ただのいい伝えだと、これまで思うておった
むかしむかし。ある国でのこと。
王城の中で不気味な事件が立て続けに起こり、当時、王国一との呼び声が高かった若い女魔術師が、城に召されることとなった。
彼女は、第七王子に悪魔が取り憑いていることを見抜くが、彼は悪魔に憑依されているにも関わらず、平然としていた。それどころか、悪魔を使役しているようにすら見えた。
庶子として生まれたことで、蔑まれ、うとまれて育てられたこの王子は、悪魔の力を利用して謀反を起こそうと企んでいた。しかし、女魔術師が王子の身体から悪魔を追い出し、彼は捕らえられてしまう。
王子が処刑される日の前夜、女魔術師と王子が、鉄格子を挟んで向かい合った。
「殿下。あなたは悪魔と契約なさったのですか?」
彼が王家に復讐するために悪魔と契約したのであれば、この状況は納得できる。
しかし、彼の答えは予想とは違っていた。
「あいつが勝手に、俺に取り憑いたんだ。そのくせして、俺に逆らえないから、利用してやったんだよ。面白かったぜ。俺を馬鹿にしていた連中が、次々と不幸に落ちていくのは」
高笑いする王子を、女魔術師は呆然と見つめていた。自分に取り憑いた悪魔を、無条件に使役するなど、聞いたこともなかったからだ。
「あいつが言っていたが、俺のような人間を、悪魔の器って言うんだってよ。取り憑いた悪魔よりも器が大きければ、人が悪魔を支配できる。器が小さければ、人は悪魔に支配され、やがて肉体が悪魔の力に絶えきれなくなって命を落とす。そして、適合する器は、悪魔が人に成り代わる」
鉄格子の間から、王子の手が伸ばされ、女魔術師の顎をくいと持ち上げた。
「なぁ、悪魔になるって、どういう気分なんだろうな」
今の王子には悪魔は宿っていない。しかし、狂気をはらみながらも蠱惑的に輝く彼の瞳に、女魔術師は抗うことができなかった。
その夜、その国に大きな地震が起きた。堅牢な造りであったはずの王城はもろくも崩れ落ち、王や、その家族は皆、瓦礫の下敷きとなり息絶えた。町には次々と火の手が上がり、三日三晩燃え続けた。
半年後、廃墟となったその地を占領した隣国の兵が、王城の牢と思われる場所の瓦礫の下から、奇妙な図形や文字を発見した。
第七王子と女魔術師の行方は、誰も知らない。
生きているのか、死んでしまったのかすら……。
なぜ、ドロテがこの話をしたのか。
それを理解して、デューが身震いした。
悪魔の器であったという第七王子は、彼の状況と非常に似ている。デューは悪魔に取り憑かれても何の影響も受けないどころか、逆に悪魔の力を押さえ込んだのだ。
もし、彼が何かを命じたら、あの悪魔は従ったのだろうか。少なくとも「やめろ」と叫んだ時、悪魔は凍り付いたように動きを止めた。
ロラは青ざめて俯く彼の背中に、そっと手を置いた。
「ばあさま。この話、どこまで本当なの?」
「この話は、わしの作り話じゃよ」
ドロテはあっさりと、今の話が自分の創作であることを認めた。
彼女の話は全くのでたらめか、事実をとてつもなく誇張したものばかりだが、これまで一度もそれを認めたことがなかった。それなのに、これほど簡単に作り話だと認めたことに、ロラは逆に不安をおぼえる。
「……じゃが、悪魔の器がどういうものかは、わしが子どもの頃、わしのじいさまから聞いた話じゃ。じいさまも優れた魔術師じゃったが、そんな器を持つ者には、会ったことはないと言うておったわ。わしも、そんな者など見たことがなかったから、ただの言い伝えだと、これまで思うておった」
悪魔の器の存在は、一族の間で、代々語り継がれていたのだ。誰も見たことがなかったから、これまで作り話だと思われていたが、もしかすると真実かもしれない。悪魔の器は実在するかもしれない。
ドロテは、骨張ったしわしわの手をデューの顎に伸ばすと、彼の顔を上げさせた。
「僕が……そうなのですか? 悪魔の器なのですか?」
彼の淡い青の瞳に、蝋燭の炎が映って揺らいでいる。彼の背中に触れているロラの手には、細かな震えが伝わってきた。
「そうかもしれんし、違うかもしれん。今、はっきり言えるのは、お前さんが、悪魔をも引き寄せ、それを押さえつけられるほどの、桁外れの霊媒者であるということだけじゃ」
