ファイーズ要塞とアーサーン司令官
シャマタル独立同盟とイムレッヤ帝国の国境には、険しい山脈が存在する。シャマタルとイムレッヤを繋ぐ唯一の街道、それがファイーズ街道である。ファイーズ要塞はファイーズ街道のシャマタル領側出入り口に存在する。その規模は街に匹敵し、要塞内には生活に必要な施設の全てが備わっていた。兵糧・武器の貯蔵も十分で、長期に渡り、帝国軍の侵攻を食い止める用意がある。
不安要素は動員される兵力だろう。ファイーズ要塞に集まった兵力は一万。数としてはそれなりだが、一国と対するには少なすぎる。不足は明らかだった。シャマタル独立同盟は昨年、アレクビュー不在で挑んだオロッツェ会戦で大敗した。そのせいで戦力が枯渇していた。首都には、まだ軍団規模の兵力が残っているが、これは最精鋭で、アレクビューが出陣しないため、動員に対して反対意見が多かった。今回も結局、動員は見送られた。
状況は極めて不利である。それでも最善を尽くす為にリョウたちは独自に行動を起こしていた。
ルピンは情報収集に奔走していた。敵の規模、進軍速度、後方部隊の状況、内部事情など、可能な限りの情報を集める。集められた情報・資料はリョウのもとへ集められる。リョウは作戦の立案に一日のほとんどを使っていた。リョウが使っている机とその周辺には、シャマタル独立同盟とイムレッヤ帝国の歴史書、ファイーズ街道の地図・気候、両軍の現状などに関する資料、それらが散乱していた。
「お嬢様、次はこれを清書してくれないかな?」
「は、はい」
ファイーズ要塞に到着してから、五日が経った。リョウはその間に宿舎で数十の作戦立案書を作成した。クラナはそれを清書していく。
獅子の団は、一つの宿泊施設を宿舎として与えられた。豪勢とは言い難いが、不自由することはなかった。
「リョウさん、こんなことをして意味があるのですか?」
クラナは筆を止め、リョウに問う。
「それはどういう意味かな?」
「だって、リョウさんたちは軍議に呼ばれませんよ。どれだけ作戦を考えても、発表の機会が無いじゃないですか」
「別に僕が、僕の案として、これを発表しなくてもいいんだよ。僕の考えた作戦書が有効と思ってくれる人に渡って、司令官の耳に入る場所まで届けば、発信者が誰かなんて、どうでもいいんだ。その辺の手回しはルピンが動いているから、任せているよ」
「でもそれでは、リョウさんには何の利益もないじゃないですか」
「利益を考えていたら、この戦争に参加なんてしていないよ。僕らはユリアーナのためにここへ来たんだ」
リョウの言葉に少しだけ力が入った。
「ユリアーナのために全力で作戦を考える。僕の考えた作戦が採用されれば、帝国軍とどうにか戦えると思うんだ。まぁ、僕以外でも、僕と同じことを考えている人がいれば、僕は何もしなくていいんだけど」
「リョウさんは戦略家なのですか?」
「さぁ、どうなんだろうね。僕自身は歴史家だと思っているよ。僕の立てる作戦は、過去の偉人がやったことの模倣に過ぎないからね。本音を言えば、もっと妙手を打ちたいのだけれど。あまり奇抜な作戦を考えても周りが付いてこないから。…………お嬢様、ちょっと休憩しようか。働き詰めで疲れたでしょ?」
リョウはそう言って、紅茶とお菓子を出した。
「う~~ん、紅茶は好きなんだけど、どうやら紅茶は僕のことが嫌いらしいね。おいしく淹れられたことがない」
リョウは、自身で淹れた紅茶を飲んで、顔を歪めた。クラナも一口飲む。お世辞にもおいしいとは言えなかった。
「あの、私が淹れてもよろしいですか?」
リョウが構わない、と言う。
クラナは手際よく、とは決して言えない手付きで紅茶を淹れた。それでも香りも色も、リョウの淹れたものとは、良い意味で違う。リョウは、一口飲んでみる。
「ど、どうですか?」
「僕の淹れた紅茶よりもおいしいよ」
リョウは嘘のない感想を言う。
「本当ですか! よかった。私、誰かに何かをするのって初めてなんです。私、お役に立てていますよね!?」
