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君には僕の背中に乗る権利があるよ

 小麦畑を渡ってきた風が、雑木林の木の葉をさわさわと揺すっていく。その間を真っすぐに伸びる一本道を、ヴィオレットとレミが楽しそうな笑い声を上げながら駆けていく。小さな二つの後ろ姿が、ずいぶん遠くなった。

「早く、早くー!」

 無邪気にせかす声が聞こえたが、ロラとデューは朝のひんやりした空気を楽しみながら、のんびり歩いていた。家を出た時は強ばった表情をしていた彼も、気分がほぐれたようで笑顔が見える。

「精霊のいちごはね、すごくよく効く薬になるの。デューが最初に飲んだ蜂蜜湯にも入っていたのよ」

「へぇ。だから赤い色をしていたんだね」

「でも、まだ完熟じゃない赤いいちごは、そのまま食べたらすごーく苦いのに、ヴィオったらね……」

 なんてことのない話が、すごく楽しい。ふっと細められる彼の淡い青の瞳が嬉しい。

「ねえ、ロラ。僕、一つ分かったことがあるんだけど」

「なに?」

「どうやら僕は、こんな風に、誰かとゆっくり道を歩いたことはなかったらしい。すごく、新鮮な感じがするんだ」

 そう言って彼は、空を高く見上げると、気持ち良さそうに大きく伸びをした。

 ロラも彼の真似をして、空に手を伸ばしかけたとき、ぞわりとした気配を感じた。

 はっと、その気配を感じた前方に顔を向けると、レミがヴィオレットの手を引っぱるようにして、必死に駆け戻ってくる。

「な……っ!」

 彼らの背後に、もう一つの人影があった。左胸を真っ赤に染めた白のドレスを纏った女。長い髪は乱れ、土気色の顔は半分腐り落ちている。明らかにこの世のものではない。

 女の悪霊の落ち窪んだ目は、子ども達でも自分でもなく、隣にいるデューを捕らえていた。子ども達を追いかけているように見えるが、その標的は間違いなく彼だ。

 あれほど離れた場所からでも、悪霊を引き寄せるなんて——。

 デューを最初に発見したときの様子から、彼には強い霊媒力があることは分かっていたが、これほどまでとは思わなかった。

「レミ! ヴィオ! 早くっ!」

「え? ロラ、どうしたんだい?」

 子ども達の名を叫んで駆け出したロラの後を、何が起こっているのか分からないままデューも追っていく。

「お姉ちゃんっ!」

「ロラ! 悪霊だ!」

 息を切らした子ども達が、ロラに飛びついた。

「分かってる。ヴィオ、あたしの後ろにいて! デューもそこから動かないで!」

 ロラはヴィオレットを自分の背に庇うと、レミの両肩に手を置いてくるりと反転させた。

「え? ち、ちょっと、ロラ?」

「あの悪霊の力は、そんなに強くない。レミ、あんたがやってみて!」

 肩に置いた手に力を込め、驚いてじたばたする少年の耳元に言い聞かせる。

「ええっ! ボク一人じゃ無理だよぉ」

「あんたも魔術師でしょ! 大丈夫、きっとやれる!」

 ロラは叱咤するように力強く言うと、レミをぐいと前に突き出した。

 すぐ近くに迫った女の悪霊を目の前にして、彼も覚悟を決めたようだ。右手をすっと前に掲げ、大きく息を吸った。

「永遠の闇を彷徨う、この世ならぬ者……」

 鋭い目で相手を睨み、声変わりもしていない高い子どもの声で、呪文を紡いでいく。

 おぞましい女の悪霊の姿が、ぐにゃりと歪む。悲鳴を上げるように、空洞の口が大きく開く。骨だけの手が突き出される。

「……歪められし魂を解き放たん!」

 呪文の最後の言葉を言い終えた時、悪霊の姿は砂が崩れるようにざらりと地に落ちた。あとは、風に吹かれた霧のように消えていく。肌を粟立たせるような不気味な妖気も、すっと引いていく。

