手は血に汚れる
ザーフォーギ・シュミルの戦いに勝利したリユベック軍は、捕虜にしたヒデスハームを呼び出した。
「なんだ、お前たちは帝国の大貴族である私を処刑するというのか? 私はその辺の人間とは違う! 選ばれた人間なのだ!」
ヒデスハームは叫ぶ。
「まったく、こうなっては大貴族も終いじゃの」
エルメックの瞳には哀れみと呆れが混じっていた。
「エルメック貴様、イムレッヤ帝国の宿将でありながら、このような反乱に手を貸したこと恥に思うが…………」
「黙れ」
エルメックの瞳がギラリと光った。
ヒデスハームは、威圧され、息が詰まった。
「ワシはイムレッヤ帝国に忠誠を誓ったことなど一度も無い。…………さて、こやつをどうする? 首を刎ね、それを蝋で固め、ラーズベックに送りつけてやろうか?」
それを聞いたヒデスハームは青ざめた。
「か、金なら幾らでも出す! 領地も差し出す! だから頼む。殺さないでくれ!!」
ヒデスハームは膝を突き、体を震わせ、額を地面に当てた。
そのような大貴族の姿に、兵士たちは困惑した。
自分たちが、とんでもない場に出くわしていることを自覚する。
「エルメック将軍、ヒデスハーム公をあまり威圧しないで下さい。ヒデスハーム公、私はあなたを殺すつもりはありません」
「本当か!?」
ヒデスハームは泣いていた。
「はい、大貴族あってのイムレッヤ帝国です。私は内乱になってしまったことを残念に思っています」
「わ、私もだ! 私も戦いなど望んでいない。ラーズベックに乗せられて、無理矢理参加させられたのだ!」
ヒデスハームは調子の良いことを言った。
「ならば、ヒデスハーム公、あなたに頼みたいことがあるのですが、宜しいですか?」
「何でも言ってくれ! 力になろう!」
命欲しさに、誇りを捨てた大貴族に兵士たちは軽蔑の眼差しを向けた。
しかし、ヒデスハームにはそれが映らなかった。そんな余裕は無かった。どんな方法を使っても、この場を切り抜けて、生き残りたいと思っていた。
「ラーズベック公と私の間に立ち、和睦の使者になって欲しいのです」
「それはつまり仲裁役か?」
「はい、頼めますか? 承諾して頂ければ、すぐにあなたを帝都へ戻しましょう」
リユベックは微笑んだ。
「もちろんだ。任せておけ!」
ヒデスハームは、帰還できることを喜んだ。
次の日、ヒデスハームは帝都へ送還された。
「リユベック、本当にヒデスハームに和睦の使者が務まると思っておるのか?」
エルメックが尋ねる。
「いいえ、思っておりません」
リユベックは即答した。彼に似合わない冷徹な言い方だった。
「今頃は恐らく、私に命を救われた感謝の気持ちを遙かに凌ぐ、憎悪に支配され、復讐の方法を考えている頃でしょう」
「なら、なぜ返した?」
「この内乱を早期に終わらせる決定打を与えるためです」
エルメックはリユベックのやろうとしていることを理解した。
「それは誰の入れ知恵じゃ? お前がそのような汚れた方法を思いつくとは思えん」
リユベックが行おうとしている謀略の出所にエルメックは心当たりがあった。
「発案が誰であろうと実行するのは私です。正攻法だけでは、きれい事だけではイムレッヤ帝国を手に入れることは出来ません。私は間違っているでしょうか?」
「…………間違っておらん。ヴェスパーレ様は潔白すぎた。それがあの方自身を滅ぼした。勝つために手を汚さぬ英雄などいない。ワシが心配しておるの。お主がそれに耐えられるか、ということじゃ」
「耐えてみせます。イムニア様を敗軍の将にするわけにはいきませんから」
リユベックは深呼吸をして、兵士を呼びつけた。
「ヒデスハームの主だった部下をここへ呼びなさい。…………そして、首を刎ねなさい」
リユベックは震える声でそう命じた。