山脈を超えて
カタインとの合流を目指して、イムレッヤ帝国領へ入ったファイーズ要塞軍。
シャマタル独立同盟とイムレッヤ帝国の間には険しい山脈が存在する。その中を通る唯一の街道がファイーズ街道だった。シャマタル独立から現在まで、シャマタル独立同盟とイムレッヤ帝国はこの街道周辺で何度も戦った。
シャマタル独立同盟がこの街道を進む時は、当然、イムレッヤ帝国と戦う時だけだった。
「まさかイムレッヤ帝国を救援するためにこの街道を進軍することになるとは、不思議なものだ」
これはフィラックの言葉である。
一団が山脈を超えて、広い平野に出る。
オロッツェ平原。
それは昔、アレクビューがイムレッヤ帝国を完膚なきまでに叩きのめした場所であり、アレクビューとエルメックの双璧が激突した場所である。
そして、一昨年、シャマタル独立同盟が大敗を喫した場所でもあった。
現在、ここにイムレッヤ帝国の大軍は存在しない。
「この地を素通りすることになるとはな」
アーサーンは苦い経験を思い出しながら言う。
オロッツェ平原を超えると気候は変化する。
シャマタル独立同盟の気候は、シャマタル独立同盟とイムレッヤ帝国の間にある山脈に影響されていた。
一行はシャマタルの気候から離れたのである。シャマタルの気候域から離れると冬でも比較的、温かい地域が続く。
シャマタル独立同盟の兵士にとって、未知の気候、土地である。
それでも大きな混乱はなく、進軍は順調だった。
しかし、例外は存在する。
「気持ち悪い…………」
クラナは特別な待遇を嫌い、食料や武器などの乗った馬車に乗り込んでいた。
リョウも当然のように同じ馬車に乗ったが、乗り物酔いの癖は治っていなかった。
「大丈夫ですか、リョウさん。水を飲みますか?」
クラナは渡すが、リョウは拒否した。
「今何か口に入れたら、吐きそうだよ」
「なんかこんな会話、前にもあった気がするわ。吐くんだったら、外にして頂戴」
ユリアーナが言う。
「あら、なら、私が作った酔い止めを飲んでみます。まだ試作段階で、止まるのは酔いだけじゃないかもしれないですけど、たぶん大丈夫です」
ルパは薬を取り出そうとした。
「僕の言葉聞いてなかった!? 何も飲みたくないよ! それに今の説明からは全然、大丈夫な気がしないんですけど!?」
「ルパちゃん、リョウさんに何をするつもりですか!?」
クラナはリョウを引き寄せた。
「クラナ、あんまり強く抱きしめないで…………」
「ご、ごめんなさい…………」
馬車が止まる。
防具の擦れる音が近づいてきた。
「司令官、失礼します」
アーサーンだった。
「日没が近づいてきたので、今日はここで野営をすることになると思います」
「分かりました。あなたに任せます」
「かしこまりました」
アーサーンは野営の準備に取り掛かった。
初めての遠征で、兵士たちに不安がなかったわけではなかった。
しかし、今のところ、問題は起きていない。
それは遠征全体の指揮を行っているアーサーンの力量だった。
アーサーンはローエス神国から抜け出した後、シャマタル独立同盟に辿り着くまで流浪の旅をしていた。
他国の地理にも多少は詳しかった。
「アーサーンさんのような人がいて助かったよ。これから戦いが始まるのに、それ以外で問題が発生するのは嫌だからね」
とリョウは言う。
シャマタル独立同盟軍は順調に進軍し、ニルガ城砦でカタイン軍と合流する予定になっていた。
ニルガ城砦の付近まで兵を進めた時、一人のイムレッヤ帝国軍の兵士がシャマタル独立同盟軍と接触する。
「カタイン将軍の代理でやってきた、グリューンという者がネジエニグ司令官に会いたいと言っております」
兵士の報告に対して、クラナは通すように許可した。
「お久しぶりです、ネジエニグ司令官。援軍、痛み入ります」
グリューンは頭を下げた。
「グリューンさんもわざわざ出迎えていただきありがとうございます。もっと多くの兵を連れて来れたらよかったのですが」
