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わしらカントルーヴ家を、何だと思うておる

 二人は皆に囲まれて、修繕が終わったばかりの食堂に向かった。新しい木の香りが漂う室内に一歩入ると、ロラは目を見張った。

「わぁ、広くなってる!」

 儀式の期間、食堂に立ち入るのを避けていたので知らなかったが、以前は台所だった場所が食堂に作り替えられており、広々としていた。部屋の中央には、大きな真新しいテーブルが一つ増えている。

「これまで手狭だったから、ちょうど良かったよ。さあ、座りな」

 父親のマルクが、新しい椅子を引いてくれた。魔術師の悲願を成し終えた愛娘に、安堵感を漂わせながらも誇らしげだ。

 ロラが椅子に座ると、アンヌが精霊の薬酒が入った蜂蜜湯のカップを前に置いてくれた。

「ああ、これは僕が目覚めたときに、最初に飲んだやつだね」

「うん。絶食が長かったから、最初はこれしか飲めないの」

 そう言って、とろりとした真っ赤な液体を口に含む。舌が少しぴりぴりするが、優しい甘味が身体全体に広がっていくようで、ほっとした。

 周囲の人々にもハーブティーが配られた。誰もが大天使の話を聞きたがり、デューが首から下げている、強烈な力を発する美しいクロスに興味を持った。

 ロラは求めに応じて話をしたが、悪魔の器の詳細や、デューが記憶を失くした原因については伏せた。これは、一族の長であるドロテだけに、話すつもりだった。

 話が一区切り付いた頃、母親のリアーヌが、ロラの前に野菜スープで煮込んだパン粥を置いてくれた。

「熱いから、気をつけて食べてね」

「わあっ。おいしそう!」

 湯気と一緒に、チーズの香りがふわりと上がり、ロラが瞳を輝かせた。

 それを機に、ドロテが手を叩いて、周りの者達を追い払う。

「さあさあ、お前達。いつまでもさぼっていないで、仕事に戻りな。ロラも疲れておるから、話はここまでじゃよ」

 この家では長の命令は絶対だ。両親とノエル以外の者達が、しぶしぶといった様子で食堂を出て行った。

「おいしい?」

「うん。……あつっ」

「君が食事できるようになって、よかった」

 熱々の粥を美味しそうに口に運ぶロラを、デューはテーブルに肘をついて幸せそうに眺めている。二人の間にある空気は、以前と明らかに違って甘い。そんな二人を、母親と曾祖母が目を細めて見守り、男達は面白くなさそうにそっぽを向いていた。

 ロラがちょうど粥を食べ終わった時、庭につながる裏口が、大きな音を立てて開かれた。

「ばあさま!」

 そこに息を切らせて現れた人物に、食堂に残っていた者たちは目を見張った。

「ジェレミー様?」

「そんなに慌てた様子で、どうしたのじゃ」

 ジェレミーは額の汗も拭わずに、慌てた様子でドロテの元までやってきた。

「あれから、何度もローズを訪ねたのですが、いつも門前払いされてしまってどうしても会えなかったのです。しかし、城の外で偶然、彼女の侍女を見かけたので、彼女の様子を聞いたのですが……」

 侍女の話によると、ローズモンドとその両親は、フランヴィル侯爵家の舞踏会に招かれて以来、様子がおかしくなったのだという。

 侯爵家の長男は、以前からローズモンドに執着していた。侯爵家との婚姻は伯爵家にとっては良縁であったが、彼女はその男を毛嫌いしていた。彼女の両親も、これまで親しくつき合ってきたジェレミーの存在もあり、娘に無理強いをすることはなかった。

 しかし、付き合いで渋々出かけた舞踏会から戻ってくると、彼女たちは、侯爵とその長男に不自然なほどに心酔しており、あっという間に婚約話がまとまってしまったのだ。

 しかし、おめでたい話が決まったというのに、ローズモンドと伯爵夫妻は、表情が虚ろだった。徐々に食が細り、顔色も悪くなっていく。心配して声をかけた使用人に激高して、彼らを次々と辞めさせた。そして今は、香を焚いた部屋に、一日中閉じこもっているという。

 ジェレミーは小さな布袋を懐から取り出し、ドロテの前に置いた。

「その香は、ローズ達がおかしくなった頃から、部屋で焚かれるようになったものだそうです。侍女が、その香を嗅ぐと頭がくらくらして気分が悪くなると言うので、こっそり、持ち出してもらったのですが……」

 ドロテは袋を開けると、中身を掌の上で選別し、香りを確かめた。

「なるほどのぉ。……ノエル、皿と火と水を」

「おう」

 ノエルが席を立ち、すぐさまドロテに命じられたものを持ってきた。

 皿の上に疑惑の香を少量置いて、蝋燭の火を紙に移して点火する。ぶすぶすと燻るように燃える火が、ゆらりと紫色の煙を上げた。身体の芯を蝕むような、甘ったるく重苦しい香りが広がる。

