから、それでお願いします」


 質素で最低限の葬儀をしたいと祖母は考えていた筈だと智章は思うのだが、さて祭壇とか盛花だとか選べとカタログを広げられたら困ってしまう。


 その上、一々叔母と母は対立し、金額面でも考え方が違い過ぎる。この面は、密かに母の方に同意したくなる智章だが、実際に福山に住んでいる叔母に任せる方が良いのかもしれない。


「それでご遺影は、どちらにされますか?」


 葬儀社の人も姉妹喧嘩には業を煮やし、一つずつ喪主という立場の智章に決めさせることにしたようだ。


 中の間の座敷机の上に散乱している写真の中から、叔母と母が選んだ二枚の写真を突きつけらる。


『どちらも……おばあちゃんらしい』


 本人の写真なのだから当たり前だ。確かに母が選んだ写真は、育ててくれた祖母のイメージと一致する。


 しかし、奥の座敷で横たわっている祖母とはかなり違う気もする。


「あのう、葬儀が終わったら、祖父の遺影と並べるんですよね。二人が同じ年頃に見えた方が良いと思うのですが……」


 ハッと姉妹は顔を見合わせ、姉の薔子が動かないのは知りきっている百合が仏壇の前の父親の写真を持ってきた。


 全く横着者なのだからと、智章は嫌気がさすが、祖父の写真は亡くなる十数年前の物みたいだ。


 智章は、十五歳でこの家を離れる前、一緒に住んでいた頃の厳しくて不器用な優しさを時々見せた祖父を思い出した。


『ごめんね、お医者さんにならなくて……』


 祖父が自分にこの診療所を継いで欲しいと願っていたのは智章もわかってはいたが、それはどうしてもできなかった。そして、その件の負い目とあの大学二年生の時の事件があって、鞆に足が遠のいていた。


『おばあちゃんに、もっと会いに来ればよかったな。おじいちゃんには真剣に謝ったら、許して貰えたかもしれないのに……』


 そんな感慨に浸っている場合では無い。またもや姉妹喧嘩が起こりかけている。


「ほら、見てよ! お父さんのも若いのを選んでるやろ? この横に、あんたが選んだお母さんの写真を並べたら、気を悪くするわ」


「でも、このお母さんの写真はいくらなんでも若すぎない?」


 机の上に祖父と祖母の写真を並べる。祖父の写真は羽織を着ていたが、それは合成写真らしい。しかし、どうも正式な写真みたいな印象だ。


「ねぇ、二人で写っている写真は無いの? このおじいちゃんの写真は何かの記念じゃ無いの?」


 またもや姉妹はハッと顔を見合わせる。仲が悪いくせに、何処か共通点もあるのだ。


「そういえば、なんとなく素人のスナップ写真ではないみたいね」


「そうだわ! これは誰かの仲人をした時の写真だわ」


 一枚ごとになっている婚礼関係の写真の厚紙を何枚か開いては、違うと、そこらへんに投げ散らかす母親に呆れる。


「ちょっと散らかさないでよ。あれ……これは……お母さん!?」


 拾い集めた写真の中に文金高島田の母親と羽織袴姿の自分に良く似た男が緊張した引き攣った笑顔でおさまっていた。


「こんな写真! お母さんったら、未だ残していたのね。あんた、あの人にそっくりだわ。今日、座敷で見た時も、そう思ったのよ。ああ、嫌だ」


 葬儀社の人がコホンと咳払いして、二人は目的を思い出して次々と写真をめくる。智章は、今まで顔も知らなかった父親が自分にそっくりな事にショックを受け呆然としていた。


「あっ、これやわ! お父さんの写真!」


 仲人をした二人が静かに微笑んでこちらを見つめている。祖母は裾に模様のある黒留袖、祖父はモーニング姿だ。


「これなら修正もいりませんね。お借りします」


 黒留袖の上半身には柄がないので、このまま遺影にできると葬儀社の人は写真を紙袋に入れる。



 初めて見た父親の写真でショックを受けた智章は、祭壇や盛花は叔母に任せた。


 大阪に住んでいる母や東京暮らしの自分より、この地の常識に合わせた方が良いだろうし、婚家への面子もあるだろうと判断したのだ。と言えば格好が良いが、智章は初めて見た父親の写真に衝撃を受けて、それどころでは無かったのだ。


