とにかく食え、さっさと食え!
長時間、薄暗い神殿の中にいたせいで、太陽の光が目に刺さるようだった。香が煙るよどんだ空気と違い、新鮮な空気が美味しい。
デューは大きく深呼吸すると、修繕作業中の食堂を抜け、中庭に出た。時間の感覚が狂っているが、どうやら昼食が終わり、女性達が後片付けしているようだった。
「あ、デュー!」
レミを探してうろうろしていると、彼の方が先に見つけてくれた。
「場を作り直すの?」
レミが目を輝かせてそう聞いてきたが、何のことだか分からない。
「さあ……。君を呼んできてほしいって言われたから、来たんだけど」
「そう。じゃあ、ボク、行ってくるね!」
「その箱重いから、持ってあげるよ」
大きな道具箱を抱え、いそいそと神殿に向かうレミを呼び止めたが、彼は振り返ることなく駆け出した。そしてデューは、レミの母親のアンヌに呼び止められる。
「待って、デュー。神殿の手伝いは、あの子に任せておけばいいわ。それより、お腹すいたでしょう? こっちにいらっしゃい」
言われるままにテーブルにつくと、既に用意してあったらしく、川魚の香草焼きと野菜を挟んだ朝のパンと、林檎が出てきた。
「どうぞ。レミが戻ってくるまで、ここでゆっくり休むといいわ」
「あの……。ロラは?」
準備された食事は一人分。ロラがこっちに来る様子がないのが不思議だった。
「魔術師は、儀式の間は食事しないのよ。だから、あなたは気にしないで食べて」
「え? そうなんですか? だったら僕もいいです。ロラが食べられないのに……」
彼女があんなに悩んでいるのに、自分だけがゆっくりと食事をするのは嫌だった。自分がいても役に立たないことは分かっていたが、せめて、そばについていたかった。
すぐに神殿に戻ろうと、椅子から立ち上がる。
しかし、いきなり両肩をごつい手で押さえつけられ、椅子の上に落とされた。肩に大きな力がかかり、無理矢理座らされたまま身動きが取れない。
こんなことをする人は、一人しかいない。
「……ノエル」
なんとか首を回して上を見ると、ぎろりと睨まれた。そして、脅すような低い声で告げられたのは意外な言葉だった。
「食え」
どうして彼が、こんなことを言うのか分からない。
「食えって言ってんだろ!」
「ロラは食べないんだろう? だったら僕も食べられない……うっ……」
反論しながら、なんとか立ち上がろうとすると、肩の骨がくだけるかと思うほど圧力をかけられ、うめき声が漏れた。彼は絶対に、ここから行かせまいとしているようだ。
「儀式はうまくいってねぇんだろ? この様子じゃ、何日かかるか分からない」
「まさか、その間ずっと、食べないんじゃ……」
問うような目を、ノエルにではなくアンヌに向けると、彼女は頷いた。
「魔術師は、儀式の間は水だけで過ごすんだ。今だけじゃない。今日の朝飯も食ってねえし、今日の昼も夕も明日も、その先も、儀式が成功するか諦めるまで、ずっと食わねえんだよ」
「そんな……。だったら、僕だって……」
ロラが大天使の召還を試みることになったのは、呪われたような自分の力が原因だ。それなのに、自分は何一つできず、すべての苦難を彼女が一人で背負っている。
最初からずっとそうだ。僕はロラの負担にしかならない。
だから、せめて彼女と同じ状況に身を置きたかった。自分だけ、普通に食事するなんて、許せなかった。
「馬鹿言うな! お前が絶食するのは自己満足でしかねぇよ! それに、お前が食わなかったら、あいつがお前を心配するだろうが。それが、儀式の妨げになるんだよ。あいつの邪魔になりたくなかったら、とにかく食え。さっさと食え!」
そこまで言われて、ようやく納得した。
いつも人の食事にお節介を焼く彼女のことだから、自分まで絶食すれば、きっと怒るだろう。いや……悲しむ。
彼女に余計な心配をかけず、儀式に集中できるようにするには——。
「…………分かった。食べるよ」
それしかできることがないのが、情けなかった。
デューの答えを聞いて、肩を押さえつけていたごつい手が緩んだ。しかし、その手は監視するように、肩の上に置かれたままだ。
デューは重い息を吐き出すと、テーブルの上を見下ろした。皿の上には、魚のソテーを挟んだパンが二つ乗っているが、ナイフやフォークは見当たらない。
「ノエル。これは、どうやって食べたらいいんだろう?」
不思議に思ってたずねると、肩に置かれた手にぐっと力が入った。いらついた声が、頭の上から降ってくる。
「はぁ? てめえ、ふざけてんのか! 手で掴んで、かぶりつけばいいだろうが!」
「ああ……そうなのか」
パンを一つ手に取ってかじってみたが、味なんてしなかった。まるで海綿を口に押し込んでいるようだ。それでも、ハーブティーで無理矢理流し込むように食べ進めていくと、ようやく納得したのかノエルの手が離れた。
「ロラの分まで食っとけ!」
高圧的に命令して、ノエルは食堂の修繕作業に戻っていく。
彼は妹を溺愛しているだけに見えて、本当は他人の想いを汲み取ってくれる人だ。ぶっきらぼうで乱暴な言動に、深い優しさが透けて見える。
「ノエル。やっぱり君……いい人だよね」
両肩がじんじんと痛むのが恨めしいが、素直にそう思う。
名前を呼ばれて、不用意に振り返ったノエルの顔が、ぼっと火がついたように赤く染まった。慌てて顔を背け、「うるさい!」と怒鳴ると小走りに去っていく。
「ふふふ。あなたも、ノエルの扱いに慣れたわね。それはロラの、いつもの手よ」
アンヌは笑いながら、空になったカップに、お茶のお代わりを注いでくれた。