「う、うん、役に立っているよ。書記をやってくれているから、すごく助かっている」
「そうですか~~~~」
クラナは、好きな子から告白されたように、顔を真っ赤にして笑った。
「二人で何をやっているですか?」
ルピンが二人を尋ねて来た。フードを深く被り、表情を窺うことはできない。
「午後のティータイムだよ。ルピン」
ルピンはテーブルの上の紅茶とお菓子を見る。そして、リョウのカップを手に取り、紅茶を口に含んだ。
「おいしくないですね。誰が淹れたのですか?」
辛辣な一言を放つ。リョウが淹れたもので無いことぐらい、ルピンには分かっていた。クラナが落ち込む顔を見せる。それを確認し、ルピンが紅茶を淹れ始めた。
「よければ、ネジエニグ嬢もどうぞ」
勧められた紅茶をクラナは飲んでみる。同じ茶葉を使用したとは思えないほど、おいしかった。クラナは、リョウに褒められた自分の紅茶が恥ずかしくなった。
「あんまりお嬢様を苛めないでよ。姑みたいだよ」
「しゅ、姑!? 失礼なことを言わないでください。私は事実を言ったまでです。そんなこと言っていると、もうリョウさんの為に紅茶を淹れてあげませんよ」
ルピンはプイッとそっぽを向いた。
「それは困るな。僕の楽しみが一個減っちゃうよ。………………で、用件はなんだい? ルピンだって、暇じゃないでしょ。君がここに来たってことは、ここの司令官、名前はえーっと…………まぁ、いいや。とにかく、司令官との連絡線は確保できたのかい?」
「その件ですが、リョウさんの作戦を流すのは後回しです。実は…………内通者がいます」
リョウは特に大きな反応はしなかった。
「なるほど、あり得ない話じゃないね。けど良くこんなに早く分かったね」
「初めから疑っていましたから。これだけの劣勢なら内部から腐るものだと。まぁ、それが誰なのかなんて見当もつきませんし、内通者の存在自体も推測の域を超えていませんけどね」
「だけど、金髪の司令官の印象とはちょっと合わないな」
金髪の司令官、イムニア・フォデュースはフェーザ連邦との戦争で比類なき戦果を上げた。イムニアの天才的な軍事の才能は大陸中に轟いている。
イムニアの気質は兵を並べての決戦、戦勝を最高とすることで有名である。暗殺や内通、謀略の類は嫌うと言われていた。
「まぁ、世間の噂なんてどこまで本当か分からないか」
「いえ、恐らくイムニアさんは戦勝を望んでいるでしょう。謀略を考えているのは別の勢力です。注目する点は、今回の軍事行動がイムニアさんの単独で行われないという点でしょうね。今回の軍事行動にはイムレッヤ帝国中央軍、つまり皇帝直属軍が動いています。裏切りの謀略は、恐らくそっちが行っているのでしょうね。イムニアさんを過大評価するわけじゃありませんけど、彼は謀略を使わないだけでやれば、それなりに手強いと思います。私がこんなに早く情報を掴めたのは、大した能力のない帝国中央が主導しているからでしょう」
「なるほど、じゃあ、まずそのことを司令官の、えーっと、名前は…………」
リョウは頭を振る。
「アーサーン司令官ですよ。元はシャマタル独立同盟軍第五連隊の連隊長です」
現在のシャマタル独立同盟で、一万以上の兵を束ねられる現役の指揮官は、アクレビューとアーサーン、現役に復帰したフィラック、それとフェーザ方面に配置されている第七連隊のローラン連隊長ぐらいしか残っていなかった。
「そのアーサーンさんにどうにか伝えられるかな?」
「私はやめた方が賢明だと思います」
「…………なんで?」
「裏切り者が誰か分からないんですよ。会ったこともない人を信用するのは危険です」
「君はアーサーン司令官が裏切ったとでも思っているのかい?」
「可能性は0じゃありませんし、理由もあります。アーサーン司令官はシャマタル人ではありません。どうして、他民族と命運を共にすることができますか? それならシャマタル独立同盟を手土産に、イムレッヤ帝国に付いた方が得じゃありませんか?」
