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大陸戦乱末の英雄伝説  作者: 楊泰隆Jr.
雌伏編
23/184

戦争の傷跡

「リョウさん」

 リョウは日が高くなっても、一向に起きてこない。

 クラナは堪りかねて、リョウの部屋に入った。

 リョウはまだ寝ていた。

 その顔を見ただけ、クラナは少しだけ得した気分になる。ずっと眺めていたい気がした。

 しかし、そうも言っていられない。

「リョウさん、起きてください」

「ルピン、まだ眠っていたいよ…………」

 リョウはまだ寝惚けていた。

「あの~~、仮にも私たちは夫婦なんですから、ルピンさんのことを呼ぶのはどうかと思いますよ」

 クラナはムッとし、リョウの頬を抓った。

「痛い痛い! 何をするんだ、ユリアーナ…………じゃなくて、クラナ?」

「私の名前が出てくるのが三番目って、どういうことですか!?」

 クラナは涙目になる。

「ごめんごめん。どうも昔の習慣でね」

 リョウが覚醒するまで、さらに少しの時間を要した。

 二人は、昨日の余りのパンにハムとチーズを挟んだ簡単なサンドイッチを食べると出かける準備をする。

「寒いなぁ…………」

 シャマタルの冬は厳しい。

 今日は空を雲が覆っている。

「夜は雪ですね」

 クラナは見上げて、言った。

「クラナ、これ」

 出かける間際、リョウはクラナにフードを渡した。

「何ですか?」

 キョトンとするクラナを見て、リョウは苦笑いをした。

「英雄クラナ・ネジエニグが街の市場に出て行ったら、大騒ぎになるからね。身分を隠さないと」

「窮屈ですね」

 クラナは嫌そうに、フードを受け取り、被った。

 市場に着くと目的の場所を探す。

 今日の第一目的は、新居の家具の材料を手に入れることだった。

 二人は最初、家具そのものを買おうと思ったのだが、それだと金銭的な負担が大きすぎた。

「軍の経費で購入しても良いのでは?」

 これはアーサーンの提案だった。

 クラナはこれを拒絶した。

 家を買うだけの金銭は無かった。だから、シャマタル独立同盟の政府を頼るしか無かった。

 しかし、自分たちの稼ぎの範囲で、対応できるなら自分たちで負担しようというのが、リョウとクラナ共通の認識である。

 家も格安の貸家という形式を取っていた。いずれは、家も買うつもりだった。それがいつになるのか、何年後になるのか、二人の予定にはまだ無いことではあるが。

「すごい人の数ですね」

 市場は行き交う人々で混雑していた。

「クラナ…………」

 リョウはクラナに手を差し出した。

「はぐれるといけないから」

 リョウは恥ずかしそうに言う。

 クラナは「はい」と言って、それに応じた。

 お互いの手は温かかった。

 冬の寒さが、二人の体温を一層感じさせる。

「ごめん、クラナ」

「えっ?」

 クラナには、突然の謝罪の意味が分からなかった。

「昨日の夜のことだよ。君の言葉の意味は分かっている…………分かっているつもりだ」

「はい」

「でも、僕には勇気が無いんだ。この先に進む勇気が無い。興味はあるよ。思い描く未来だってある。でも、色々考えると…………」

「リョウさんはやっぱり遠くが見えすぎていますね」

 クラナは笑った。

「何度でも言います。私は今もとても幸せです」

 クラナは手に力を入れた。

「リョウさんを幸せにします。任せてください。それにリョウさんにはリョウさんの、私には私のやり方があると思います。それがいつか噛み合うと思います。それまで、私は何度も挑戦します。リョウさんに受け入れられる時まで、リョウさんが先に進めるようになる時まで」

