ユリアーナの不安
ユリアーナはクラナの武術の実力を理解していなかった。
いままでそんな機会はなかった。
今日が初めての手合わせであった。
「ユリアーナさん、さすがですね…………」
クラナは地面に仰向けになっていた。息は絶え絶えだった。出せる力は出し尽くした。
「クラナ様もここまで強いとは思いませんでしたよ」
ユリアーナは手を差し伸べた。
ユリアーナも決して、涼しい顔ではいられなかった。余力は残っているが、額には汗が光っていた。
「リョウと喧嘩したら、余裕で勝てますね」
ユリアーナは冗談っぽく言う。
クラナは複雑そうだった。
「気分を悪くしましたか?」
ユリアーナは慌てて言葉を付け加える。
「いえ、リョウさんに勝てるほどの実力しかないのはちょっと複雑で」
クラナは苦笑いした。
「そういうことでしたか。なら、訂正します。戦場でも十分に自分の身を守れますよ」
「お世辞ですか?」
「お世辞を言うのは苦手です。特に友人には言わないようにしています」
「そうですか。それなら、満足します」
「ここに居ましたか」
フィラックが姿を見せる。
「クラナ様、先ほどは娘が失礼しました。私の方から厳しく言っておきましたので、どうかご容赦をしてください」
フィラックは頭を下げる。
「いえ、私は大丈夫です。でも、リョさんが帰ってきた時、二人が話をできる機会を作りたいとは思いました。リョウさんもルパちゃんも私にとっては大切な人です。あまり後に引くのは嫌ですから」
「ありがとうございます」
「私なんかはよくやったって言いたくなっちゃいましたけど」
ユリアーナは軽い口調で言う。
クラナとフィラックはわずかに笑う。
「ところで二人は稽古でもしていたのですか?」
「稽古って程でもありませんよ。私の鬱憤晴らしを、ユリアーナさんに手伝ってもらっていたのです」
「フィラックさんもどうですか?」
ユリアーナが提案する。
「遠慮しておきましょう。この老体にユリアーナ殿の相手は少々辛いので」
「アーサーン連隊長も私を敬遠していたんですけど、フィラックさんもですか?」
ユリアーナは苦笑する。
「個の武に関しては現在のシャマタル独立同盟で、一番の実力者でしょう」
フィラックは偽りのない賞賛を送った。
「ありがとうございます。でも、実を言うと私はちょっと不安があるんですよ」
「なんですか」とクラナが尋ねる。
「もう戦場を離れて一年が経ちます。私は常に死と隣り合わせの世界にいました。死ぬ気で剣技を磨いて、ギリギリの感覚の中で生きてきました。だから、少し怖いんです。今回の初戦が。横からの敵に対処できなかったら? いつの間にか囲まれていたら? 私を狙う矢に気付くのが遅れたら? 純粋な力量で負けたら? 人は簡単に死にます。それが分かっているから、今の自分の状態がどうなのか知りたいのです」
「…………ユリアーナさん、あの、もし宜しければ…………」
「後方へは回りませんよ」
ユリアーナが先回りして、発言する。
「まっとうな理由があるならともかく、死ぬのが怖いなんて理由で安全なところにいるなんて、私には出来ません。それではリョウを怒る資格が無くなりますから」
「分かりました。でも、すいません。私がもっと強ければ、ユリアーナさんが本気を出せるのに」
クラナは申し訳なさそうに言う。
「そんなことで謝らないでください。私とクラナ様では役割が違います。クラナ様に必要なのは個の武ではありません」
「その通りです。ゼピュノーラ殿から、うちの司令官にも言って欲しいものですね」
三人の会話に加わった者がいた。
「グリューンさん」
「私もここへ残るように言われております。その間はよろしくお願いします」
グリューンが頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
クラナが前に出た。
「先ほどは騒ぎを起こしてしまい、申し訳ありませんでした。全ては私が未熟だからです」
「僭越ながら申し上げますが、ネジエニグ司令官は良くやっています。あなたの忍耐の半分でいいので、カタイン様に備わってほしいものです。あの人は自由すぎます。それがあの人の長所ではあるのですか」
グリューンは困ったような顔をした。
「お互い気苦労が絶えないみたいですね」とユリアーナが返した。
グリューンは同意するように笑った。
「ところでゼピュノーラ殿、剣の相手が必要なら、私がいたしましょうか?」
「グリューンさんが?」
「不足ですかな?」
ユリアーナはグリューンの実力を知らない。
しかし、事務作業が得意と言うだけでカタインがそばに置いているとは思えなかった。
「分かりました。よろしくお願いします」
ユリアーナは練習用の剣を渡そうとする。
「ゼピュノーラ殿、望みを叶えるなら、これでは不足でしょう」
グリューンは間接的に真剣での立会を求める。
「いいんですか?」
「構いませんよ」
ユリアーナはグリューンが見栄や伊達や酔狂で提案しているわけでないと理解した。
「分かりました。実を言うと私もちょっとは真剣で打ち合ってみたかったんです」
「えっ? ええっ!? ちょっと二人とも真剣って死んじゃいますよ!」
クラナは慌てふためく。
「心配いりません」
フィラックが制止した。
「実力者同士の真剣勝負なら作法を分かっています。勉強になるか分かりませんが、ひとつの経験として見ておくべきでしょう」
クラナは、フィラックに言われ、二人を身も守ることにした。