「確かにそうかもしれない。どうする?」
「味方が必要です。軍議に呼ばれる身分の人間で、信用のおける人物」
「そんな都合のいい人物いるのかな? それにそれだけじゃないよ。もし、軍の上層部の人間が裏切っているなんてことになったら、全体が混乱する。シャマタル独立同盟軍がまともな状態で居られるかも怪しい。よっぽど強い求心力が無ければ、軍は瓦解してしまうかもしれないよ」
「英雄が必要ということですか…………」
リョウとルピンは沈黙した。
「あ、あの、フィラックでは駄目でしょうか?」
発言したのは、半ば空気と化していたクラナだった。
「フィラックは引退してから私の教育係をしていました。接触に関してはどうにかなると思います。それにフィラックがシャマタルを裏切るとは思えないのです」
ルピンはため息をついた。
「まったくこういうのを、リョウさんの世界の言葉で『灯台もと暗し』と言うのでしょうね。こんなところに活路があるじゃないですか。問題は全て解決ですね」
「でも、フィラックさんは引退していたんだよ。僕たちが思うほど求心力があるかな? いくら『英雄の右腕』でもそれは過去の評価じゃないかな?」
リョウは冷静に意見する。
「ええ、そうですね。フィラックさんには上層部の連絡役としての働きだけ期待していますよ」
「えっ、でもルピンさん、問題は全て解決したと言いましたよね!?」
クラナが言う。
「ええ、言いましたよ」
「?」
クラナはキョトンとする。
「全て解決です」
「!?」
ルピンは、クラナに迫った。
それは獰猛な肉食獣がか弱い草食動物を捕食するようだった。笑顔でこう言った。
「何でもするって言いましたよね?」
クラナが外の世界に出て初めて、恐怖を感じたのはこの時である。
リョウとルピンは、クラナにこれからの構想を説明した。
「フィラックさんと早く会わないとできれば、僕らだけで。頼むよ、お嬢様」
「はい、分かりました。でももう片方は無理です」
クラナの言葉を無視して、ルピンが口を開く。
「ネジエニグ嬢が間に入れば、なんとかなるでしょう。その後はあなたに任せていいのですね」
「ああ、そうなるとフィラックさん用にまた立案書を作らないと、お嬢様、また協力してくれるかい?」
「はい、分かりました。でもさっきの話は無理です!」
「リョウさんの世界の言葉で『成せばなる何事も』というものがあります。ネジエニグ嬢」
「だって…………」
クラナは泣きそうになりながら、声を振り絞る。
「私に全軍の指揮権が移るように操作するなんて!」
「大丈夫です。フィラックさんの協力さえあれば、できるはずですから」
「そういうことじゃありません! リョウさんからも何か言ってください」
「…………ルピン、やっぱり、他の手を考えないかい? さすがに酷だと思うよ」
「もっといい案があれば、この案は破棄します。しかし、現状は最悪と言ってもいいです。外側も、内側も不安要素だらけです。これが成功すれば、少なくとも内側の不安要素だけは無くなります。リョウさん、あなたが分からないはずないでしょう。私たちは一手でも緩手を打てば、全てが終わるという状況だということぐらい。これ以上の妙手はありますか?」
「それは…………」
「無いのでしたら、決定です。ネジエニグ嬢。あなたの『英雄の孫娘』という肩書を使わせていただきます。聞けば、あなたの両親も二十くらいで、神懸かり的な勝利を飾ったらしいですね。英雄の再来と言われるかもしれません。そうすれば、ファイーズ要塞は一枚岩になるでしょう」
「わ、私は英雄じゃありません! 『英雄の孫娘』や『英雄の娘』であっても英雄ではないのです。ルピンさんは血統で、全てが決まると思っているのですか!?」
