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必ず戻るって約束したじゃない!

 彼を見下ろすように立っているラファエルが、無念そうに首を横に振っている。

「デュー! どうしたの! デュー!」

 僅かな距離がとてつもなく遠く感じた。

 足をもつれさせながら、必死に彼に駆け寄ると、ロラの目に飛び込んできたのは、おびただしい血だまり。そして、うつ伏せに横たわる彼。

「う……そ。どうして……デュー!」

 冷たい床に膝をつき、震える手で抱き起こすと、彼の白いシャツは真っ赤に染まっていた。左胸には、両手で固く握りしめられた短剣が埋め込まれている。

「デュー! しっかりして。今、抜いてあげるから!」

 どう見ても、絶望的な状況だった。

 力なくもたれ掛かる彼の顔は、血の気が失せて真っ白だ。身体のどこも、ぴくりとも動かない。息もしていない。

 けれども、彼は満足そうな微笑を口元に浮かべている。体温も失われてはいなかった。

 それに、ついさっき、彼の声を聞いたばかりなのだ。それが永遠の別れの言葉だったとしても、ロラはどうしても現実を受け止められないでいた。

 どれほどの決意だったのか、短剣を握りしめた指は固く結ばれたままだった。ロラはその指を一本一本解いていく。

「彼もお前と同じことを、考えたようだな。この場所に悪魔の器がなければ、召還は失敗する……と。彼は自分自身と一緒に、器を葬り去ろうとしたのだろう」

 しかし、ロラにはラファエルの言葉は聞こえていなかった。

「待ってて、デュー。もうすぐ……」

 彼の両手を必死に短剣から引きはがすと、血塗られた柄を握りしめる。そして、力任せに短剣を引き抜いて投げ捨てた。

「デュー。目を開けて、デュー!」

 左胸の刺し傷からはもう、血が流れることすらない。彼の命はとうに、身体から流れ出してしまっていた。今は皮肉なことに、悪魔の器だけが、彼が生きた証のように、ロラの中に息づいている。

「いやぁぁぁ! デュー! 死んじゃ嫌! 必ず戻るって約束したじゃない! 薬師になりたいって言ってたじゃない!」

 デューにすがりついて泣き叫ぶロラのもとに、他の三人の大天使がゆっくりと近づいてきた。

 ラファエルが問うような視線を仲間に向けると、ウリエルは無表情に軽く顎をしゃくり、ガブリエルは優しく微笑んだ。ミカエルはちらりと背後を見やると、「下がれ」と短く命じた。そこには、大鎌を携え、閉じた両目から血の涙を流している、死を司る天使サリエルがひっそりと佇んでいた。

 仲間の同意を得たラファエルは、ほっとしたように肩を降ろすと、ロラの肩に手を置いた。

「ロラ。彼から離れなさい」

「いや! 離れないわ! デューはあたしのそばに……そばにいたいって言ってたの!」

 一層強く彼を抱きしめ、全身で「離れない」と主張するロラの両脇に、しなやかな手が差し込まれた。必死に抵抗してもふわりと身体が浮いて、デューから引き離される。

「いや、やめて! 放して!」

 泣き叫び、激しく身をよじる細い身体が、背後からガブリエルの腕に包み込まれた。まるで温度を感じない、柔らかな空気のような腕が、半狂乱だったロラの心を鎮めていく。

「そんなに泣かなくても良いのだよ、愛しい子。ほら、見ていなさい」

 慈悲に溢れた優しい声で囁かれ、ロラは促されるまま、デューの胸元に向けられたラファエルの杖先を、じっと見つめた。

「あ……」

 ラファエルが一層の輝きを身に纏った。そしてその光は、木の枝のような長い杖を伝い、デューの心臓に向けられた杖先から溢れて、彼を包み込んでいく。

 眩しい光にさらされた彼の血の気のない顔が、徐々に赤みを取り戻していく。動きを止めたはずの胸が、ゆっくりと上下し始める。そして、長い銀色の睫毛が微かに震えた。

「…………うっ……」

「デュー!」

 ロラはガブリエルの腕を振り払うと、僅かに身じろいだデューの両肩に手をかけて、身体を揺さぶった。

「デュー! しっかりして!」

 顔をのぞき込んで叫ぶと、瞼がゆっくりと開いて、焦点がおぼつかない淡い青の瞳がロラに向けられた。目の前の光景が信じられないのか、彼はゆっくりと瞬きを繰り返す。そして、幸せそうに顔をほころばせた。

「これは……夢? 夢でも、もう一度抱きしめたかった……」

 ロラの背中に彼の両腕が回り、強く抱きしめられた。

「デュー。良かった……戻ってきてくれて」

 彼の心臓が、とくとくと規則正しい鼓動を刻んでいる。震えるような息づかいも感じる。抱きしめる腕は温かい。失ったと思ったもの全てが、ロラを包み込んでいた。

「ねぇロラ。……君を、愛してたんだ」

 愛おしげに告げるその声も、以前と変わらない。

 ただ、微妙に過去形になっている。

「デュー、違うの。これは夢じゃない。あなたは生きているのよ」

「…………え?」

 ロラが遠慮がちに真実を伝えると、デューはロラを右腕で抱いたまま、がばりと上半身を起こした。自分たちを取り囲む、大天使達の眩いばかりの姿に呆然となる。

「まさか……。生きて……る?」

「そうよ。ラファエルが、あなたを生き返らせてくれたの」

 ロラの腰に回されていた彼の腕に、力がこもった。そして、夢とは違うはっきりとした感触に気付くと、彼は顔色を変えてロラを自分から引き離した。

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