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もっと叫べ! もっと嘆け!

 手に繋いだ縄を祖父に引かれながら、刑を執行される罪人のように、蝋燭が灯された薄暗い階段を下りていく。足音が不気味に反響する。かび臭い湿った空気に、幻夢の香とは別の香の匂いが混ざっている。

 通路を突き当たりまで進むと、二人の兵が守る大きな扉があった。

 この向こうに、きっと彼がいる。

 ロラはぶるりと身震いした。

 無表情な兵達が、大きな扉をゆっくり押し開けると、邪悪に満ちた気配と独特の香の匂いが、一気に押し寄せてきた。

 たくさんのランプを灯された神殿の中央に、黒く浮かび上がる魔法円。魔王サタンの印形が描かれた円の中央には、白い布が掛けられた台。その手前に公爵とその妻。そして正面奥に置かれた椅子に、白いシャツの青年が、長い足を組んで座っていた。

「デュー!」

「ロラ! なぜ君が……」

 ロラが生け贄として悪魔に捧げられることを、知らされていなかったらしい。彼は衝撃のあまり椅子から立ち上がると、それ以上の言葉も出せず、大きく目を見開いた。

 そんな彼に、二人の兵が駆け寄った。肩と腕を押さえつけられ、無理矢理椅子に座らせられる。

「は、放せっ! やめろっ!」

 デューは兵の手を振りほどこうと必死にもがいたが、屈強な兵二人が相手ではどうにもならない。床に固定された椅子に押し付けられ、背もたれの後ろに両腕を回した状態で手首を縛られた。

 一方、ロラの方にも複数の手が伸びる。

「やめてっ! なにするのよっ!」

 兵達によって魔法円の中央に引きずり出され、そこに据えられた台の上に、仰向けに縛り付けられた。身体のあちこちに、縄がぎりぎりと食い込んで、全く身動きができない。唯一動かせる首を回してみると、手首の拘束を解こうと身をよじりながら、必死に父親に懇願するデューの姿があった。

「父上、やめてくれ! 俺は魔王サタンの器だ。生け贄など必要ない!」

 椅子をゆすり、床を蹴り付けながら全身で叫ぶ息子に、公爵は満足そうな笑顔を見せた。

「いや、まだ足りないのだよ。もっと叫べ、もっと嘆け! 器は大きければ大きいほど良い。せっかくここまで苦労して育てたのに、壊れてしまっては元も子もないからな」

「ま……さか……」

 どくり……。

 デューの身体の芯が大きく波打ったかと思うと、その波動が急速に全身に広がっていく。ベリトを軽々と捻り潰せるほどの成長を遂げたから、もう、これ以上はないと思っていたのに、悪魔の器は際限なく膨れ上がっていく。

「う……くっ。こんな、ことが……」

 デューは俯いて歯を食いしばり、自分の内側を蝕む力に耐えていた。

 闇色のローブを纏った公爵夫妻は、そんな息子の様子を、極上の見世物でも見ているかのように堪能する。

「思った通りだな、フェリクス。もともとこの白魔術師の娘は、生け贄として供するつもりだったが、まさか、お前と恋仲になるとはな。嬉しい誤算というものだ。これほど魔王への生け贄にふさわしい娘はない」

「貴様……! ロラを放せ!」

 デューは肩で荒い息をしながら、父親を上目遣いに睨みつけた。

 器の急激な変化は止まったが、まだ、じわじわと成長を続けている。目の前の黒魔術師たちへの強烈な憎悪と、愛おしいひとを目の前で殺されてしまう恐怖と絶望が彼を支配するこの状況では、器の成長は止まるはずがなかった。

「デュー! だめよ!」

 彼の身の内に起こっている危険な変化は、ロラも感じ取っていた。なんとかくい止めようと呼びかけると、彼は水をたたえたような淡い色の瞳を向けてきた。

『大丈夫。あたしが、なんとかする』

 声に出さずに、口の動きだけで伝えると、彼は辛そうに視線をそらした。

「ロラ……。こんな醜い僕の姿を、君に見られたくなかった……」

 そんな彼の思いすら、悪魔の器の糧になっていくことが、悔しい。

 ロラはもう一度『大丈夫』だと伝え、白い香の煙がゆらりと渦をまく天井を見上げた。

 大丈夫だと、あたしは彼に言った。

 その言葉を実現させる——。

 自らを奮い立たせるように、彼に伝えた言葉を何度も心の中で繰り返す。成功する可能性はかなり低いと分かっていたが、ロラはこの場に大天使を召還するつもりだった。もう、それしか方法がなかった。

