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離れていてもあなたを守るわ

 空に昇る月は細く、辺りを照らすほどの力はない。食堂の窓から漏れる明かりで、目を凝らせばかろうじて見える程度の闇だ。少し離れた場所に、どっしりとした存在感のある神殿の影が黒々と立ち上がっている。

 ロラは母屋と神殿のちょうど中間地点までくると、立ち止まった。

「ここにいて」

 ロラは彼の手を放すと、足元に落ちていた小枝を拾い上げた。

 デューが見守る中、彼を中心に、小枝の先で地面に円を描いていく。母屋と神殿の間の空間を目一杯使った、大きな円だ。

「何か儀式をするのかい?」

「うん。大地の精霊を呼び出すの。ラファエルのクロスを貸してくれる?」

 デューは頷くと、シャツの下にかけていたクロスを引っ張り出し、手渡してくれた。

 ずしりと重いクロスを両手で握りしめると、掌に痛いほどの聖なる力を感じる。

 ここしばらくの無理がたたって、体力は戻っていない。それに、これだけ大きな円を使った精霊の召還は、体調が万全であっても難しい。

 だからお願い。あたしに力を貸して!

 願いを込めて、クロスの中央で六条の光を放つサファイアに口づけた。すると、ロラの思いに応えるように、クロスがじわりと熱を帯びる。

「デュー。ここに右手を置いて」

 地面に置かれた彼の手に、自分の右手を重ねる。そして、左手でクロスを握りしめ、そっと目を閉じた。意識を地の底に深く沈め、大きく広げ、大地の精霊に呼びかける。

「古よりこの地を守り育んできた、大いなる大地の精霊達よ、我が呼び声に応えよ……」

 ずうんと足元が沈み込むような振動が起こったかと思うと、突然、地面に描かれた円が、銀色の光を放つ。

「これは……」

 デューがあまりの眩しさに目を細めた。

 呪文が進むにつれ、二人を囲い込んだ眩い光の環が、ゆっくりと直径を狭めてきた。それは徐々に速度を上げ、輝きを増して二人に迫ってくる。視界が強烈な光に曝され、デューが思わず目を閉じた時、右の手首にぴしりと締め付けるような衝撃を感じた。

 デューが恐る恐る目を開くと、辺りは元通りの闇だった。夜の風が、さわさわと木の葉の間を吹き抜けていく。

 ロラは苦しそうに肩で息をしながら、両手でクロスを握りしめていた。

「大……天使ラファエルよ。感謝……します」

 明日旅立つ彼のために、できるだけ大きな護りの力を持たせてあげたかった。そのために大天使のクロスの力を借りたのだが、その力は、想像を遥かに凌駕した。魔術師一人では到底召還できない大きな力が、今、彼の右手に宿っている。

 デューは自分の右手首を見つめた。光の環は、今はもう見えない。細い腕輪をしているような感覚だけが残っている。

「ロラ、今のは……?」

「あなたの右手に大地の精霊の護りの力を集めたの。この間、ジェレミー様に渡したリースに宿したものと同じだけど、このクロスのおかげで、何十倍も強くなったわ」

 ロラは満足そうに微笑むと、デューの手首にはめた見えない腕輪を、指先でなぞった。

それから、熱を帯びたままのクロスを、デューの首に戻す。

「このクロスを手放さない限り、あなたはきっと大丈夫。だけど、何かしないではいられなかったの。あたしは、あなたについていけない。でも、離れていてもあなたを守るわ」

 ロラがそっと彼の頬に触れると、彼は痛みをこらえるように顔をしかめ、自分の手を重ねた。ロラの指先を絡めとり、少しだけ首を回して、掌に口づける。

「ねぇ、ロラ。僕は君に、守られてばかりだね。いつか……君を守れるようになりたいと……思っていたのに」

 苦しそうに掠れた声と一緒に、あたたかな唇が、吐息が、掌に触れた。

 このままずっと、彼と一緒にいられると思っていた。そんな保証など、どこにもなかったのに……。

 泣きたい気持ちをごまかそうと、自由になる手で彼の髪に触れた。指の間をさらさらとすり抜ける銀色の髪。しかし、その手触りをほとんど感じる間もなく、気付けば彼の腕の中に閉じ込められていた。甘くも優しくもない。せっぱつまった切ない腕だ。 

「戻ってくる。僕は必ず、ここに戻ってくる」

 すぐ近くから聞こえる声に、ロラが頷く。

「僕の家はここだ。僕の居場所は、君のそばしかないんだ。だから……きっと戻ってくる。君のところに」

「うん。待ってる。デューのこと、ずっと待ってる。だから戻ってきて」

 王家の血筋も、公爵の息子の立場も、そう簡単に捨てられるものだとは思わない。デューがこの家に戻って来られる可能性は、かなり低いだろう。

 だけど……だからこそ、戻ってくると約束する。

 待っていると応える。

 どんなに微かな希望だとしても、それを信じなければ、二人は離れることなどできなかったのだから。

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