出陣前日
それから三日間、ルルハルト軍に目立った動きはない。どこに消えたかも掴めていなかった。
兵士たちは苛立ち、民衆たちは不安に駆られていた。
リョウは自室で地図を見ていることや模擬戦をやることが多くなっていた。
「まったく、あいつ、クラナ様まで遠ざけちゃって」
ユリアーナが愚痴を言う。
「いいんです。もっと私に出来ることがあればいいんですけど、ルピンさんみたいに…………」
ルピンの名前を聞き、ユリアーナは思ってしまう。
リョウが意見を求める相手は、いつもルピンだった。
「まったく、私もあいつも独り立ちできなわね」
ユリアーナは思わず呟いてしまった。
「カタイン様、ルーゴン将軍から面会の求めがありました」
「却下よ。会いたくない」
カタインは子供のように言った。
「司令官として、嫌なこともしないと駄目ではないですか?」
「どうせ、出撃したいって言うのでしょ? 同じことを言う馬鹿に使う時間はないわ。次に同じことを言ったら、指揮権を剥奪すると言いなさい」
カタインはきっぱりと言う。彼女自身、敵がいるなら戦いたいと思っていた。その敵の姿が見えない。
事態が動いたのは、さらに四日後の朝だった。
カタインはすぐにグリューンを呼んだ。
「帝都へ向かっている軍があるそうよ」
各地に散らしていた偵察部隊の一つから報告が入った。
「もうかなり帝都へ迫っているのですか?」
グリューンが尋ねる。
「いえ、ここから二日の距離よ。こちらが急行すれば、追いつけるわ」
「では、出ますか?」
「………………」
カタインは即答しなかった。
どうも罠の気配がする。それを感じ取っていた。
「どっちにしろ、シャマタル側と話し合いが必要だわ。準備をして頂戴」
「かしこまりました」
緊急の招集がシャマタル独立同盟軍へ行われた。
これに対して、シャマタル独立同盟は素早く応じた。
全員が近いうちにこうなると予想していた。準備をしていた。
カタインはシャマタル側にルルハルト軍の発見と兵の数を知らせた。
情報を信じるならば、ルルハルト軍は一万程度、師団規模という情報である。
「こちらは私の軍が三万、シャマタル側の援軍が三千、そして、要塞に駐留する兵が五千。単純に足せば、四万に迫る大軍よ。大軍に小細工はいらないわ。出陣して、真っ向勝負でルルハルトを蹂躙すればいいと思わない?」
カタインは正論を言った。これが通れば、それで良いと思った。カタインも今の状況にはうんざりしていた。
カタインはルルハルトを野放しにしている間に、どれだけの被害があったか考える。
「出来れば、生け捕りにしたいものね。私が首を刎ねたいわ」
カタインは表情に出さなかったが、怒っていた。
「打って出る。異論はあるかしら?」
カタインは、リョウが何か別の案は出すことを期待する。
しかし、その期待は裏切られた。
シャマタル側からも反対意見は出なかった。
カタインは堪らず、「本当にないの?」と言ってしまった。視線はリョウを見据える。
それが分かったリョウは口を開けた。
「今回は打って出るべきだと思います」
リョウが言う。
「ルルハルトは威嚇しています。そして、僕らの行動が鈍った隙にイムレッヤ帝国に楔を打ち込む。ルルハルトが恐れているのは、僕らが正面決戦を挑むことです。兵力ではこちらが有利です」
リョウが言い終えるとシャマタル側からそれ以上の意見は出てこなかった。
(信頼かしら? でも、全てをこの子に背負わせるのは荷が重そうよ)
カタインはリョウの表情が硬いのに気が付く。
反対意見が出ない以上、カタインは自身が口にしたことを撤回するつもりはなかった。
「ならば、出撃よ。今日中に準備しなさい。明日の朝、ラングラムを討つために発つわ」
ガンルレック要塞は慌ただしくなった。
ルルハルトを憎む気持ちが兵士たちにはあった。士気は高かった。
それはシャマタル独立同盟の将兵にも連鎖していた。
シャマタル独立同盟も戦いに向けて各々が準備をする。
「ねぇ、ちょっと、手合わせしてよ!」
「遠慮します。戦の前にケガをしたくないので」
ユリアーナは剣を、アーサーンは筆を持っていた。
「まったく、あなたって、ほんとはあまり強くないんじゃない?」
「指揮官に必要なのは広い視野と決断力です。個の武など無くても構いません」
アーサーンはきっぱりと言う。
「少し疑問に思ったのですが…………」
言ったのはルパだった。
「なぜ、ユリアーナさんの方が偉そうなのですか?」
ユリアーナとアーサーンは顔を合わせた。
「そういえば、なぜかしら?」
「あのような衝撃的な出会いだったからではないでしょうか。今更、話し方を変えるのも違和感があるので、このままで行きたいものです。ゼピュノーラ殿」
アーサーンは苦笑しながら、返す。
「そうね、アーサーン連隊長」
「随分と自由な軍規ですね」
ルパは少し呆れる。
ユリアーナもアーサーンも決して、人殺しが好きな訳ではない。
それでも戦いの前に気持ちが高鳴るのは、戦場に立つ者の性である。
フィラックは新兵に戦ですべきことを説いていた。
「敵を倒すことが最優先ではないのですか?」
新兵の一人が口にする。
「違うな。お前たちがすべきことは生き残ることだ」
「なぜです? 死ぬのなど怖くはありません」
「一人の英雄の話をしてやろう。その英雄は初陣で運悪く敵兵五人に囲まれたらしい。どうしたと思う?」
「英雄ならば、五人を斬り伏せたのでしょう」
「違うな。武器を捨てて逃げた」
「大した英雄がいるものですね」
新兵は鼻で笑った。他の新兵もつられて笑う。
「その男は今、シャマタル独立同盟の総司令官になっている」
「えっ!?」
新兵は己の失言に恐怖した。
「そんな顔をするな。どんな英雄でも初めは経験も力量もない。しかし、生きていれば、成長は出来る。生き残れば、また学べる。決して、死に美学など感じるでないぞ。生きてこそだ」
フィラックは生きることを強調する。
クラナは時間が空けば、兵たちを激励して回る。
その行動がさらに兵士の士気を上げる。
「リョウさん、私、上手くやっているでしょうか?」
一旦、兵士の前から退いて、クラナはリョウに確認する。
「あれ? リョウさん?」
リョウはいなかった。いつの間に消えていた。
戦いの準備は進んでいた。全員がやれることをやっていた。
しかし、違う方向を見ていた人物がいる。
リョウである。
リョウはシャマタル独立同盟の宿舎を離れて、カタインが総司令部を置いている建物の前にいた。