一年
夜、フィラック家にて。
「そんなことがあったのですか」
フィラックが言う。
「はい、だから、少し来るのが遅れてしまいました。申し訳ありません」
クラナが返す。
「お気になさらずに。それに今の話、ハイネ様を思い出します」
「おばあさま、ですか?」
「はい、あの方は民のことをよく考えておりました。シャマタルが早い段階で一丸となれたのは、ハイネ様の功績だと思っております。当時を知る者なら、シャマタル独立同盟の成立は、アレクビュー様とハイネ様、そして、ボスリュー・グーエンキム様、三者の功績だと答えるでしょう」
「あら、もう一人、抜けていませんか?」
フィーラが横から口を挟んだ。
「私が聞いた話だと、癖のある方々の間に入り、緩衝材になった人物がいるらしいですよ」
フィーラはフィラックに視線を向ける。
「そんな人がいるのか。難儀な役に回ったものだ」
リョウ・クラナ・ルパはクスクスと笑う。
「それにしても残念です。もっと早く来てくだされば、色々できましたのに」
ルパは含みのある笑いを浮かべた。
クラナは寒気を感じる。
「ほんっとうに残念ですね! 私ももっとルパちゃんと話がしたかったですよ!」
クラナは力強く宣言した。
「またいつでも風邪を引いてくださいね。試してみたい薬がいくつもありますから」
「私で実験するのは止めてくれませんか!?」
「心配しないでください。ほとんどは自分で試した物ですから」
「ほとんど!? 今、ほとんどって言いましたよね!?」
「大丈夫ですよ。クラナ様は病気には弱いですけど、薬には耐性がありますから」
「毒には耐性があるの間違いでは!? ちょっと、もうこの話は止めましょう。せっかくの食事がのどを通らなくなります!」
クラナはそう言いながら、フィーラの食事を食べる。
「それだけ食欲があれば、私の出番は当分なさそうですね」
リョウはみんなのやりとりを見て、こんな時間がずっと続けば良いのに、と思った。
「夜空がきれいです」
帰り道、クラナが呟いた。
外の空気は寒かった。
握りあった手だけが温かい。
「きれいだ。空気が澄んでいるんだね。すっかり冬の空だよ」
「思えば、あの戦争からもう一年が過ぎたのですね。遠い昔のようです」
「だね。あの時はこうなると思っていなかったよ。ありがとう、クラナ。君のおかげで僕は穏やかな一年が過ごせたよ」
「お礼を言うのは私の方です。リョウさんに、リョウさんたちに会わなかったら、私は自分の存在に何の意味を見つけることなく死んでいたと思います。あの日々が楽しかった、とは言えません。けど、生きていることを実感できた時間だったことは事実です。白黒だった私の日常に、初めて色が着いた気がしました。強烈な色でしたけど」
クラナは少し困ったような顔をした。
「だね」とリョウは返す。
家に着いた。
「冷えちゃいましたね。お湯を沸かしましょうか?」
「待って、クラナ」
家に入るなり、リョウは少し緊張した声で言う。
「どうしましたか?」
「こういう時、格好付けて、目を閉じさせてから、こういう物を首にかけてあげたりしたら、出来る男なのかも知れないけど、僕にはそんな勇気はないから…………」
少し恥ずかしそうにリョウは首飾りを差し出した。
「えっと、これは…………?」
「今まで君に何もあげていなかったから…………でも、何かの区切りじゃないと渡しづらいっていうか…………だから一年記念日」
「一年?」
「そう正確にはもう少し前だけど、僕らが付き合った…………じゃなくて、結婚してから一年。だから、そ、その記念の贈り物だよ…………駄目だね。なんでか、こういう時はあたふたしちゃうよ」
リョウは照れ隠しに笑った。
クラナにとっては、新鮮なリョウの姿だった。
クラナは戦場での姿が印象に残り、忘れてしまうが、自分とリョウは同世代なのだ。そして、恐らく恋愛という点では経験値がお互いに同じである。
「リョウさん」
「な、なんだい?」
「着けてくれますか?」
クラナは髪を上げ、背中を向ける。
「けど、上手くいかないかも。自分でやった方が…………」
「リョウさんに着けてほしいんです」
「…………分かったよ」
クラナは、リョウの手が震えているのが分かった。息が荒くなっていた。
しかし、嫌な気分にはならなかった。逆だった。クラナの心は満たされる。
「はい、終わり」
「ありがとうございます」
「ごめん、もっと君の趣味とかを理解できていたら、気の利いた物を送れたんだろうけど、どういうのがいいか迷っているうちになんだか当たり障りのないやつになっちゃったんだ」
リョウの言葉通りだった。首飾りは特別、凝っているわけではない。
「私はこれが貰えて、とてもうれしいです」
クラナにとっては最高の贈り物だった。何を貰えたかより、誰から貰ったかが重要だった。
結婚してから一年。
平穏な暮らしが始まってから一年。
リョウは強く思う。この時間がずっと続けばいいのに、と。
――――そして、確信もしていた。この平和がもうすぐ終わるのだということを。
次の日、シャマタル独立同盟中央から使者が訪れる。
それはシャマタル独立同盟の元首、フェローからの使者だった。