彼の顔をじっと見つめ、顎から頬へと手を移動させたドロテは、やはり気休めは言わなかった。客観的に見た事実を、そのまま告げただけだ。しかし触れた手は優しく温かく、しわの奥から見つめる瞳は慈しみに満ちている。
「僕には、分からないことだらけだ。自分のことなのに、何一つ分からない。僕は、どうしたら……いい」
「どうもせずとも、今まで通り、ここにおれば良い」
「だけど、こんな中途半端な状態は嫌です。僕はいつか悪魔になって、この家のみんなを襲うかもしれないのに!」
失くした過去への不安だけでなく、自分が何をしでかすか分からない未来への不安まで、彼は背負ってしまった。
「怖いんだ……自分が」
抱えた膝に顔を埋めて震える彼は、あまりにも頼りなくて、見ているだけで切ない。
悪魔による惨状をその中心で目にした後で、悪魔の器なのかもしれないと言われれば、普通の人間が恐怖を憶えるのは当然だ。
しかし、ロラはもっと悲惨な状況をたくさん見てきた。そしてそれを、全て解決してきた魔術師としての自負がある。
だから……。
「デュー。あなたはあたしを誰だと思ってるの? 白魔術師一族、カントルーヴ家のロラよ。あたしがそばにいる限り、あなたが悪魔になることは、絶対ないわ。あたしが、あなたを護る。だから、心配しないで」
ロラは彼の首に両腕を回して、頭を抱き寄せた。銀色の髪を撫で、子どもに言い聞かせるように何度も「大丈夫」だと耳元で囁く。彼はロラの腕の中で小さく頷いた。
「ごめん。僕、また……」
しばらくすると落ち着いたのか、彼は頭をふっと上げた。ロラが腕を解くと、少し離れて口元を押さえ、照れくさそうに顔を背けた。
「そうじゃ。大天使でも呼んでみるか?」
二人の様子を面白がるように見ていたドロテが、ふと口をひらいた。
「え? 大天使……を?」
「悪魔の器のことをちゃんと知っている人間など、おらんからのぉ。大天使ならば、デューの記憶のことも、何か分かるかもしれん。呼ぶとしたらミカエル……いや、癒しを司るラファエルの方が良いかのぉ」
召還という言葉と、大天使の名前を聞いて、ロラの表情がぱっと明るくなった。
「ばあさま! 大天使の召還をやってくれるの? 若い頃に召還したことがあるって言っていたのは、本当だったのね!」
ドロテの武勇伝の中に、人間には不可能とされている、大天使の召還に成功した話がある。
彼女はいつも自慢げにその話をした後、「今は年じゃから、その術は封印した」と締めくくる。他の魔術師がその方法を聞いても、決して教えてくれなかったから、誰もが、いつものホラ話だと思っていたのだが……。
「ああ、あの話か。あれは、作り話に決まっておろう?」
やっぱり、ばあさまってすごい! などと、目を輝かせていたのに、あっさり作り話だと白状されて、ロラは肩を落とした。
「若気の至りで何度も試してみたが、大天使など、一度も呼べたことはないわい。あの話は、わしの願望に過ぎんよ。……おっと、これは他の者たちには内緒にしておくれ」
しれっと言葉を続ける老婆に、ロラは思わず恨みがましい目を向けた。
「それじゃあ……どうしようもないじゃない」
「悪魔が呼べるのじゃから、天使を呼べても何の不思議もない。そう思って、何度も試して失敗したが、じゃからといって、不可能だと決めつけることもなかろう? だいたい、悪魔祓いをするときは、四大天使が力を貸してくれる。あれも召還には違いない。姿が見えぬだけで、いつもすぐそこに、来てくれているはずじゃからの」
確かに、そうだ。
天使達は人前に姿を現さないだけで、すぐそばから手を差し伸べてくれている。ついさっきも、ミカエルの黄金の剣の力を借りたのだ。いつもすぐ近くにいるはずだ。
ロラの瞳の輝きに、彼女の理解を感じ取って、ドロテが深い笑みを浮かべた。
「わしは、ただの好奇心から、大天使を召還しようとした。じゃが、今のおまえには強い動機がある。その思いが純粋で確固たるものであるなら、大天使達も見捨てたりはせんかもしれん。絶対とは言えんがの」
魔術師一族の長は、一つの可能性をロラの前に提示した。決して気休めなど言わぬ人だから、彼女の言葉と髪を滑る手は、勇気を与えてくれる。不可能ではないのだと信じられる。
「やってみるわ。大天使の召還!」
ロラは膝の上に置いた両手を、固く握りしめた。