 召還する相手が天使でも悪魔でも、術の基本は同じだ。床に魔法円を描き、召還呪文を詠唱する。現在床に描かれているのは、中央に魔王サタンの印形を配した魔法円だ。大天使の召還術と共通するのは、シジルを取り囲む二重円環の結界と、四方向に灯された蝋燭。悪魔召還のみに使用される魔法三角は真東に描かれるから、神殿の配置も分かる。

 デューのいる場所……つまり、あたしの右側が東。

 目を閉じて、ラファエル召還の魔法円を思い浮かべた。

 銀の聖剣も、聖水もない。手が固定されているから、十字を切ることも星を描くこともできない。呪文を口にすることさえ……。

 ぽたり。

 胸の上に、何か生温かいものが降ってきた。ぎょっとして目を開くと、冷酷な笑みを浮かべたリュシエンヌが顔をのぞき込んでいる。彼女は、手にした丸い器の中身を、ロラの胸の上に少しずつたらしていた。

「残念ね。もうドレスが汚れちゃったわ。これは山羊の生き血だけど、この後は、あなたの血で染めてあげる。ふふ……深紅のドレスも、きっと素敵よ。あなたの卑しい赤い髪に、きっとよく似合うから」

 ぽたりぽたりと、いたぶるように落ちる赤い雫が、繊細な白いレースに広がり、肌にじわりと染み通ってくる。生臭い血の匂いとぬるつく感触に、ロラは顔をそむけた。

 その先に、深く俯くデューの姿があった。肩が上下左右に揺れて見えるのは、拘束を解こうとしているのだろう。彼もまだ、諦めてはいなかった。彼の悪魔の器の成長が、今は止まっているのを感じ取り、ロラは僅かに安堵した。

 そのとき。胸の上に、重量感のあるものがいきなり落ちてきた。それは、その重さ以上の衝撃を、ロラの胸に伝える。

 これは……!

 リュシエンヌが持っていた器から、最後に落ちてきたもの。

 首をなんとか持ち上げて胸元を見ると、全体像は確認できないが、銀色に輝く本体の一部と細い鎖が見えた。それだけで分かる。いや、見なくても分かる。

 大天使ラファエルのクロス——。

 これほどまでに強い霊力を発する呪具がすぐ近くにあったのに、全く気付けなかった。おそらく、黒魔術師たちに力を封じ込まれ、生き血の中に沈められていたのだろう。

 その大天使の強大な力が今、息を吹き返した。

 はっと、リュシエンヌに目を向けると、彼女は陶酔したような表情を浮かべている。

「ふふふ。穢れた白魔術師の娘と、穢れたクロス。魔王への捧げものとして、これ以上のものはないわね」

 まさか、彼女は気付いていない?

 彼女だけではない。これほど強い霊力を発しているというのに、公爵やその妻も、クロスの変化に気付いた様子はなかった。

「さあ、儀式を始めようではないか!」

 その声で、ジブリルとマテオ、その場にいた兵達が一斉に動き出す。そして、神殿を照らしていたたくさんのランプを消し、神殿を後にした。

 急に薄暗くなった神殿は、ゆらめく蝋燭の炎が、香の煙を妖しい色に染めている。ロラの頭の近くに、細い杖を手にし、フードを目深にかぶった公爵。黒い本を手にした妻は足元にいる。中央にいる娘は、狂気に満ちた眼差しで、両手で握りしめた短剣を見つめていた。

 いよいよ、儀式が始まる——。

 三人の黒魔術師達が声を揃え、呪文の詠唱を始めた。

 胸にある大天使のクロスは、獣の血にまみれていても、決して穢されていなかった。

 中央にはめ込まれたサファイアの放つ六条の輝きは、六芒星だ。裏には、五芒星の彫り込み。クロスの形はもちろん十字。これまで不足していた、大天使召還の為の三つの要素が加わった。しかも、このクロスは術者の能力を高めてくれる。

 きっと、うまくいく!

 ロラはそっと目を閉じた。意識を床に落として大きく円形に広げ、サタンを召還する魔法円の外側の円環に重ね合わせる。次いで、内側の円環。そしてその二つの円に、必要な文言や記号を思い描いていく。最後は自分が横たわる真下に、ラファエルの印形を描く。

 あたしは今、その神聖なる魔法円の中心にいる——。

『我が右方にラファエル。我が左方にガブリエル。我が頭上にミカエル。我が足先にウリエル。我が胸に、燃え上がる五芒星と輝ける六芒星が重なる……』

 ぞっとする悪魔召還の呪文が流れる中、ロラは、現在の状況に合わせて変更した呪文を、心の中で唱えていく。胸の上に置かれたクロスが、じわりと熱をおびた。

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