「微塵も思っていません。私は血統も神も信じません。ですが、そういったものを信じる人々はいるのです。だから、あなたを『偶像の英雄』にする価値がある。このままではシャマタルは滅びます。知っていますか? 英雄の孫娘は、イムレッヤ帝国にとって、叛徒の首謀者の孫娘なのですよ。捕まれば、痛めつけられた挙句、処刑でしょうね。どうせ死ぬなら、足掻いてみなさい。死なないために足掻く、これは子供でも、いえ、命あるものならなんにだって、それこそ虫にだってできることですよ? あなたは虫以下ですか? あなたの価値はその程度なのですか?」
「私の価値…………」
「ええ、そうです。あなたは何者にも成れずに死んでいくはずだった。そんなあなたに私たちが意味を、価値を与えて差し上げます。クラナ・ネジエニグという人間が輝ける場所を与えて差し上げます。あとは一歩を踏み出す勇気です。あなたにはその勇気があるはずです。屋敷を抜け出して、ここに居るのですから。その時と同じ気持ちになりなさい!」
クラナは雷に打たれたようだった。
「ルピンさんは私の気持ち、分かっているのですね」
「ええ、だからその時と同じ気持ちになればいいのです」
クラナは大きく深呼吸をした。
「分かりました。やります。やらせてください!」
フィラックとの会談は、翌日に叶った。リョウ、グリフィード、クラナ、ルピン、ユリアーナがフィラックと会談をする。
「内通者? 信じがたいが…………」
フィラックは言葉を濁す。
「それにクラナ様がここにいるとは…………フィーラとルパの仕業か? まったく、困った奴らだ」
「二人は悪くありません。私が屋敷を抜けたいと言ったのです」
「フィーラ? ルパ? ちょっと話が逸れますけど、誰ですか?」
「フィーラは私の妻、ルパは娘だ。それとフィーラはクラナ様の筆頭侍女、ルパも侍女の一人。まったく親子で私を悩ませるか」
フィラックが溜息をつく。
「話を戻そう。正直な話、君たちの話は信じられない。クラナ様の願いだったので、会うことは承諾したが、そんな話を聞いただけで不愉快にすら思う」
フィラックは馬鹿にするでも、怒るでもなく、淡々と結論を言う。
「不愉快なのも分かります。けれど現実はさらに不愉快です。フィラックさん、これを」
リョウは十数枚の作戦立案書と、内通者が取るであろう行動予想書を渡した。
「そろそろ、具体的な戦略決定がなされる頃だと思います。ここに書いてあるような方向へ話を進めた人が内通者だと思います。もし当たっていたら、僕らの言うことに少しだけでいいですから耳を傾けてくれませんか?」
リョウが提案した。
「考えるとしよう。もし君の言う通りに軍議が進んだら、君の話をもう一度聞くとする」
「ありがとうございます」
「それとは別に、こんなことを私が言っていいものか、とも思うのだが、クラナ様のことをよろしく頼む。こんなところに居ると聞いて、首都へ強制送還しようと考えたが…………」
クラナは身構えた。
「そんな活き活きした顔を見せられては、私もやりづらい。ルパとフィーラも絡んでいるなら、なおさらだ。家族総出で、共犯になろう。私はこれで失礼します」
フィラックは立ち去った。
「どう思いますか?」
ルピンが尋ねる。
「う~~ん、悪い人には見えないな。ただ、僕らの意見をどこまで聞いてくれたか…………一番怖いのはさっき渡した立案書を読まずに捨てられることかな」
「そんな人には見えないように思えます」
「それは僕もそう思う。屋敷であった時、お嬢様のじいさんといるところを見たけど、かなり信頼されているみたいだったよ。まぁ、あの時は意識がぼやけていたから、はっきりとは覚えていないけど」
「意識がぼやけていた? 何かあったのですか? 例えば、殴られたとか」
「な、なぜ、それを!? ユリアーナがばらしたのか!」
「言ってないわよ」
「冗談で言ったのですが、本当だったのですか。またユリアーナさんに変なことをしましたか? そのうち、ユリアーナさんに斬られますよ」
「大丈夫、今回の対象はお嬢様だったから」
「ネジエニグ嬢が? とても人を殴るような気性の荒い人には見えないのですが?」
ルピンが疑問を口にする。