クラナは申し訳なさそうに言う。
「そんなことはありません。それにリョウ殿の智謀は一軍に匹敵するとフォデュース様がおっしゃっておりました」
「イム…………フォデュース候にそんな高く評価されるのは恐れ多いな。できることはやります」
リョウは苦い顔をする。
「城砦までは私が案内いたします」
グリューンの案内でシャマタル独立同盟軍は、城砦に入った。
「遠路遥々、ありがとうございます」
到着早々、カタイン自ら、クラナたちを出迎えた。
「あなたも来てくれたのね。心強いわ」
カタインはユリアーナを見る。
「出来ることをやらせていただきます」
ユリアーナは一歩前に出る。
「あら、なら、今夜、私の部屋に来てくれる?」
「全力でお断りします!」
ユリアーナは二歩下がった。
「あら、残念。ネジエニグ司令官。疲れがあるでしょう。今日はゆっくりお休みください。明日には今後の方針を話し合うため、軍議を開きたいと思っております。大丈夫でしょうか?」
「はい、大丈夫です。これからは一丸となり、脅威に立ち向かいましょう」
クラナとカタインは握手をした。
「シャマタルの英雄が味方とは心強いですね」
とカタインに明らかな世辞を言われ、クラナは少し困ったような顔で返した。
その日の夜。
「屋根のあるところで寝られるというのはいいことだね」
リョウとクラナは用意された部屋にいた。
「リョウさん、明日の軍議、どうしたらいいでしょうか?」
「いつも通りでいいんじゃないかな?」
「い、いつも通りじゃ、私はまた何もできませんよ」
「だからって、今から台本を作って、背伸びをしたってカタインさんは見破るよ。クラナ、君が僕らに自由な権限をくれるから、みんなが全力で君に協力してくれんだよ。君は今のままで十分だよ。…………とは言ってもそうだね。君も司令官になって、一年半以上が経ったわけだし、君の意見を聞いてみようかな」
リョウは持参した白と黒の石。そして、カタインから借りたイムレッヤ帝国の地図を広げた。軍事施設などは記載されていない地図だが、現状は大体掴んでいた。
現在、戦線は三つ存在するフェーザ連邦と対する西部戦線、ベルガン大王国・ローエス神国と対する西南戦線、リテリューン皇国と対する南部戦線である。
イムレッヤ帝国はこれに対して、西部戦線にはミュラハールとフェルター、西南戦線にはエルメックとガリッター、南部戦線にはイムニアとアンスーバが布陣した。
リユベックは予備兵力と共に帝都に残留し、万が一、戦線が崩壊した際に出撃する構えを見せていた。
「まぁ、これが今の布陣かな」
リョウは石を置き終わる。
「本当にイムレッヤ帝国が、いえ、大陸全てがこの戦争に関わているのですね」
また遠くに行っていたはずの戦場が近くにあることをクラナは実感する。
「普通に考えれば、私たちは西へ向かうべきです」
「理由は?」
「ここから最も近い戦場が西部戦線だからです。もし、戦況が劣勢なら救援が必要でしょうし、拮抗していれば、私たちの来援で拮抗状態を抜けることができます。フェーザ連邦を退ければ、そのまま西南戦線に転戦し、ベルガン大王国とローエス神国を挟撃できます。そうなれば、この戦争は勝てるのではないでしょうか?」
クラナの答えは合格点の貰える模範回答だった。
クラナは司令官になった時から一年間、軍略を勉強していた。本を読み、リョウの話をよく聞いた。戦いが起こった時、リョウの負担を少しでも減らしたい、と思っていた。
「うん、そうだね。君の言っていることは正しいよ。それが定石だ」
とリョウに言われて、クラナは少しだけ悔しかった。
「僕もそう考えていたよ」と言われるのを期待していた。
まだまだですね、とクラナは心の中で呟く。
しかし、落ち込んではいなかった。
「今度はリョウさんの考えを聞かせてください」
クラナは笑顔で言った。今日も勉強しようと思った。