ローランと元娼婦
イムレッヤ帝国が内乱に突入し、ファイーズ要塞が交渉の場になっていた頃。
フェーザ連邦方面に再配置されたローランは、シグダという砦に駐留していた。
「退屈だな。ここだけが平和か」
書類の山を整理し、ローランはため息をつく。
「軍人が退屈なのは結構なことじゃないですか」
新しく副隊長に任命されたレジンスが言う。
年はローランより、十ほど上である。
「適度な刺激がある生活の方が面白いと思わないか? ユリアーナもいないし、刺激が無い」
「あれだけ過度な刺激があったのです。当面はここだけでも平和でいたいものです」
「まぁ、いいさ。刺激がないなら探しに行けば良い。俺はこれから、近くのヤージアの街の視察に行ってくる。帰りは明日の午後になるだろうから、それまで頼むぞ」
「まったく…………ゼピュノーラ殿にばれたら、本当に殺されますよ」
「なぁ、レジンス。俺が思うユリアーナのかわいい表情を上から三つあげるとだな、一つ目は笑った顔。二つ目は恥じらう顔…………」
「何ですか、嫁自慢ですか?」
「そして、三つ目、最もかわいい顔は怒った顔なんだよ。その顔を見るためなら、俺は多少の命の危険など躊躇わない」
「言っていることはかっこいいですが、最低ですね」
レジンスはきっぱりと言った。
ヤージアの街。
ローランは馬を飛ばして、夕方にはヤージアの街へ到着した。
「連隊長様!」
この街に駐留する兵士たちが、ローランに気付き、歩み寄ってきた。
この街は、去年のイムレッヤ帝国の侵攻の際に、その経路上にあった。幸いなことに、リョウの考案した焦土作戦のおかげで民間人への被害はほとんどなかった。それでも一度避難した民衆が戻り、元の生活を始めるのにはまだまだ時間がかかる。
ローランは兵士や民衆を労って回った。
「食料が不足していまして…………」
とある兵士から、そんなことを言われた。
「分かった。シグダの砦から届けよう」
「よろしいのですか? シグダの貯蓄も十分とはいえないはず?」
「なに、今は平和で飯を一食抜いたところで問題はないからな」
「連隊長殿、感謝します!」
兵士は頭を下げた。
「だが、食糧問題は一刻も早く解決しないとな。首都にも使いを送ろう。あまり期待は出来ないが…………」
シャマタル独立同盟の財政は破綻寸前である。
ローランは、リョウたちがそれを解決する糸口を見つけたことをまだ知らなかった。
ローランが街全体を見回った頃には、すっかり日が落ちていた。
「さてと…………」
ローランはある店に向かった。
「ローランさん!」
出迎えたのは、十代半ばの女給だった。
「よっ! 主人はいるのか?」
「え、ええ、います。よ、呼んできます!」
女給は慌てて、店の奥へかけていった。
現れたのは、三十代半ばの女性だった。
「なんだい? こんなおばさんに会いに来たのかい?」
「おばさんっていう見た目でもないだろう、ドミークさん。店、再開する気なんだな」
「あんたに開店資金を貰ったのに、戦争程度で閉店になんてしないよ。とはいっても、見ての通り、出せるものなんてないけどね。シェリス、今日はもう上がって良いよ」
シェリスと言われた幼い女給は、お辞儀をして奥に駆けていった。
店の形はあるが、酒も食料もなかった。
もちろん、客もいない。
「早く元に戻るように努力する」
「兵士のあんたに何が出来るんだい」
ドミークは笑った。
「大変だな」
「何、これからだよ。どうだい? 飲んでいかないかい?」
「いいのか? それに酒も食い物もないんじゃないか?」
「ちょっとなら、隠しているのがあるのさ」
「そういうのは自分で食えよ。俺はいい」
「若者が気にするんじゃないよ。私が良いって言ってんだ」
出てきたのは、瓶に入った一本の葡萄酒、それと干し肉だった。
「悪いね。これぐらいで」
「十分だ。再会に乾杯」