クラナは顔を赤くした。
「ちょっと胸を揉んだ。初対面で」
「ちょっと胸を揉んだ!? 初対面で!!? どんな状況ですか! まったく、私も気を付けないといけませんね」
「んっ? ないものは揉めないよ。気を付けないと、って言うより、君は付いてないよ」
「失礼なことを! 私だって…………」
「ルピン、ユリアーナに注目!」
「な…………」
「圧倒的じゃないか! 次、クラナに注目!」
「うっ…………」
「閣下、降伏されてはいかがですか?」
「うるさいです! 大体、私がこうなったは、成長期にまともな食事ができなかったからです! ユリアーナさんやネジエニグ嬢がこんなに育ったのは、食べ物が良かったんですよ! 二人ともお嬢様ですから!!」
「ちょ、ちょっと、ルピン、落ち着きなさいってば! 完全にリョウの術中に嵌っているわよ!」
「はっ…………! 私としたことが…………」
ルピンは咳払いをする。
ファイーズ要塞軍議所。
「敵は大軍。こちらは一万。ファイーズ要塞に籠り、防御に徹してはいかがでしょう」
参謀の一人が進言する。
当然だ、とフィラックも思った。
これだけの劣勢に陥ったのは、シャマタル独立同盟発足時のファイーズ要塞攻防戦以来である。その時は〝英雄アクレビュー〟も籠城戦を選択した。野戦で勝てる可能性は極めて低かった。
「いや、今回の戦争は守ってばかりでは勝てん」
そう発言した者が居た。
アーサーンだった。
「イムレッヤ帝国に対し、野戦を挑み、蹴散らすべきだ。さすれば士気が上がり、後の戦い悉く勝利するだろう」
「ですが、イムレッヤは八万を超す大軍ですぞ」
意見したのは、今回の増員で首都から派遣された士官だった。
「ふん、安全な首都で昼寝をしていた奴の意見など聞く価値が無い!」
アーサーンが声を張り上げる。
「必勝の精神無くして勝てる戦があるか! 恥を知れ」
場の空気をアーサーンが支配した。その場にいた者の思考を麻痺させる。そんな中、フィラックは冷静に状況を判断する。リョウの言っていた通りに話が進んでいる。フィラックはアーサーンに対して疑念を抱く。
フィラックは引退していたとはいえ、シャマタル独立同盟発足時からアレクビューの副官をしていた名将である。作戦の無謀さは理解できた。
「では城塞を出て戦うことに異存があるものはいまいな? つきましてはフィラック様。先鋒を務めて頂きたいのですが、よろしいですか?」
「あの青年の言った通りか…………」
「何か言いましたかな?」
「何でもない。気にしないでくれ」
アーサーンにとって、『英雄の右腕』は邪魔者である。早い段階で排除に出る、とリョウは予想していた。
「英雄の右腕、フィラック様なら必ずイムレッヤの奴らを蹴散らせるでしょう」
「私の手勢は三千だ。それで帝国軍と戦う方法は思い付かん。いかにして、帝国軍を撃退するか、アーサーン殿、考えをお聞かせ願いたい」
「敵の攻勢に対し、柔軟に対処していただきます」
表現が抽象的すぎる、とフィラックは言いたくなったが抑える。すでにフィラックは討論が無駄であるとb理解していた。アーサーンの有能さは、フィラックも知っている。そのアーサーンが、これほど利にそぐわないことをやる理由は一つしかないように思えた。
「もう一度、あの青年たちに会う価値はありそうだな」
軍議が終わると、フィラックは一人でリョウたちの宿所に向かった。
「リョウ、フィラック様が訪ねて来られたわ」
ユリアーナに連れられ、フィラックがやって来た。
「待っていました。軍議はどうなりましたか? 籠城戦になりましたか?」
「いや、大方、リョウ殿の予想通りだった」
フィラックは軍議の内容を話した。情報の漏洩は重罪だが、そんな悠長なことを言っている場合ではない、とフィラックは判断した。何しろ、司令官がシャマタルを売ろうとしているのだから。
「ルピン、本当はアーサーンさんが内通者って確信していたでしょ」
リョが指摘する。