「やはりな」

 ドロテは顔をしかめると、カップに入っていた水を香の上からかけて火を消した。

「これは……幻夢の香。でも、ここまで強い香は初めてだわ」

 ロラが鼻と口を押さえ、少しむせながら答えると、ドロテが大きく頷いた。

「魔術師の暗示程度では、ここまで禍々しい香は必要としない。シルール伯爵様らは、間違いなく、悪魔の呪いに捕われておる」

「なっ……! 悪魔の呪い!」

 ジェレミーが顔色を変えて立ち上がった。彼自身、つい先日、悪魔に取り憑かれそうになったのだ。その恐ろしさは身をもって知っている。

「そうじゃ。この香は、その呪いが解けないようにするためのもの。狙いはローズモンド様を手に入れること。侯爵の息子本人か、周囲の者が悪魔と契約したのじゃろう」

「そんな……。その呪いを解くことはできないのですか?」

 切羽詰まったように問うジェレミーに、ドロテが深いしわが刻まれた顔で、にやりと笑ってみせた。

「わしらカントルーヴ家を、何だと思うておる」

 その言葉にマルクはゆっくりと腕を組み、ノエルは不遜な様子で顎を上げる。ロラはにっこり笑ってジェレミーを見上げた。

「あ……あぁ。ローズは……彼女は、大丈夫なのですね」

 その場の魔術師達が示した自信を感じ取り、ジェレミーは両手で顔を覆い肩を震わせた。その肩を、ノエルが大きな手でばしりと叩く。

「おう、俺らにまかせとけ。……で、ばあさま、どう動く?」

「まず、この香とそっくりの無害な香を作って、侍女にすり替えてもらうとしよう。だが、それだけでは呪いは解けぬ。元を絶たねばな」

 ドロテはそう言うと、ゆっくりと席から立あがった。一族の長の厳しい顔つきで、自分の孫でもあるマルクを指差す。

「お前は弟子どもを何人か使って、フランヴィル侯爵家を調べておくれ。ノエルはアンヌ、ジョゼと共にシルール伯爵の城へ。侍女に手引きしてもらって、他に呪具がないか調べ、部屋に結界をはっておくれ。ジェレミーは、わしらが動きやすいよう根回しを」

 指示を受けた者たちは短く返事をすると、慌ただしく食堂を出て行った。

「じゃあ、あたしは、その香の調合を手伝えばいいのね!」

 ロラは自分の体調を忘れて、勢いよく立ち上がった。強烈な立ちくらみで、一瞬、真の前が真っ白になる。

「危ない!」 

 気付けばデューの腕の中だった。青く澄んだ、心配そうな瞳で見つめられている。

「大丈夫? 無理しちゃだめだよ、ロラ」

 こんな風に彼に支えてもらったことは、薄暗い祭殿の中では何度もある。そのときは平気だったのに、明るい昼間の食堂では、とてつもなく恥ずかしい。優しい言葉をかけてくれる、彼の綺麗な形の唇が間近に見えて、つい、その感触を思い出してしまう。さっき一瞬引いた血の気が、かーっと戻ってきた。

「あ……わ、わっ、大丈夫……だから、は、放して……」

 ロラは慌てて、彼の腕を振りほどこうともがいたが、どうにも腕に力が入らない。

「……ロラ。だめだよ」

 デューは非力な抵抗をするロラを、たしなめるように軽く睨むと、腕に力を込めた。それでも、ノエルの腕のような強さではない。だから、逃げられないはずはないのに……。

「や……だ、デュー」

 すぐそばには、母親と曾祖母がいる。それが、恥ずかしさに拍車をかけ、どうにもならなくなったロラは、くたりと彼の胸に顔を伏せた。

「あら、まあ……」

「大天使を召還するほどの魔術師が、ひと一人に、簡単に封じ込められるとはのぉ……」

 母親がくすくすと笑い、曾祖母はあきれたような声を出した。二人のからかうような反応に、ロラは顔が上げられなかった。

 デューの方はロラを腕に閉じ込めたまま、真剣な顔を上げる。

「香の調合をするのでしたら、僕にも何か手伝わせてください。今は足手まといにしかならないけど、僕はいつか薬師になりたいんです。勉強させてください」

 彼の決意の宿る真摯な眼差しを受け止め、ドロテは目尻のしわを深めた。

「ほぉ。それは楽しみなことじゃ。ならば、その娘をもう少し休ませてから、二人で作業部屋に来るがいい。ゆーっくり休んでからで、いいからのぉ」

 ドロテはにやりと笑うと、問題の香が入った布袋を手に、一人で食堂を出て行った。

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