「君は思いっきりがいいね」

「吹っ切ることは、戦争で慣れました」

「君は僕より精神的に強固だ。これから君に支えて貰うことになるかもしれない。情けないけどね」

「私だってリョウさんがいるから、吹っ切れるんですよ」

「なるほど、僕らは共依存ってことかな」

 はい、とクラナは笑う。

 少し物足りないと思う、それは事実だが、今に満足していないわけでもない。

 ならもう少しこのままでも良い、とクラナは思った。

 目的の木材を買い、後日に自宅へ届けて貰う手続きをした。

 少し時間が余り、市場を回ることにした。

「戦争の影響がもう少しあるかと思ったけど、大丈夫そうで良かったよ」

 フェルター軍団を足止めするために焼けてしまった街の一部は、未だに復興途中である。

 しかし、ファイーズ要塞は戦争の最前線だったと思えないほど傷が少なかった。

「エルメックがこの要塞を取ることに固執しなかったことが良かったよ。そうなっていたら、今の状況は無かっただろうね」

「それもそうですけど、やっぱりリョウさんたちの功績があっての今ですよ」

「あれは運が良かったんだよ。それだけじゃ無いけど、とにかく運が良かった…………んっ?」

 リョウは進行方向の少し先の商店で騒ぎが起きているのに気がついた。

「何があったんでしょうか。行ってみましょう」

 二人は少し足早になって、その騒ぎの中心に向かう。

「このガキが!」

 商店の店主らしき男が捕まえていたのは、男の子だった。年は十前後だと思われる。

「盗みか…………」

 リョウは呟く。

「役所に突き出してやる!」

「ごめんなさい。でも、母さんと妹がいるんです。母さんは働き過ぎて倒れてしまいました。何か食べ物が必要なんです」

「知ったことか! それで盗みが正当化されると思っているのか!?」

 商店の店主は、男の子を思いっきり殴った。

「戦争で…………戦争で父さんが死んでから、明日食べる物にも苦しんでいるんです。お願いです。見逃してください…………」

 戦争で父さんが死んだ、その言葉はクラナに刺さった。

「待ってください!」

 リョウが止める間もなく、クラナは出て行ってしまった。

 フードを被っているので、まだ正体は誰にも知られていない。

「なんだ、あんたは?」

「この子が盗んだものの倍、いえ、三倍のお金を出しますから、この子を見逃してください」

 初対面の盗人の子供のために、クラナは頭を下げる。

「そういう問題じゃ…………あっ、このガキ!」

 商店の店主の意識がクラナに移ったことが分かった男の子は、クラナに向かって突進した。

 女性であるクラナになら、勝てると思ったのかもしれない。

 クラナにとって、男の子を押さえ込むのは簡単だったが、出来なかった。

 クラナは無抵抗に突き飛ばされ、転倒した。

 男の子は、人混みに消えていく。

 弾みでフードが取れる。

 それだけでも、民衆の何人かは気付いたようで、響めく。

 さらに悪手が続く。

 原因はリョウだった。

「クラナ!」

と叫んでしまったのだ。クラナが倒され、思わず叫んでしまった。

「クラナ? 救国の英雄、クラナ・ネジエニグ様か?」

 そんな言葉が囁かれる。

「すいません、リョウさん」

「まずいな。ここから離れよう。店のおじさん、あの子の盗んだもの代金はこれで足りるかな?」

 リョウは自分の持っている巾着袋をそのまま渡した。

 商店の店主は「ああ…………」と気のない返事をして、それを受け取った。

 リョウがクラナの手を握って、立ち去ろうとした。

 しかし、手遅れだった。

 すでに人々に囲まれて、逃げ場所がない。

「この街を出た後の武勇伝を聞かせて欲しいです!」

「いつから勝ちを確信していたのですか!?」

「あなたが、あなたのおじい様の後を継いで、シャマタルの総司令官なるのはいつですか!?」

 民衆たちに悪意は無かった。

 それだけに厄介だった。

 無下には出来ない。判断を誤れば、民衆が敵になる。それは最悪である。

 クラナは諦めて、できる限りのことに対応する。

 民衆の力あっての勝利だったと強調し、握手を求められれば応じた。

 騒ぎが治まったのは、日が沈む少し前のことだった。

「ごめんクラナ、僕のせいだ」

「私が考え無しに飛び出たのが悪いです」

 帰り道、疲れ果てた二人は、お互いの行動を悔いた。

「早く帰ろうか。帰ったら、湯を沸かしてそれから…………」

「お前は英雄なんかじゃない!」

 子供の声だった。

 二人が振り返ると、先ほどの盗人の男の子がいた。

「お前のせいで父さんは死んだ。多くの人が死んだ。お前は只の人殺しだ!」

 男の子は泣いていた。それだけ言うと走って、どこかに行ってしまった。

 それから、家に帰るまでクラナは茫然自失だった。

「人殺し…………私は人殺し…………」

 クラナは呟く。

「クラナ、今はその言葉の意味を考えるな。考えちゃ駄目だ」

「でも、あの子の言うとおりです。そうです。私は人殺しです。英雄なんて言われて、目を背けていました。私は自分がやったことの一番汚いことから、目を背けていました」

 クラナは震える。

「違う。僕らが、僕が君を祭り上げたんだ。君は嫌々、英雄になったんだ。全部、僕のせいだ」

 リョウの言葉はクラナに届かなかった。

「リョウさん、なんだか疲れました。それになんだか体が苦しい…………です…………」

 それだけ言うとクラナは倒れてしまった。

「クラナ!?」

 リョウが駆け寄る。

「熱い…………クラナ、待ってて、すぐにルパさんを連れてくるから!」

「待ってください…………一人にしないで下さい…………」

「でも…………」

「一人は嫌です…………」

 クラナは泣いていた。

 リョウは決意する。

「クラナ、じゃあ、少しつらいかも知らないけど頑張ってもらうよ」

 リョウはクラナを背負った。

 外に飛び出した時、雪が降り始めていた。

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