『男と逃げて離縁されたと聞いていたけど……俺の父親は逃げた相手では無かったのか? 法律では離婚して半年以内に出産した子供は前の夫の子供となる筈だけど、何故、酒井の姓なのか?』


 頭の中でぐるぐると疑問が巡っていた智章だが、簡単な見積り表を葬儀社の人から差し出されて正気に戻った。


「えっ? こんなに?」


 喪主の自分がこんな高額な葬儀代を支払うのかと、智章は驚愕する。


「あほやねぇ。お母さんの貯金があるでしょ。お父さんの遺産をお母さんは半分もらったんだから」


「あっ、そうか……でも、亡くなったら銀行預金は引き下ろせないのでは?」


 ホッとした瞬間、銀行預金が凍結されるのを思い出す。サラリーマンとしての蓄えはあるが、ここまでの金額は無い智章と、派手な生活をしている薔子はお互いに肩を竦める。


「私が立て替えとくわ」


 流石、金銭面では頼りになると、薔子と智章は頭を下げる。



 葬儀代の人が帰った後で、盛大な姉妹喧嘩が勃発した。


「お姉さん? お父さんの遺産は? まさか全部使ったわけじゃないでしょうね」


「あんなもの、とっくに無くなったわ」


 そう嘯くと、真っ赤なマニュキアを施した指で煙草に火をつけた。


「お姉さん、お母さんは煙草が嫌いだったのに! それに、何に使ったんよ」


「私が貰ったお金を何に使おうが、あんたに文句を言われる筋合いは無いわ」


 智章が大学に進学できたのも祖父の遺産のお陰だ。この件でも肩身が狭い。


「百合叔母さん、俺の大学の授業料とか下宿代とかで……」


 奨学金という借金を背負わずに済んでいる件では、唯一、母に感謝している智章だった。


「何を言っているの? 智くんには、お父さんが進学の為にとお金を残してくれていたのよ……まさか、智くんには遺産を渡してないの?」


 父親の件といい、祖父の遺産の件も寝耳に水だ。


「まぁ、良いじゃない。大学も出て、立派な社会人になったのだから」


 ぷふぁ~と煙草の煙を吐きかけられて、流石に智章も腹を立てる。祖父が自分の為に残してくれたお金をつまらない男に使ったのかと思うと、腑が煮えくりかえりそうだ。


「男に幾ら使ったんだよ」


「そんなこと、あんたに言われたくないわ」


 大阪で再婚した母に十五歳の時に引き取られたが、一緒に暮らしだして二年もしないうちに他の男と逃げ出したのだ。


 その男ともとっくに別れ、今はかなり年下の翔平という男と暮らしているらしい。男遍歴が激しいのに辟易して、東京の大学へ進学してからは、母とは絶縁状態だった。


「お母さん! 遺産のことは使ってしまったのなら仕方がない。でも、一つ聞きたいことがある。俺の父親は誰なんだ?」


 気まずい沈黙が降りた。しかし、薔子はフンと結婚式の写真を投げて寄こした。


「あんたは性格まであの人に似てきたわ! 優柔不断なところまでね。今頃になって……ふん、大嫌いやわ」


「お姉さん! それは言い過ぎやわ」


「何も知らないくせに偉そうに言わないでよ。保科の家に染まって、体裁ばかり気にして暮らしているけど、娘はどうしのよ。祖母の葬儀にも来られないの?」


 自分が窮地になると他の人を攻撃して矛先を逸らす母の作戦に、叔母がまんまと引っかかり、従姉妹がアメリカの大学で研修中なのだと言い訳を始めるのを、智章は冷めた目で見ていた。



 色々な荷物を持って葬儀社の人達が来て、姉妹喧嘩は終わった。元々、座敷の三間には大きな家具は置いて無かったが、座敷机や屏風などを脇の座敷に運んだり、黒白の鯨幕を鋲で張りめぐらせると、そこはにわかにお通夜の会場らしくなった。


