回想録~キグーデ平原会戦(中編)~
キグーデ平原会戦は平凡な形で開始された。
矢の打ち合いから始まり、歩兵のぶつかり合い。
序盤の主導権を握ったのはリテリューン皇国だった。
ベルガン大王国は十万といえ、多くの傭兵や民兵が混ざっている。練度や連携では、リテリューン皇国の方が有利だった。
そんな中、獅子の団はグリフィードとユリアーナを中心に戦果を挙げたが、それは一戦場でのことであり、大勢で見れば、目立つものではなかった。
戦いはリテリューン皇国有利で進む。
しかし、ベルガン大王国の総大将、ナロア・ユサーンダは焦っていなかった。この時点でリテリューン皇国が総力戦を展開していたのに対して、ベルガン大王国は『黒色槍騎兵師団』をすべて温存していた。
「ルルハルト・ラングラム、奴の死に場所はここだ。黒色槍騎兵、突撃せよ!」
正午を回った頃、ユサーンダは勝ちを確認し、高らかに宣言した。
「勝てるといいがな」
黒色槍騎兵の突撃を見て、グリフィードが呟く。
大陸最強の騎兵師団の突撃は苛烈だった。
その突破力で戦局を変えてしまった。
リテリューン皇国の戦線は崩壊を始める。やがて、退却の笛が鳴った。
「これで終われば、いいんだが…………」
「そんなはずないでしょ」
グリフィードの希望的意見を、ルピンは一蹴した。
案の定、ベルガン大王国は敗走するリテリューン皇国の追撃戦に入った。
「おい、やっぱり…………」
「そうですね。森へ誘い込まれています」
「死ぬのはごめんだな」
グリフィードは追撃の列から外れた。獅子の団に呼応し、いくつかの団が追撃の列から離脱する。
獅子の団を中心に、他の傭兵団が合流する。
「一千程度ですか。このまま逃げるという手もありますよ」
「馬鹿を言っちゃいけねぇよ!」
頬に大きな傷のある男が笑った。
男の名はゴルズといい、ヨーロ傭兵団の団長である。グリフィードの働きかけで集まった傭兵団の中では、もっとも大きく三百を超える傭兵団である。
「金が貰えてこその傭兵だ。そうだろ?」
「その通りですね」
ゴルズに同調したのはシュード傭兵団のトーラス団長だった。切れ者として知られる男である。
「でしょうね。傭兵とはそういう者ですよね」
ルピンは嫌そうに言う。
「今回も獅子の団の愛玩動物が発案か?」
「よし、グリフィード、ヨーロ傭兵団の団長の首を刎ねなさい」
「無理だ」
「悪い悪い。どうも戦場には似つかないからな」
「私だって好き好んでこんなところにいるわけじゃないですよ。それに今回は私の策じゃないです。あの子ですよ」
ルピンはリョウを指差した。
「なんだか変な新入りがいると思ったが、参謀だったのか。しかし、剣も持たず、俺たちについてくるのがやっとに見えるが?」
「恐らく、喧嘩すれば私といい勝負です」
「それは話にならないな」
「ええ、これで参謀として役立たずなら奴隷商人にでも売り飛ばしますよ。っと、雑談をしている時間はありません。急造ですが、グリフィード、ゴルズ団長、トーラス団長を中心に三つの中隊を編成します。構いませんか?」
「好きなようにしてくれ」
「では、作戦を説明します」
傭兵団の面々が勝つために動くのは、義理ではない。金のためだ。そして、勝たなくては報酬は保証されない。だから、彼らは、自分たちが属した軍の勝利のために最善を尽くす。
ベルガン大王国は勝利を確信し、森の中を進撃していた。
しかし、思わぬ苦戦に会う。
「またか…………」
一人の兵士がうんざりしたように呟いた。
リテリューン皇国は小規模な集団で、奇襲を繰り返す。
ベルガン大王国自慢の騎兵も森の中では役に立たない。
進撃速度は遅くなる。
「ええい、まだルルハルトの首は取れないか!」
ユサーンダは苛立っていた。今までの敗戦を思うとリテリューン皇国を撃退しただけでは気が済まなかった。何としてもルルハルトを討ち取りたかった。
「ルルハルトを討ち取った者の恩賞は思うがままだぞ!」
ベルガン大王国軍は森の中へ中へと進んでいった。
しかし、すでに異変は起きていた。
「おい、何かが焼けた匂いがしないか?」
ある兵士が疑問を口にする。
「まさか、火計か?」
「馬鹿を言え。リテリューン皇国の兵士だって大勢いるんだぞ。そんなわけが…………」
味方ごと焼き殺すわけがない、とベルガン大王国軍は考えてしまった。その考えが判断を遅らせ、致命傷になる。
気付いた時には辺りは火の海になっていた。
「どういうことだ!?! 味方もいるんだぞ!!?」
逃げ惑っているのは、ベルガン大王国だけではない。リテリューン皇国の兵士も同様に逃げ道を失っていた。
「おい!」
ベルガン大王国兵が、リテリューン皇国兵を捕まえる。殺すつもりはなかった。こんな状況で殺し合いなどできない。
「どうなっている。これはリテリューン皇国の、ルルハルトの策ではないのか?」
「俺たちはこの森にベルガン大王国を誘い込めば、勝てると言われていたんだ! 作戦は知らされていなかった! こんなことになると思わなかった!!」
