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もし、何も思い出せなかったら?

 しまった! これじゃ、誤解の上塗り……。

 彼も同じことを思ったらしく、慌ててロラの手を放した。

 ノエルは頭から火を噴く形相で部屋を横切ると、二人の間に割り込んだ。威圧的にデューを見下ろし、凄んでみせる。

「貴様、俺のロラに手ぇ出しやがって!」

「お兄さんが心配されているようなことは、何もありません。でも、貴方の気に触ったのでしたら、謝ります」

「謝らなくったっていいわよ。何もしてないもん」

 ロラが口を尖らせて言うと、ノエルは妹をぎろりと睨む。

 そんな中に、ドロテがのんびりとした声で割って入った。

「ノエルや、病人相手に、そんな大声を上げなさんな。また気を失ってしまったら、どうするつもりじゃ」

「ばあさま、こいつはさっきも俺のロラに……」

「ノエル」

 自分の半分も身長がないような老婆に、たしなめられるように名を呼ばれ、ノエルはぐっと言葉を飲み込んだ。一族の長である彼女の言葉は絶対だ。

「この者に、精霊の薬酒を入れた蜂蜜湯を持ってきておくれ。精霊のいちごはじっくり千回、すり潰して入れるのじゃぞ」

「そんなこと、ロラにやらせれば……」

「ノエル?」

「……はい」

 ノエルはしぶしぶ返事をすると、部屋を出て行った。

「やれやれ、困った男じゃ。これでしばらくは戻ってこんじゃろう……」

 ぶつぶつ呟きながらベッドによじ上ろうとするドロテを、デューがひょいと持ち上げる。老婆は彼の隣に胡座をかいて、ちょこんと座った。

「さておぬし、自分のことを忘れてしまったと聞いたがのぉ?」

「はい。名前も、年も、自分の顔も……。どこに住んでいたのか、何をしていたのか、全然……思い出せない」

 ドロテは骨張った手で彼の額や頬などに触れ、異常がないか確かめる。

「ふむ。そうか。じゃが、言葉は忘れておらぬし、狂ったようでもない。ほんに、自分に関わることだけを忘れたようじゃの。長年、魔術師をしてきたが、こんな症例は初めてみるわい」

「ばあさま、これって悪霊のせいなの? 元に戻る?」

 ロラの質問に、老婆は腕を組んで難しい顔をする。

「一時的なものなら良いが、今のところは、何とも言えんのぉ。悪霊に精神を壊されたのなら、これほど、まともではおられんじゃろうし」

「悪霊? そういえば君、僕が悪霊に取り憑かれていたって言ってたけど」

「うん。デューは林の中で倒れていたんだけど……」

 ロラは、彼を発見した時の状況を話し始めた。

 話が佳境に差し掛かったところで、ロラの背後から太い腕がにゅっと突き出された。その手には、大きな木製のカップ。あたりにふわりと甘い香りが漂う。

「あ、ありがとう……ございます」

 デューは、最高級に不機嫌顔のノエルに礼を言って、それを受け取った。大きなカップになみなみと注がれた、毒々しいほどに真っ赤な液体を、一瞬の躊躇の後、口にする。

「不思議な味だね。おいしいけど、舌がぴりぴりする」

「それは薬じゃ。ずっと何も食っておらんから、腹の中も弱っておるじゃろう? ゆっくりお飲み」

 さっきまで意識がなかった彼が、飲み物を口にする様子が嬉しい。にこにこしながら見ていると、ロラの目の前にもカップが突き出された。見ると、ハーブティーの中に、完熟の黒い精霊のいちごが二粒入っている。

「うわぁ、兄さん。気が利く! ありがと」

 ロラが笑顔を向けると、兄は照れ隠しのように鼻をならし、床に足を投げ出して座った。

 温かく甘いお茶で、場の空気は一旦和んだが、その後も緊迫した話が続いていく。

「そう……だったのか……。だから僕は、ここに……」

 すべてを離し終えると、デューは真っ青になっていた。十体以上もの悪霊に取り憑かれていた話を聞いたのだから、無理もない。

「うん。それから、三日間も眠り続けていたの」

「この娘に拾われたのは不幸中の幸いじゃ。それだけの数の悪霊を一度で退けられる魔術師など、他にはおらんからのぉ」

 うなだれる彼の背中を、ドロテが労るようにゆっくり撫でた。

「お前さんは大変な目に遭って、まだ傷も充分には癒えておらん。ここでゆーっくり休むがよい。時間が経てば、何か思い出すかもしれんしのぉ」

「でも……もし、何も思い出せなかったら?」

 彼の長い銀色の睫毛が震えた。

 失われた過去が、元に戻るという保証はどこにもない。もし、記憶が戻らなければ、彼は元の生活に戻ることができない。どこに行けばいいのか分からない。

 だったら……。

 ロラが勢いよく立ち上がり、デューの両手を取った。

「その時は、ずっとここにいればいいわ。この家にはいっぱい人がいるんだし、今さら一人増えたって、ぜんぜん平気よ!」

 デューが驚いたようにロラを見上げた。

 一族の長が同意するように大きく頷いた。

 ノエルは盛大に顔をしかめたが、その提案が目の前の男にとって、必要なものであることは理解できるから、反対はしなかった。

「あ……りがとうございます」

 彼の強ばった顔が、少しだけ和らいだように見えた。

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