「やったたじゃない! レミ」

 肩で荒い息をしながらその様子を見送る少年の頭を、ロラがぐしゃぐしゃとかき回した。

「うん。すごいや、ボク一人で、やれた……」

 レミは疲れた様子ながらも、満足そうな笑顔を見せた。

 背後を振り返ると、地面に屈み込むデューの姿があった。両腕で抱きしめるようにして、ヴィオレットを守っている。

「二人とも、大丈夫?」

「あ……ああ。大丈夫だ」

 ロラの声に、デューがゆっくりと顔を上げた。

 彼の腕の中から、ヴィオレットが「平気!」と、ぴょこんと顔を出した。

 魔術師一族の家で暮らすヴィオレットはこういう事態に慣れているが、デューはそうではない。ロラやレミの行動は、彼の目には奇妙に映ったはずだ。

「びっくりさせてごめんね、デュー。実は今……」

 説明しようとすると、言葉を遮るように彼に質問された。

「あれが悪霊なのかい? 血に染まったドレスを着た若い女が……僕に向かってきたように見えた」

「えっ? もしかしてアレが視えたの?」

「ああ。最初はみんな、何に慌ててるんだろうって思ったけど、近くまで来たら視えたよ。それが、どうかした……?」

 ロラとレミは驚いて顔を見合わせた。

 デューが口にした悪霊の姿の描写は正しい。悪霊の狙いが自分にあったことにも気付いている。普通の人なら視えないものが、彼の目に映っていたのは明らかだった。

「そっか。デューには霊感もあったんだ……」

「霊感?」

「あなたは、悪霊に取り憑かれやすい霊媒者だけど、その他に、霊が視えたり存在を感じ取ったりする力も、あったっていうことよ」

「それって、良くないことなのかい?」

 彼の表情が不安そうに曇った。自分が悪霊に酷い目に遭わされたことは聞いているし、今は自分に向かってくる不気味な姿を、はっきり目にした。不安になるのは当然だ。

「そんなことないわ。あたしもレミもノエルもそうだし、あたしたちの一族には霊感を持つ者は大勢いるもの。でも、普通の人にはそんな力はないわ。もしかしたら、デューも魔術師だったかもよ?」

 彼を元気づけるために明るく言って、ふと気付く。

 もし彼が魔術師だったら……?

 彼ほど強い力を持つ霊媒者は、悪霊に影響されて、普通に生活するのも困難だったはずだ。しかし、本人が魔術師なら自力で悪霊に対処できるから問題はない。そうでなければ、彼の身近に魔術師がいたのだろう。いずれにしても、彼の霊媒力に対抗することを考えると、かなりの実力を有する魔術師が存在する。

「ロラ……ボク、疲れた」

 情けない声が聞こえて足元に目を落とすと、レミが土の上にへたり込んでいた。

 初めて一人で悪霊に対抗したのだから、気力と体力を使い果たしても無理はない。

 ロラはふふっと笑うと、少年の頭に手を置いた。

「すごく、頑張ったもんね。帰ったら、ばあさまとアンヌに報告しなきゃ。ねぇ、デュー。悪いけど、林に行くのは今度でもいい?」

「いいよ。今日は帰ろう」

 そう言うと、デューはレミの前に背中を向けてしゃがみ込んだ。

「ほら、おぶさって」

「い……いいよ、歩けるよ!」

 レミは顔を赤らめて拒否するが、やはりいつもの元気がない。

「さっき、勇敢にも、君が一人で僕を助けてくれたんだろう? だから、君には僕の背中に乗る権利があるよ」

「なあに、それ」

 ロラはくすくす笑いながら、抵抗するレミを抱え上げて、デューの背中に押し付けた。

 少年はしばらくじたばたしていたが、デューが立ち上がると諦めたのか、不機嫌顔ながらおとなしくなった。

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