カールメッツの退却
イムレッヤ帝国の内乱で門閥貴族連合が優勢なのは、北部戦線だけであった。
西部では、イムニアが小規模な戦闘に連戦連勝。
南部では、ヒデスハーム軍を破ったリユベック軍に降伏する者が続出した。これは、ヒデスハーム裏切りの報も大きかった。
門閥貴族連合は土台がぐらつき始めていた。
それでも歴戦の将であるカールメッツには、勝ち筋があった。
まずは北部を占領し、そのまま西部へ進軍、帝都に駐留するラーズベック軍と二方向から迫る。
もし、これが実現できれば、戦況が逆転することは間違いなかった。
しかし、カールメッツのイムレッヤ帝国全体を戦場に描いた戦略は叶わなかった。
「ヨトアム、退却の準備をしろ」
「退却ですか?」
カールメッツの発言に、ヨトアムは信じられない、という顔をした。
「なぜです? 勝っているのですよ」
「これを見ろ」
カールメッツが渡したのは、ラーズベックからの書状だった。
「ラーズベック公からの退却命令だ」
「馬鹿な!」
ヨトアムは書状は破りそうになる。
「ヒデスハーム公の死と西部・南部の苦戦で不安になったのであろう。もちろん自分の身がな」
「西部と南部が苦戦しているからこそ、この有利な北部の戦線を保つ必要があるのでありませんか!? もし、私たちが退却すれば、カタイン将軍は一転して攻勢に出るでしょう」
「カタイン将軍は、そうするだろう。こうなることを予期していたからこそ、カタイン将軍はここまで戦力を温存していたのだ。私と正面から戦おうとしなかった。ありがたくないことに、私を高く評価していたのだろう。私の最大の敵は、フォデュース将軍でもエルメック様でも、カタイン将軍でもなかったようだ」
「無視しましょう」
ヨトアムは力強く言った。
「元々、軍の全権はカールメッツ様に委ねる約束のはず、ならばこのような命令に従う理由はありません。それどころか、軍を勝手に動かしたラーズベック公を糾弾することも可能ではありませんか!?」
熱の入るヨトアムに反して、カールメッツは冷やかだった。
「もし、ここで私とラーズベック公の間に亀裂が入れば、全てが瓦解するだろう。ならば、この命令に従い、帝都であろう決戦に勝利することに逆転の望みを繋げるしかない」
カールメッツの言っていることは正しかった。
軍の総司令官になった時から、この事態は予想していた。
「…………分かりました。撤退の準備に取り掛かります」
ヨトアムは悔しそうに言う。
カールメッツの撤退は、速やかに行われた。
もちろんカタインからの反撃に細心の注意は払っていた。
しかし、反撃はなかった。
カタインは全く別のところを見ていた。
「カタイン様、追撃はなさらないのですか?」
「しないわよ。疲れるもの」
「今度は何をお考えで?」
グリューンは苦笑いする。
「新しく集まった民兵たちがいるじゃない。普通に剣や槍、弓を教え込んだら、実践で使えるようになるまでまだ時間はかかるわよね?」
グリューンは「その通りです」と答える。
「もったいないじゃない。せっかくの兵力が、私なりに彼らを使う方法を考えたのよ。彼らが戦力になれば、北部の兵力は、西部や南部の味方に匹敵する大兵力になるわよ」
「どうやってそうするおつもりです?」
「これよ」
カタインが手に持っていたのは、去年の戦いでリョウが発案し、シャマタル独立同盟軍が使った『弩』だった。これは、エルメックが戦場で手に入れたものである。カタインは、エルメックに頭を下げ、それを譲ってもらった。これが戦場の主役になる気がしたからである。
「私はシャマタルへ行くわ」
「この時期にですか!?」
「この時期だからよ。この武器、今急いで作らせているけど、数が足りないわ。だから、シャマタルから買うのよ」
「そんな都合よく行くとは思えませんが…………」
「もちろん、シャマタルが欲しがりそうなものは用意するわ。財政を担当しているガルド・ジーラー様(リユベックの父親)と総司令官閣下にはもう話は通してある。だから、大丈夫よ。命令違反じゃないわ」
そもそもカタインにはかなり自由な権限があった。イムニアがカタインは縛るより、行動の自由を与えた方が効果的に動くと考えていたからである。
「ふふ、ゼピュノーラのお嬢ちゃんに会うのも楽しみだわ」
カタインは笑う。
すでにシャマタルの雪は、ほとんど溶けている時期だった。




