ルルハルト来襲
翌日の朝はいつも通りだった。
――――朝まではいつも通りだった。
警鐘が鳴ったのは、正午頃だった。
「何でしょうか?」
クラナはユリアーナたちと昼食の準備をしていた。
「分かりません。しかし、何かあったのは間違いないでしょう」
とアーサーンが返す。
クラナは兵士たちに宿舎で待機するように命じた。
そして、ユリアーナ、フィラック、アーサーンの三名と共に作戦本部庁へ向かった。今回は三人を連れて行くべきだと判断した。
すでにシュトッタ要塞司令官、ルーゴン将軍、その他に残留した各部隊の隊長たちが集まっていた。
「無礼で申し訳ありません。何があったのですか?」
クラナは歓迎されていない視線を無視して、シュタットに尋ねた。
「軍議に呼ばれてもいない方にはお引き取り願おうか」
乱暴に言ったのは、ルーゴンだった。
ユリアーナがムッとし、前に出そうになる。アーサーンがそれを静止した。
「我らは協力体制にあるはずです。ならば、現状の説明をするのが筋でしょう」
フィラックの隻眼は鋭く、声は静かで重かった。イムレッヤ帝国側に緊張が走った。
現在のガンルレック要塞内で、フィラックに勝る実戦経験を持つ者はいない。フィラックを蔑ろには出来なかった。
「失礼を許してくだされ。突然の出来事で、少々気が立っているのです」
シュタットが言った。皆、表情に恐怖が現れている中、一人だけ平静だった。
「時間もない、簡潔に言いましょう。ルルハルトが来襲しました」
シュタットは勿体ぶるでもなく、強調するでもなく、平坦な口調で言った。
クラナはそのせいで一瞬、理解が遅れた。理解した時、心は大きく動揺した。
「敵の規模はどれくらいなのですか?」
クラナはそれを押し殺して、落ち着いた口調で言葉を返す。
「一万はいるでしょう」
「一万ですか…………」
クラナに二つの疑問が浮かんだ。
一つは、リョウたちが追った軍の正体である。それがもし、リテリューン皇国軍なら、兵力を分散したことになる。ルルハルトが無意味にそんなことをするとは思えなかった。
もう一つは、要塞を攻めるのに一万の兵力では少なすぎることである。
クラナはルルハルトの策を看破するほどの思慮を持っていなかった。それでも疑念を持つことは出来た。
「ルルハルトさんは何かしらの策を持っていると思います。ここは要塞です。こちらはイムレッヤ帝国軍と私たちを合わせれば、八千です。簡単には落とされないと思います」
クラナは断りもなく発言した。
焦りはあった。
「いくら、シャマタル独立同盟軍の司令官と言え、勝手な発言は控えてもらおうか」
ルーゴンがすぐに指摘する。
「…………申し訳ありませんでした」
クラナは頭を下げる。
そして、一呼吸置き、「決まっていることを教えて頂けませんか?」と尋ねた。
「今、話し合っていたところです」とシュタットが言った。
「私は籠城した方がいいと思っています」
シュタットが「私は」と言ったことで、反対意見があることをクラナは理解した。
「こちらは八千だ。それに敵は遠征で疲労しているに違いない。まぁ、内三千は辺境の賤民だが、俺の部隊が倍の働きをすれば、問題なかろう」
その言葉にユリアーナが再び、敵意を再熱させた。
「アーサーン連隊長、私をそのまま押さえつけておいて頂戴。そうでないとあの愚図を殴りそうだわ」
「そうさせていただきます。リョウを殴るのとはわけが違いますから」
ユリアーナとアーサーンはお互いにだけ聞こえる声量で会話をした。
「私も要塞から出撃するのには反対します」
クラナは強い口調で言った。
「まったく、シャマタルの司令官は常識がないな」
ルーゴンが呆れたように言った。
「勝手な発言は…………」
「それはあなたにも言えることではないか?」
ルーゴンの言葉を遮った者がいた。フィラックである。
「カタイン殿の留守を任せられているのは、シュタット殿のはず。クラナ様の発言が不適切だと指摘する権利があるのはシュタット殿であって、あなたではない」
フィラックは珍しく、威圧的な口調だった。彼も今は早急に作戦を決め、動かなくてはならないことを理解していた。
フィラックに気圧されて、ルーゴンは押し黙るしかなかった。
「失礼、少々、出過ぎました」
フィラックは頭を下げる。
「構いません。時間もない。すぐに行動を起こしたいのですが、出撃案に賛成の者は?」
ルーゴンだけが手を挙げた。
「これが結果です。今は緊急時の為、これ以上問答をする時間はありません。防衛の布陣を決めます。各員、指定された場所で任に着いてください。異論は認めません」
シュタットは布陣を決める。
ルーゴンは不満そうだったが、シュタットの指示には従うしかなかった。
正面門がある南には、シュタット隊、裏門のある東には、ルーゴン隊、高い壁のある西にはグリューン隊、そして、低い壁しかない北にはシャマタル独立同盟軍が布陣した。
「結構、重要なところを任されたわね。これって、私たちが信用されているってことかしら?」
ユリアーナが言う。
「もっとも危険なところ、とも言えますね。なんにせよ、シャマタル独立同盟として行動の自由があるのはありがたいことです。手足を縛られて様な状態で戦いたくはありませんから」
アーサーンが言う。
派手さも奇抜さもない平凡な布陣だったが、クラナは安心した。
奇のてらっても、ルルハルトには敵わない。
平凡でも、これが最善であることは確かだった。