「あんたの結婚に乾杯」
二人は一杯目の葡萄酒を飲み干した。
「手紙、届いていたんだな」
「まぁね。なんで私に手紙なんかを?」
「あなたが俺にとっては特別な存在だからだ」
「なんだい? 口説いているのかい?」
「まさか。あなたは俺のことを振ったじゃないか」
「振ったんじゃない。あんたが私のことを一番好きだ、と言っていたら、受け入れたさ。けど、二番目に好きなんて言うからだ」
「10年も前のことを良く覚えているな」
「もう十年かい。中々の腐れ縁だね。で、あんたが言っていた子が生きていたんだね」
「そうだ。いい女になっていた」
「待って正解だったね。娼婦だった私なんかを選ばなくてなくてよかったじゃないか」
「あの時は本気だった」
「戦前の男って言うのは、目の前の女に運命を感じるもんさ。まぁ、『女とやる前に死にたくない』と泣きながら言った、とある新兵さんには笑わせて貰ったがね」
「そんな情けない奴がいたのか、それは笑えるな」
ローランは人ごとのように言う。
「あんたはどう思っているか分からないが、娼婦っていう仕事、私はそこまで嫌いじゃなかったよ。乱暴な奴もいたけど、私の前では素直になる男を見ているとなんだか、自分にしか出来ないことをしている気がしたんだ。戦に行く前に少しでも恐怖を紛らわせる為に私の所に来る男たち。まぁ、ほとんどの男はそれっきりだがね。一部の物好きを除けば」
「一時の感情で、女を抱いたと後で思いたくはないからな」
「それがこの腐れ縁かい? あんたの奥さんはその辺、寛大なのかい?」
「こうやって、酒を飲むくらいは許してくれるだろ」
「なんだい、何も言わずに来たのかい?」
「そうじゃない。今はあいつ、ユリアーナって言うんだが、あいつは事情でファイーズ要塞に要るんだ」
「ファイーズ要塞、懐かしいね」
二人が初めてであったのは、ファイーズ要塞だった。
「泊まっていくかい?」
「ああ、そうするよ」
「とはいっても、今、一部屋はシェリスに貸しているから、私の部屋しかないよ」
「構わない」とローランは言う。
「あの子、明るくなったな」
「まぁね、ここまでくるのに苦労したよ」
シェリアはフェーザ連邦から流れて来た。父親をイムレッヤ帝国との戦争で無くして、生活が苦しくなった母親に売られた。それで逃げて、この街で売春をしていた。
「そういうことが向いている子もいるけど、あの子は明らかに向いていなかった。このままじゃ壊れる。そう思ったから、私が引き取ったのさ」
「お人好しだな」
「娼婦に店を持たせるくらい貢いだ奴が言うんじゃ無いよ」
二人は笑った。
夜は更けていった。
次の日。
「今度は開店してから来な。奥さんと一緒にね」
ドミークは、ローランを見送った。
「ああ、そうするよ。また来る!」
ローランは去って行く。
「さてと、私はあの子を起こしに行くかね」
ドミークはシェリスの部屋に向かった。
「ほら、朝だよ。主人に起こされる女給がいるかい?」
「えっ!?」
シェリスは飛び起きた。
「昨日はずいぶん遅くまで起きてたみたいだね」
「気付いていたのですか?」
シェリスは顔を赤くした。
「私が、ローランと寝ると思ったのかい?」
「だって、ローランはご主人様と…………」
「昔、そうだったさ。でも今は違う。昨日も結局、何も無かった。誘いがあれば、受けはしたがね」
ドミークは寂しそうな表情になった。
「あいつは根が真面目なんだよ。だから、私との関係に変化を付けたんだ。同じ部屋に泊まって、何もしなかったのは、あいつなりのケジメさ。臆病だから、口で言うことが出来ないんだ」
「ご主人様はそれでよかったのですか?」
「良いに決まってるさ。あいつの一番好きだった子が生きていたんだ。結ばれて、悪いはずがない」
ドミークは寂しそうに笑う。
シェリスはそれ以上何も言わなかった。