この城は禍々しすぎる
四日後の午後、ロラとノエルはコデルリエ公爵の城の一室に通されていた。
派手で豪華なしつらえのその部屋は、テーブルや椅子までが優美な曲線で作られており、あまりの華奢な造りに、大男のノエルは椅子に腰掛けるにも躊躇していた。
「すごいわね……」
ロラは部屋を見回して溜め息をついた。しかし、部屋の見事さに見とれていたのではない。この城は、百戦錬磨のロラですらぞっとするほどの、どす黒い異様な気に満ちていた。
「確かにすげえな。この城は禍々しすぎる。一体何をどうしたら、こうなるんだ?」
「デューが悪魔に取り憑かれた影響なのかしら?」
二人は、デューが監禁されている地下牢に案内すると言われたまま、この部屋で待たされていた。テーブルに用意されたお茶が完全に冷め、短気なノエルがいらいらと室内を歩き回っていると、ようやく扉が叩かれた。
「ロラ。ノエル。来てくれてよかった」
そう言って、部屋に入ってきたのは、祖父のジブリルとマテオだった。
「おじいちゃん!」
両腕を開いて、優しい笑顔で孫娘を迎えようとする祖父に、ロラが笑顔で駆け寄った。
しかし、祖父のすぐ近くまできたとき、覚えのある匂いが鼻をついた。
これは……幻夢の香!
嫌な予感にぎくりと足を止めたが、遅かった。祖父に手首を掴まれ、乱暴に引き寄せられる。気付けば、祖父の両腕で拘束され、喉元にぎらりと光る短剣の刃が向けられていた。
「ロラっ!」
「ノエル。動くな」
驚いて駆け寄ろうとしたノエルを、短剣を手にしたマテオが止めた。
感情のない低い声。光のともらないどんよりと濁った瞳。明らかに、悪魔の呪いによって操られている。
「お……じいちゃん、マテオ。お願い、やめて! 正気に戻って!」
「マテオ! てめぇ、魔術師だろうが! なに操られてんだよ!」
ロラが二人を説得するように叫び、ノエルが弟弟子の魔術師を罵倒する。しかし、二人を操る呪いは、こんなことで解けるはずもなかった。
「あの男を捕らえなさい」
扉の向こうから、聞き覚えのある若い女の声が聞こえると同時に、四人の衛兵がばらばらと部屋になだれ込んだ。ノエルを取り囲んだ兵たちは、彼の腕を後ろ手に取った。
「くそっ! 何しやがる。やめろ!」
「ふふふ。妹が大切なら、抵抗しないことね」
妹を人質に取られ、抵抗できないノエルは、あっけなく縛り上げられた。さらに、猿ぐつわを噛まされ、声での抵抗も阻まれる。
「兄さん。兄さんっ!」
ノエルが無念のうなり声を上げながら、部屋から連れ出されていく。
入れ替わりに姿を現したのが、さっきの声の主、リュシエンヌ。その後ろから、彼女と良く似た黒髪の年増の女と、銀髪の壮年の男が入ってきた。
女の方はリュシエンヌの母親に違いない。そして男の方は……。
後ろで一つに束ねられた長い銀髪は、デューのそれと同じ色だった。年相応の皺は刻まれているが、上品に整った美しい顔立ちもよく似ている。明らかに違うのが、妖しげな光を宿す緑の瞳。その視線がまるで品定めでもするように、ロラの全身を舐めた。
おそらくこの男が、コデルリエ公爵。デューの父親。
姿形は似ていても、デューとは全く違った印象の公爵を、信じられない思いで見ていると、彼は口元だけに笑みを浮かべて近づいてきた。彼も幻夢の香を纏っているらしく、甘ったるい匂いが強くなる。
しかし、彼は誰かに操られている訳ではない。操る側……黒魔術師だと直感した。
きっと、全ての事件と謎の中心に、この男がいる——。
「君には、息子がずいぶん世話になったようだね。礼を言うよ」
声質も似ていた。しかし、話す内容と正反対の冷え冷えした声に、鳥肌が立った。
「世話になったと言いながら、この仕打ちはどういうこと? おじいちゃんとマテオに何をしたの! 兄さんを、どこに連れて行ったの!」
「ほぉ……これは、なかなか気の強いお嬢さんだ。アレの趣味は、こんな娘だったのだな」
短剣を突きつけられながらも虚勢を張るロラを前に、公爵はさも面白そうに、怪しく光る緑の目を細めた。そして、ロラを拘束していた二人に下がるよう命じた。
「短剣で脅さなくても、君は逃げやしないからね。あの二人は私の手の内にある。君のお兄さんもそうだ。だから利口な君は、決して私に逆らわない。そうだろう?」
公爵は右手の二本の指でロラの顎をくいと持ち上げ、口角を上げる。
同意を求める言葉だが、明らかに短剣よりも鋭い脅迫だった。そう言われてしまっては、顎に触れる汚らわしい指を払いのけることすらできない。
「あたしがあんたに逆らわなければ、みんなには手を出さないってこと?」
「そう。すべては君次第だよ」
ロラの返事に、公爵は満足そうに頷くと指を離した。
「デューは……無事?」
「水? あぁ、フェリクスのことか。ずいぶん、似つかわしくない名で呼ぶものだな。アレは濁り切った、穢れた水なのに」
公爵がくすりと笑った。
目の前のデューの父親が黒魔術師なら、悪魔を使って彼の記憶を奪ったのは、おそらくこの男だろう。彼に強烈な憎悪の念を植え付け、彼の器を、上級悪魔を従えさせるほどに育て上げたのも、きっと。
「デューに会わせて!」
「アレとは明日の晩、感動の再会をさせてやろう。部屋を用意するから、君はそれまでゆっくり休むといい」
口元だけの笑みで、ロラを気遣う言葉をかけると、公爵は扉のノブに手をかけた。ひそひそと小声で話しながら、獲物を見るような視線を向けてくる黒髪の女二人も、公爵の後を追うように部屋を出て行った。




