クシャレージ湿原の戦い②
クシャレージ湿原に両軍が布陣して二日目。
迎撃の構えを見せるカタイン軍。
攻勢の構えを見せるラーズベック軍。
しかし、先に動いたのはカタイン軍だった。
カタインは自ら三千の騎兵を率いて、ラーズベック軍に攻め込んだ。
意表を突かれたラーズベック軍は大いに混乱する。カタインは挑発するように、ラーズベック軍に斬り込んでいく。
「愉快ね。敵は五万もいるのに、私たちだけで相手にして、勝っているわよ」
カタインは、グリューンに話しかける。
「それは一時的なものでしょう。閣下、そろそろ…………」
「そうね。全騎撤退するわよ!」
カタインは戦場を引っかき回すだけで、後退する。
「あの女を生きて帰すな!」
ラーズベック軍の中級指揮官は、実戦経験の無い貴族がほとんどである。
舐められてたラーズベック軍は怒り狂い、追撃する。
完全にカタインの掌の上だった。
「まったく、やり甲斐が無いわね」
ラーズベック軍の先陣が、カタインに追い付きそうになった時だった。
側面から弓兵が現れる。
「放て!」
伏兵から放たれた矢で、ラーズベック軍の足は止まる。
「さぁ、反撃よ」
カタインの言葉で、最初に斬り込んだ三千の騎兵は逃げる振りを止めた。
三方向から攻められてたラーズベック軍の先陣はあっけなく全滅する。
「全滅だと!?」
その報告を聞いたラーズベックは顔を真っ赤にして、激高した。
「姑息な策を使いおって! 重装騎兵を出せ。敵の小細工など粉砕しろ!」
重装騎兵が動いたことは、すぐにカタインも気付く。
「全くあの程度の挑発で、切り札を使ってくれるなんてありがたいわね。全軍、柵の中まで待避。敵の重装騎兵を全滅させるわよ」
カタインの挑発は、この展開を作るためだった。やられたら、やり返す。そんな単純な思考しか出来ない、とラーズベックを評価した。そして、それは正しかった。
「重装騎兵突撃してきます!」
「愚かね。まだ動かなくて良いわよ」
カタインは弓、弩を構える兵士たちに静止するように言う。
カタインには確信があったが、兵士たちは嫌な汗が体から吹き出す。
「生きたいなら、堪えなさい。今動けば、死ぬわよ」
カタインなりに兵士を鼓舞する。
カタインが最前線にいる。それが兵士たちに勇気を与えた。
異変が起きる。勢いよく、突撃してきた重装騎兵の足が止まった。
馬の足が地面に沈んでいく。
「当然じゃない。この辺りの地面は緩いのよ。そんな重い装備で来たら、どうなるか、分かりきっているじゃない。今よ、放ちなさい!」
カタインの指示で、矢の雨が重装騎兵を襲う。
「落ち着け! 素人の矢がこの距離で届くものか!」
部隊長の男が叫んだ。
それは正しかった。弓矢の訓練は良いところで半分だった。民兵の矢は牽制にしかならなかった。
しかし、それでも確実に足は止まる。
カタインにとっては、それで十分だった。
「体制を立て直せ! 騎馬がいなくともこの鎧があれば、素人の矢など…………」
ドスッと重い音がした。
部隊長は胸元を見る。
矢が深々と刺さっていた。
顔から血の気が引いた。そして、血の塊を吐いて絶命する。
周りにも矢が刺さり、絶命している兵士がいた。
「また飛んでくるぞ!」
それは弓よりも早く鋭かった。
「何が起こっているんだ!」
ラーズベック軍の兵士は大混乱だった。総崩れである。
「連射が出来ないのは難点だけど、威力は十分ね」
カタインは弩の戦果を見て、満足する。
「捕虜は要らないわ。全て殺しなさい」
カタインは言い切った。
容赦ない矢の雨が降り続けた。ラーズベック軍の重装騎兵第一陣は壊滅する。
「なんだと!?」
それを聞いたラーズベックは怒り狂った。
「第二波の攻撃準備をしろ!」
ラーズベックは指示すると行動はすぐに実行された。
「敵の第二陣来ます!」
それを聞いたカタインは、感情に何も響かなかった。
「全員、もう勝ち方は分かったでしょ。後は繰り返しよ」
それからの戦いは、驚くほど呆気なかった。
ラーズベック軍は第二波攻撃が失敗すると、第、三・四・五・六波と愚かな攻勢を行った。
そして、第七波の攻勢が終わった時、ラーズベック軍はボロボロになっていた。
「さて、最後は私たちが決めるわよ。蹂躙しなさい」
カタインは精鋭一万と共に柵の外に出た。
すでにラーズベック軍にカタインを止める余力は残っていなかった。
カタイン軍は逃げるラーズベック軍の兵士の背中を容赦なく刺した。
それは戦闘では無く、狩りだった。
「勝敗は決しました」
兵士がラーズベックに報告する。
「なぜだ…………なぜこうなる!?」
愚か者は最後まで自分の愚かさを理解できない。
「嫌だ…………私は死にたくない…………!」
ラーズベックは戦場から姿を消した。
総大将がいなくなり、ラーズベック軍は降伏する。
ここイムレッヤ帝国内乱最後の武力衝突は終結した。
――――逃走したラーズベックの末路。
ラーズベックは数名の兵士と共に森の中を彷徨った。
すでに何日が過ぎたか分からない。
「おおっ!」
森が開け、目前に村が現れた。
ラーズベックは自分が酷い姿だと言うことに気付かない。そんなことを考える余裕は無かった。
「私はラーズベックである。大貴族である私に食料を持ってこい!」
ラーズベックは、農民へ高圧的に言い放った。
農民たちは集まり、話し合いをする。
「私がこの村の長をやっている者です」
一人の男が名乗り出た。
「食事の用意を致します。こちらへ」
村長は、ラーズベックは案内する。
その際に、他の農民に対して、目で合図をした。
ラーズベックの一行の案内された部屋に食事が運ばれてきた。
ラーズベックは何の疑いもせずに、出された物を口に入れた。
すぐに異変が起きる。
ラーズベックは青くなり、痙攣した。
「申し訳ありません。ラーズベック様、恩賞、それに納税免除の為に死んでください。すでに聞こえていないと思いますが」
カタインは、ラーズベックの生死問わず、懸賞金をかけた。
「私の軍を使うよりは楽で良いでしょ」
とカタインは兵士たちに言った。
ラーズベックは泡を吹き、目からは光を失っていた。
それを見た兵士たちは、自分の主を捨て、逃げ去った。
数日後、遺体はカタイン軍に引き渡される。
カタインはすぐにラーズベック死亡をイムレッヤ帝国中に知らせた。