門閥貴族連合崩壊の始まり
ヒデスハームを乗せ、帝都へ向かう馬車の中。
捕虜の身から解放されたヒデスハームは、リユベックの予想通り憎悪を増していた。
「よくも…………よくも、私をコケにしてくれたな!」
飲んでいた酒の瓶を馬車の床に叩きつけた。
瓶は割れ、酒が床に広がる。
「このままでは終わらん! 必ず復讐してくれる! そうだ、北部に遠征しているカールメッツを戻し、あのジーラー共を討ち取らせればいい。いや、必ず生け捕りにし、死なせてくれ、と懇願してくるような目に遭わせてくれる! 特にエルメックめ、私を馬鹿にしおって!」
ヒデスハームの目は濁る。すでに正常な判断を出来なくなっていた。
それから七日後、やっと帝都に着いた。
しかし、様子がおかしかった。
ヒデスハームは衛兵によって、帝都の門前で止められてしまう。
「なんたる無礼だ!」
ヒデスハームは顔を真っ赤にして怒った。
「失礼ですが、ヒデスハーム公であらせますか?」
衛兵長の声は、冷たかった。どこか緊張しているようにも見えた。
「無礼な! あの紋章が見えぬのか!?」
ヒデスハームは馬車の紋章を指差した。
「分かりました。こちらへ」
衛兵たちは、ヒデスハームに対して敬意を払わなかった。
ヒデスハームも流石におかしいと思った。別の馬車に乗せられ、帝都中心の宮殿まで『連行』された。
「良く帰ったな、ヒデスハーム殿」
ラーズベックの口調は冷やかだった。
「貴殿の部下は、ことごとく処刑されたぞ。なぜ、お前だけ生きて帰れた?」
「なんだと?」
「当ててやろうか。貴殿は私を、いや、この高潔なる門閥貴族の結束を裏切ったのだ! 醜く命乞いをし、私を殺すとでもいったか!?」
ヒデスハームは気付いた。
それは死に直面した者の最後の閃きだったかもしれない。
「違う。これは罠だ!」
「罠だと?」
「そうだ、あの小僧は私だけを帰し、裏切ったように思わせた。そうやって、我らの間に相互不信の種を植え付けようとしているのだ!」
ヒデスハームは正解を引き当てた。
しかし、運命は何も変わらない。
「ほう、もっともらしい言い方だな。私で無ければ、信じ、助命したかもしれん。だが、私の目はごまかせんぞ!」
ラーズベックのあくどい笑みを浮かべた。
ヒデスハームは悟った。この男は、裏切りの真偽などどうでも良かったのだ。この戦争の後の権力党争の邪魔者を排除する絶好の理由が欲しかったのだ、と。
「ラーズベック殿、早まるな! 貴殿と私がいなければ、門閥貴族の結束は崩壊するぞ!」
「そんなことはない。私がいる限り、結束は揺るぎない」
ラーズベックは、ヒデスハームより愚かだった。
「せめてもの礼儀だ。自裁を許そう」
葡萄酒が運ばれてきた。
そして、ヒデスハームの目の前で、何かの粉末が加えられた。それが何か考えるのは容易だった。
兵士が無言で、ヒデスハームに葡萄酒を取るように促す。
「考え直せ!」
ヒデスハームは拒絶した。
「取り押させろ」
ラーズベックは命令する。
数名の兵士が、ヒデスハームを取り押さえた。
「や、やめろ!」
ヒデスハームは暴れたが、無駄だった。
そして、強引に葡萄酒を飲まされた。
「貴様ら…………」
ヒデスハームは吐血し、痙攣した。
そして、瞳が焦点を失い、絶命した。
「このことを味方に伝えろ。裏切り者はいかに高貴な者でも死刑だとな」
この事件は、すぐに敵味方に知れ渡った。
このことを知ったカールメッツは愕然とした。
軍の全権を預かっているはずの自分が知らないところで、軍事行動が起き、大敗したこともだが、それ以上にヒデスハームの死が衝撃だった。
「まさか、このような事態になろうとは…………」
「あまり悲観なさいますな」
ヨトアムは言った。
「北部戦線は未だ我らが有利。ここを押さえれば、イムニア陣営を圧迫できます」
ヨトアムの言葉で、カールメッツの心境が変化することは無かった。
「敗戦よりもヒデスハーム公が裏切り者として処断されたことが問題だ。これで貴族たちは思うだろう。大貴族のヒデスハーム公まで裏切った。今度は誰が裏切るか分からない、と。一つの組織が外敵の存在だけで崩壊することは、希だ。崩壊する組織には内に原因があるものだ。少なくとも私はそう思う」
カールメッツの心配は当たっていた。
この事件より先、門閥貴族連合の結束は急激に弱まっていく。