「納棺はいつにいたしましょう?」


 簡単な白木の祭壇と盛花に囲まれて、布団で眠っている祖母だけがお通夜の準備ができていない。


「賢治さんが来るのは三時過ぎになるから、それからでお願いします」


 母が叔母に嫌味を言う前に、智章も喪主という立場を盾にして「祖母との別れをゆっくりとしたいので」と押し切った。


「お寺様が来られるのは七時ですから、六時には食事を終えときませんと」


 納棺が遅くなるのを葬儀社の人は嫌がったが、四時ならなんとか間に合うだろうと決まった。




 自宅での通夜と葬儀だが、身内だけなので簡単だと智章は思っていた。


 しかし、僧侶に幾ら包むのか? 通夜の食事、葬式の前のお伽、そして精進上げなど、お布施と食事を決めるだけでも大変だった。


 特に、母が『美味しい物じゃ無いと嫌だ』と文句をつけるので、叔母との間に立った智章は祖母の葬儀で無ければ逃げ出したくなる程のストレスを受けた。


 その上、人が八十歳まで生きていると、それなりに付き合いがある。いくら身内だけだと言っていても、近所の人や祖母の友人がお弔いに来るのを断ることも出来ない。


 近所で評判の悪い母は台所にすっこんでしまい、叔母がお茶などを接待する。人付き合いが苦手な智章も一緒に台所に居たかったが、叔母に捕まった。


「智くんはそこに座って線香の番をしといて」


 智章は、祖母の枕元にある線香を絶やさぬように番をしながら、お弔いに来た人に頭を下げる。


 医者にならなかった引け目や特殊な事情だけでなく、東京で就職することを選択したのは、この濃厚なご近所付き合いが苦手だったからだと、こんな場所に座らせた百合叔母に文句をつけていた。


『私生児』『淫乱な薔子』『また結婚したみたいだ』などと幼い自分に聞こえても平気だと侮ったのか、ランドセルを背負って坂道を登っている時にも何人か固まった主婦達が噂話をしていたのを思い出し、ギュッと膝の上で拳を固める。


『きっと父親知らずの子が喪主だなんて、酒井の家も落ちぶれたものだと嗤っているのだろう』


 針のムシロに座らされた気分だったが、意外なことに口うるさかった人も年を取り、前のスキャンダルなども忘れたように穏やかに祖母に別れを告げ、喪主の智章にも礼儀正しく接する。


『おばあちゃんは尊敬されていたんだ……そのおばあちゃんの死因は何なのか? いい加減なお母さんはいざ知らず、百合叔母さんもキチンと知らなくて良いのか?』


 祖母の人徳を思うと、急な死への不審が募ってくる。


「あのう、何方が救急車を呼んでくださったのですか?」


 ちょうど、隣家の山名夫婦がお弔いに来たので、前から疑問に思っていた件を尋ねる。


「さぁ、その日は私らは福山に出かけていたから、帰って来てから知ったのですよ」


「でも、裏庭で倒れなくて良かったですわ。表から見えていたみたいで……」


「表から見えていた? 診療所の方で倒れていたのですか?」


「さぁ? いや、庭で倒れていたと聞いたけどなぁ」


 智章は首を捻る。今日は祖母の葬儀があるので大きな立派な門も開けてあるが、医者であった祖父が亡くなってからは開けていなかった。


 横の今は閉めてある診療所への通用口を通るのだ。祖母は大きな門の開閉を難儀して、普段は開けたりしていなかった筈だと引っかかる。


「あのう、救急車を呼んでくださった方にお礼も言っていないので、何方がわかりましたら教えて下さい」


 祖母が倒れた時に不在だった山名夫婦が救急車を呼んだのでは無いのは確かだから、他の近所の人だろう。智章は、その人に祖母が倒れていた時の状況を詳しく聞きたいと思ったのだ。


「まぁ、智章くんも立派になって……八重さんも安心されていられるでしょう。ご近所なのだから、救急車を呼ぶぐらい何でも無いけど……そうですわねぇ、口うるさい人もいるから、誰が呼んだのか聞いといてあげるわね」


 山名のおばさんが引き受けてくれたので、これで一つ解決した気分になる。

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