「さぁ、どうでしょうね。後から、私は知っていましたよ、って言うのは見栄を張りたがる者がすることです。私はそんなことしたくありませんね」
「アーサーンさんは優秀だと知っていた。そのアーサーンを言いくるめて野戦を選択させる。そんなことを出来る士官は存在しない。だからアーサーンさんが内通者、と考えた。僕の推理はどうかな?」
「それも一つの可能性だったというだけで、裏切りの手段なんて他にもいろいろありますからね。あまり私の考えを読まないでくれますか? それに推理ごっこしている時間はないのですよ。こうして内通者が発覚した以上、やるべきことは決まっているでしょう。現状の打開策を話します」
「しかし、不思議だ。君たちは流浪の私兵団ではないのかね? なぜそこまで、情報戦に強い?」
「まぁ。僕たちには情報戦の専門家がいますから」
リョウはルピンに視線を向けた。
「一つ聞きたいことがある。アーサーン殿がいなくなった後、どうやって軍を立て直す? 敵の大軍が迫った状況での司令官の裏切り。そこから軍を立て直すのは容易ではないぞ」
「ええ、その点は心配しないでください。こう言ってはなんですが、フィラックさん以上の求心力になるであろう人がいますから」
「なるほど、この場にクラナ様がいるのはそのためか」
フィラックは、クラナに視線を向けた。
「そうです。この窮地、利用できるものは何でも利用します。英雄の孫娘、それ以上にこの状況を劇的に変えられる役者がいますか?」
「恐らく、いや、間違いなくいないだろうな。いないと分かった上で、言わせてもらうが、それはクラナ様のご意思か? そうでないなら、承諾しかねる」
「もちろん、快諾してくれましたよね、ネジエニグ嬢?」
ルピンはにっこりと笑う。とってもあくどい笑顔だった。
「正直、初めは嫌でした。でもここに来て何もできない自分はもっと嫌だと思ったのです。これは私の意思です。だから、フィラック、あなたも私に力を貸してください!」
クラナは、フィラックの手を強く握る。
フィラックは驚き、すぐに口を開けなかった。一度目を閉じ、深く呼吸をする。フィラックは次に目を開けた時、目頭が少し熱くなっているのを感じた。
「子供は知らぬ間に成長するものですね。あなたは私が思っていたよりずっと強くなっていた。分かりました。微力を尽くします。ところで今日は、あの白髪の青年はいないのかね?」
「それでしたら、もうすぐ来ると思いますよ」
ルピンの言葉通り、すぐにグリフィードが姿を見せる。グリフィードは一人ではなかった。二人の男を縛り上げている。
「この者たちは?」とフィラックが尋ねる。
この問いには、グリフィードではなく、ルピンが答えた。
「アーサーン司令官の兵士でしょう。あなたを付けるように指示を受けていたのだと思いますよ」
「私を付ける? 一体何のために?」
「とぼけるな、裏切り者!」
男が叫んだ。
「司令官はおっしゃっていた。フィラック様に裏切りの疑いがあると。だから、後を付け、真相を知ろうとしたのだ。なぜフィラック様はこんなところで密会をしている!」
迂闊だった、とフィラックは反省した。
「気に病むことはありません。こういったことはフィラック様の専門外でしょうから」
ルピンが言う。
「いや、尾行に気付かなかったのが情けなくなってな。どうも、勘というものが鈍ってしまったらしい。戦場で気をつけねば」
フィラックは苦笑いだった。
「さて、今の状態で野戦は論外です。なのでアーサーン司令官には退場してもらいましょうか」
顔に似合わない不敵な笑みだった。こういった戦場外での戦いはルピンの領分だ。
ルピンはすぐに行動を起こした。リョウとユリアーナ、クラナ、フィラックを従えてアーサーンの元へ向かったのだ。
「俺はここに残るぞ。もしかしたら、アーサーンの部下の兵士がここに来るかも知らないからな」
グリフィードは宿舎に残った。
リョウたちがシャマタルで最初に戦った相手はイムレッヤ帝国軍ではなく、ファイーズ要塞の司令官だった。