この状況で混乱していたのは、むしろリテリューン皇国の兵士だった。何しろ、味方から裏切られたのだから当然である。
ルルハルトはルーグデという川の対面から森が焼けるのを見ていた。
川を挟めば、火が侵略することはない。
そして、ベルガンの兵士が逃げるとしたら、水を求めてこの川に逃げてくるだろうと予想していた。
ルルハルトは近接戦闘の出来る兵士を森に残して、現在は弓兵と投石兵を中心に編成していた。
川に逃げ込んだベルガンの兵士を討ち取るつもりだった。
「閣下、本当に味方は大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫だ」
「脱出の策は教えてある。何も問題ない」
そんなものはなかった。もし、森の中に入ったリテリューン皇国軍が脱出しようとすれば、その動きは必ず不自然になったであろう。それでは敵を騙せない。敵を騙すのは簡単である。
味方ごと騙してしまえばいい。その結果、味方がいくら死のうが勝てばいい、とルルハルトは思っていた。
「ベルガン大王国の兵士が火の中から出てきたら、討て。出てくるのは全てベルガンの兵士だ」
特にいつものと変わらない。勝つだけだ。
ルルハルトはそう思っていた。それが当然だった。
だからこそ、この後の異変に対して、対処が遅れてしまった。
「信じられない。本当にやるなんて…………」
ユリアーナは恐怖と怒りのこもった声で言う。
傭兵連隊は森を脱出していた。
「あの火の回りの早さは乾燥しているからだけじゃないですね。初めから、森の中に油を撒いていたのでしょう」
「よく冷静でいられるわね、ルピン」
「これでも今回は動揺しているんですよ。ここまで命を軽視している人間を相手にしていたと思うと。で、これを見破った本人はどこにいるんですかね?」
ルピンはリョウの姿が見えないことを気にした。
「あっちで吐いていたわよ」
ユリアーナは遠くに見えるリョウを指差す。
「まったく本当に分からない子です。鋭いと思えば、脆い」
ルピンはリョウに駆け寄った。
「無理ならここに残りますか? 兵士の数人なら護衛に付けますよ」
この少年にはそれくらいの価値はあるとルピンは判断した。
戦いが終わって、壊れていなかったら、自分の下で使おうと思っていた。
「いや、大丈夫だよ。それにこれからじゃないか。なんだか、許せない気持ちなんだ」
「そうですか。ルルハルトさんを恨みますか?」
「違う。こうなると分かっていたのになんでもっと強く言わなかったのか、って自分が許せない。出来る限り、死者は少なくしたい。味方も敵も」
「とんだ偽善ですね。なら、そのためにも早くルルハルトさんには退場してもらいましょう。戦いが終わらないと救助もできません」
そうだね、とリョウは無理やり笑った。
「さてとリョウ、敵は本当にこっちなんだろうな」
グリフィードが聞く。
「間違いないよ。これだけ大規模な火計だ。安全な場所で尚且つ、逃げてくるベルガンの兵士を待ち伏せる場所は決まっているよ」
傭兵連隊は大きく迂回して、ルーグデ川を渡っていた。リョウの言っていることが正しければ、リテリューン皇国の、ルルハルトの後背を取れているはずである。
「グリフィード団長よ、その少年を信用して大丈夫か?」
ゴルズが言う。
「まぁ、俺たちがここまで生き残れたのはリョウのおかげだ。なら、最後まで信用してやろうじゃないか。それにこれ以外、勝つ手段がない」
「まったく獅子の団の団長は豪胆だな」
ゴルズは笑った。
「行きましょう。この戦いの一番手柄は私たちのものです」
トーラス団長が言う。
傭兵連隊のルルハルト本陣強襲作戦が始まった。
リョウの読みは正しかった。
傭兵連隊はリテリューン皇国軍の後衛と遭遇する。
「なんだ、あいつらは!?」
リテリューン皇国の兵士は予期しない場所から敵が出現したことで動揺した。
「行くわよ!」
ユリアーナが先陣を切る。
「獅子の団の切り込み隊長に続け!」
ゴルズが号令し、傭兵連隊はリテリューン皇国軍の次々に打ち破った。
ゴルズも自ら剣を振るう。
「団長がこんなに前に出てきていいのかしら?」
「いろんな団長がいるのさ」
ユリアーナとゴルズは肩を並べて戦う。二人は最前線で奮戦した。
「まったくゴルズ団長は蛮勇だ。ゼピュノーラ嬢も女とは思えない働きだ」
トーラス団長が言う。
「あなたは行かないのですか?」
ルピンが尋ねる。
「私は君と同じ種類の人間なんでね。適材適所でいいだろ? おたくの団長はうまくやるといいな」
「うまくやってもらわないと困ります。私たちだけではさすがに勝ち切れませんから」
戦局の全体をルピンとトーラス団長が制御する。
「ルルハルトさんは遠距離武器の部隊しか残していないようですね。接近できれば、こちらに分がありますよ」
傭兵連隊はルルハルト本陣に迫った。