カールメッツ元帥
時間は遡り、イムニアと門閥貴族連合が最初の衝突をする前の話。
「敵の総司令官にはカールメッツ元帥が着任したそうです」
ウルベルが報告した。
「ほう、あの老人がか」
イムニアは珍しく興味を示す。
カールメックは五十六歳、軍歴は四十年を超え、堅実な戦術指揮には定評があった。
「エルメック、どう思う?」
イムニアは、イムレッヤ帝国最年長の大将軍に意見を求めた。リユベックが地盤を固めるのに奔走している今、イムニアが一番に意見を聞くのは、エルメックになっていた。
「ワシが知る限り、もっと厄介な奴が総司令官になったの」
エルメックを以て、カールメック元帥をそう評した。
「奴は劇的な勝利など望まんし、奇策は使わん。正攻法で挑み、勝利する。劣勢になろうとも大きく崩れること無く、最小の被害で乗り切り、次に繋げる。今の戦力差で、もし奴が本当に総指揮を行えば、ワシらはいきなり窮地に陥ることになるの」
「カールメッツ元帥がなんだというのです? 率いるのは、貴族連中の私兵、我々前線の将兵とは練度が違います!」
フェルターが声を上げた。
「イノシシはうるさいわね。弱者が率いる強者の軍勢なら脅威にならない。けど、一人の強者に率いられた弱者の軍勢は十分な脅威になり得るわ」
「カタイン将軍の言うとおりでしょう」
ウルベルが続ける。
「カールメッツ元帥のことも気になりますが、目前の敵を排するのが先決でしょう。敵の先鋒はこちらに向かっているそうです。敵の第一陣の大将はデンレッサー将軍です」
「デンレッサー!? あの、西部方面司令官の?」
ミュラハールが驚いた。
デンレッサーとイムニア陣営には因縁があった。
デンレッサーは貴族出身の軍人である。平民の出でありながら、二十代で異例の出世をしたイムニアのことを嫌っていた。西部戦線、対フェーザ連邦の戦争で活躍したイムニアを北部に左遷したのは、デンレッサーだった。
「あの醜男が嬉々として先鋒を買って出る姿が目に浮かびますね」
カタインは冷笑した。
「ああ、私もそう思う。望むなら、先鋒の誉れをくれてやろう。しかし、それは門閥貴族連合が地獄に送られる先鋒であるがな」
イムニアは楽しそうに笑った。
「フェルター、ミュラハール、アンスーバは私と共にデンレッサーを叩く!」
「「「御意!」」」
「エルメック、ガリッターはリユ…………あの方と合流し、手薄になったイムレッヤ西部へ進軍し、平定せよ!」
「畏まりました」
ガリッターが静かに言った。
「中々、無理をしているな。どうじゃ、リユベックと呼べば良かろう? あやつも気にせん」
リユベックの立場が変わろうと、エルメックは特に変わらなかった。
「あなたはそれでも良いかもしれないが、私は変える。いずれは皇帝陛下と呼ぶだろう」
「そうかの。まぁ、好きにせい」
エルメックは笑った。
「閣下、私の名前がどこにも出ていなかったのですが?」
カタインは進言した。
「お前はこの北部に留まり、後方から我らを支援してくれ」
「それはつまらない任地ですね」
カタインははっきりと言った。
「そう言うな。この北部を盤石にしておかないと土台が崩壊する。この責任は重大だと心得よ」
「やるからには務め、問題なく果たしますわ」
カタインは、イムニアに頭を下げた。
「それとシャマタルに使者を送ってある。いずれ、同盟を結ぶことになるだろう。シャマタルが断らなければだがな」
「シャマタルに断る理由はないでしょう。…………一つ、注文をよろしいですか?」
「なんだ?」
「同盟の調印、その場に一人、招きたい人物がおりますわ。ユリアーナ・ゼピュノーラという者なのですけど」
「お前がネーカで助けたという女兵士か? 別に構わんが、断れるかもしれんぞ。それにお前と戦って重傷を負ったのだろう。生きているかも疑わしい」
「きっと生きておりますわ」
カタインは笑う。
「それでは各自、油断はするな!」
御意、と将軍たちは声を張った。
「しかし、気になるの。カールメックはお主に恨みはないじゃろう。それどころか、お主のことを高く評価しておった。進んで門閥貴族の総司令官になったとは思えんのじゃがな」
エルメックのこの予想は当たっていた。
カールメック元帥が門閥貴族連合の総司令官に着任する前、門閥貴族連合の盟主ラーズベックと副盟主ヒデスハームの三者会談があった。
「その件はお断り致します」
カールメックは総司令官の座を固辞した。
「まぁまぁ、そう言わずカールメック元帥」
ラーズベックは作り笑いを浮かべる。
「新皇帝を名乗る不届きな輩を討伐するのは、イムレッヤ帝国の軍人として当然ではないか」
「もし、イムニア将軍の陣営とまともに戦えば、イムレッヤ帝国は大きな傷を残すでしょう。イムレッヤ帝国のことをお考えなら、話し合いでの解決を是とすべきです」
「そうか、カールメック元帥は戦わないとおっしゃるのか。仕方ない。…………それとは別の話だが、念のため、カールメック元帥の妻子を保護下に置いていてな」
カールメックの眉がピクリと動いた。
ラーズベックとヒデスハームは意地に悪い顔をしていた。
「もう一度、尋ねる。総指揮をとって頂けるか?」
カールメックは最初から、拒否できるなど思っていなかった。
門閥貴族が本気にれば、何でも出来る。カールメックは分かっていた。
「一つ、条件があります」
その言葉が、承諾と同義だと思ったラーズベックとヒデスハームは笑った。
「なんだ?」
「私が総司令官となるのであれば、軍事面での権限は一任して頂くと言うことで宜しいですか?」
「もちろんだ」
ラーズベックはカールメックの手を握った。
カールメックは、その言葉が本当だと願いたかった。
「非才の身で宜しければ、力になりましょう」
結局、カールメックはそう言うしかなかった。
これ以上断れば家族が、さらに断れば恐らく部下に災いが降りかかる。それは避けたかった。
「現在の状況を教えて頂けますか?」
「西部司令官のデンレッサーを総大将に第一陣が出発している。数日中に戦勝の報告が届くかもしれんな」
ラーズベックは笑った。
カールメックは無表情だった。あまり大きな負けでなければ幸い、と願った。