奴隷契約
「ルルハルトがガンルレック要塞を標的にした? それは兵糧に困ってのことかしら?」
カタインがユリアーナに尋ねる。
「今はまだ分かりません。分かっていることは私たちが、要塞に残った兵士と民が窮地にあると言うことだけです」
「数はどれくらいなの?」
カタインは尋ねる。
「申し訳ありません。それも分かりません。でも、こちらの方が少ないのは確かです」
「いったいどういうことかしら? それにあなたはどうやって要塞を抜け出したの?」
「それが…………」
ユリアーナは悲痛な表情になった。
「ルルハルトは一万ほどの兵で要塞に攻撃を仕掛けてきました。それに関しては、すぐに撃退できたのです。でも、誘われているのは、明白でした。クラナ様がシュトッタ司令官に罠の存在を進言しようとしたのにルーゴン将軍が麾下の兵士、二千を率いて出撃し、疑似敗走するルルハルト軍を追撃してしまったのです」
「あの男、余計なことをしたわね」
カタインは「こうなる前に首を刎ねれば良かったわ」と言いそうになった。
「その後は?」
「ルーゴン将軍に釣られる形で他のイムレッヤ帝国軍、そしてクラナ様達も出ることになってしまいました」
「結果はどうだったのかしら?」
「………………」
「別に全滅はしてないのでしょう? それなら要塞へ戻れなんて言わないわよね」
「はい。でも、結末は分かりません」
「分からない?」
「私は出撃に隙を見て、要塞を脱出したのです。クラナ様の命令で」
ユリアーナは悔しそうだった。カタインは彼女の性格を理解していた。
「だから、分かりません。しかし、フィラック様やアーサーン連隊長がいます。それにクラナ様は最初から先行した味方を救出したら、退却するつもりだと言っていました」
「随分と的確な決断が出来るじゃない?」
「クラナ様はこの一年、リョウの言葉をよく聞いていました」
ユリアーナは、放心のリョウを睨みつける。
「いつか自分にリョウの手助けができるように、と努力していたんです。去年まではただのお飾りだったかもしれません。けど今は少しずつ力を付けています」
「けれど、到底、ラングラムの敵なるとは思えないわ。それにあなたの情報には不確定なことが多すぎるわ」
カタインは断言する。
「ラングラムが現れたということは、すでに要塞を落とす算段が出来ているということじゃないかしら?」
カタインの言葉に対して、ユリアーナは反論ができなかった。
「ラングラムが要塞攻略に時間を要している間にこちらは戦線を再構築すれば、今度は簡単にラングラムを捕捉できるかもしれないわね」
それは要塞を見殺しにするという決断だった。
そして、その決断が正しいことは、ユリアーナも理解できる。
「カタイン様は鋭い戦略眼をお持ちです。あなたの言うことは正しいと思います。しかし、私には死なせたくない人たちがいます。大切な人たちがいます。どうかお願いです。要塞へ兵を向けてください!」
ユリアーナは頭を下げた。
「見返りは何かあるのかしら?」
「えっ?」
「危険を犯す見返りよ。条件次第では考えが変わるかもしれないわ」
「見返りなんて…………私に渡せるものなんて…………」
「あら、あるじゃない」
カタインはユリアーナに迫り、鳩尾のあたりをトン、と叩いた。
「あなた自身を私に捧げなさい」
「私ですか?」
「文武に優れ、いざという時は死地に立つことも躊躇わない。ほしい駒だわ。私の奴隷になりなさい」
「奴隷…………そうすれば、兵を動かしてくれますか?」
「考えが変わるかもしれない、と言ったのよ。確定ではないわ」
ユリアーナは俯き、少考した。結論を出し、顔を上げる。
「…………分かりました。私の命はどう扱って頂いても構いません。ただし、条件があります」
「出せる立場だと思っているのかしら?」
「出します。それだけは譲れません」
「相変わらず、真っすぐね。なに?」
「クラナ様に直接、私がカタイン様の奴隷になることをお伝えください」
「面白いこというじゃない」
カタインは楽しそうに笑う。
「私はシャマタル独立同盟遠征軍司令官クラナ・ネジエニグ様の元にいます。司令官を通さずに、私の身柄を勝手に扱うことは出来ません」
「要塞へ救援に向かうどころか、あのお嬢ちゃんを無事に救えっていうのね。それは強欲ね」
「…………………………………………」
ユリアーナは、カタインを真っすぐに見た。
「その眼で私に対峙するのは二回目ね。本当に欲しいわ。あなたが手に入るなら、多少の無理は聞いてあげましょう」
「ありがとうございます…………」
ユリアーナはホッとし、全身の力が抜けた。
すぐに力を入れ直し、今度はリョウに対する。
「聞いたかしら。これからルルハルトを討つわよ。あんたはそこで挽回しなさい」
色々な感情を後回しに、ユリアーナはリョウへ告げる。
「無理だ。間に合わない。クラナがルルハルトに勝てるはずがない…………」
ユリアーナは殴りたくなった感情を押し殺して、「これ」と手紙を渡した。
「クラナ様からよ。あの子は絶望なんてしていないわ。ちょっとはクラナ様を信じなさい。あの子はもうただのお飾りじゃないのよ。私自身、それに気付いたのは要塞を出る寸前だったけど」
「…………」
リョウは無反応だった。ユリアーナはそれ以上、言葉をかけなかった。ここで潰れるようではそれまでだ。
しかし、リョウがここで終わるはずがないとユリアーナは確信していた。
グリフィードが拾い、ルピンが認めて、クラナが魅せられた。そんなリョウがこんなつまらない終わり方をしない。必ず、挽回するはずだ、と思った。
「それはそうとお嬢ちゃん?」
「はい?」
ユリアーナが振り向いた時、目前にはカタインの拳が迫っていた。
鈍い音がした。カタインはユリアーナの眉間を思いっきり殴った。
「なん…………で…………?」
ユリアーナは意識が途切れる寸前に、
「こうでもしないとあなた、すぐにでも要塞へ戻ろうとするでしょ。少し休みなさい。女がそんな顔するもんじゃないわよ」
というカタインの言葉が聞こえてきた。