回想録~ランオ平原会戦~(後編)
今回の連続投稿で『解明編』を完結させます。
『解明編』完結まで毎日22:00~24:00の間に投稿する予定です。
体調・仕事の関係で投稿が滞ることがあるかもしれませんが、ご了承ください。
今後もよろしくお願い致します。
「待たせましたね。出撃です!」
戻ったカリンは兵士たちにそう告げた。
兵士たちはその言葉を待っていた。
「相手は本陣に迫っている敵軍ですか?」
リッツが尋ねる。
「違います。私たちは迂回して、敵の総司令部を叩きます。私たちの手でこの戦いを終わらせます」
その言葉に兵士たちの士気は大きく上がった。
そこからの赤の騎兵連隊の動きは風のようだった。
ガラ空きになっていた敵右翼を突っ切り、アスバハ公国軍の視界に捉えた。
騎兵はあっという間に迂回攻撃の準備を整えてしまう。
「突撃開始です!」
カリンは自ら率先して戦闘に参加した。それは戦場に出てからいつものことだった。
「連隊長殿に置いて行かれるなよ!」
ワーコップは兵士たちに檄を飛ばす。
戦場を見るカリンの本能は鋭かった。アスバハ公国軍の弱点を突き、確実に崩壊させていく。
「このままじゃ、赤の騎兵連隊にまた全部持っていかれるぞ! 俺たちも総攻撃だ!」
デリックの号令でシャマタル独立同盟軍の正面も戦線を上げた。
もはやアスバハ公国軍にこの両連隊の猛攻を防ぐ余力は残っていなかった。
「ええい! 右翼のエルマル将軍は何をしている! こうなっては仕方ない。我らは撤退する」
「ですが、そんなことをすれば、戦線が崩壊します」
テンツィー将軍は意見した参謀の胸倉を掴んだ。
「だからどうした? 勝手に行動し、持ち場を捨てたカデュパフ王国と裏切りの可能性があるピュシア王国などどうでもいい!」
テンツィー将軍が逃げ出そうとした時だった。
辺りがさらに騒がしくなる。
シャマタル独立同盟の赤の騎兵連隊がアスバハ公国軍の本陣まで到達したのだ。その中にはカリンもいた。
「あなたが総大将ですね」
カリンは兵士の中心にいたテンツィー将軍に狙いを定めた。
「こんな小娘が噂の赤の騎兵連隊の連隊長だと!?」
「あなたがテンツィー将軍ですね。武人なら情けなく逃げるような真似はやめなさい!」
カリンはテンツィーを挑発した。その挑発にテンツィーは乗ってしまう。
「女の連隊長など近衛兵に囲まれたお飾りだ!」
「試してみますか?」
カリンは前に出た。
「連隊長!?」
兵士数名が止めようとしたが遅かった。
カリンはテンツィーに猛進する。
「む、迎え撃て!」
対するテンツィーは部下の影に隠れる。
「お飾りはどちらですか!?」
カリンの乗っていた馬は大きく跳ねた。テンツィーを守る兵士たちを飛び越える。
カリンとテンツィー、二人の間に戦闘はなかった。
唖然としていたテンツィーに対して、カリンが剣を振った。その一撃でテンツィーの首が飛んだ。一瞬の出来事だった。
「まだやりますか?」
カリンは残ったアスバハ公国軍の兵士に言い放った。
司令官の弔い合戦を仕掛けてくる兵士は居なかった。
「て、撤退だ!」
アスバハ公国軍は秩序もなく、散り散りに逃げていく。
「終わりですね。この戦場のことはデリック連隊長に任せましょう。司令部にもこのことを伝えてください」
カリンは少しだけ気を緩める。この戦争は勝ったのだ。それを確信した。
「もし、私に何かあったら、この命も無くなってしまうところでした…………」
カリンは腹部を擦りながら、微笑み、言葉を呟く。
「連隊長、何か言いましたか?」
「いえ、何でもありません。私たちは部隊を再編し、ピュシア王国軍と戦っている第六連隊の救援に向かいます」
カリンは即座に部隊を再編し、三千余騎を率いて行動を開始した。
シャマタル独立同盟軍の左翼は昨日からの数的不利な戦いの中で徐々に劣勢になっていたが、赤の騎兵連隊が来援したことで状況は一転する。
「やれやれ、今回も一番手柄はお嬢ちゃんらしい」
リスリックは苦笑した。
その顔には疲労に色があった。
赤の騎兵連隊に側面を強襲されたピュシア王国軍は撤退する。
各戦場で勝敗は着いた。
シャマタル独立同盟の本陣に攻め入ったカデュパフ王国軍もその行動の限界点にあった。
短期決戦を挑んだが、乱戦に持ち込まれ、その間に背後からカーコープの第五連隊が来援した。
「このままでは全滅か」
エルマル将軍はシャマタル独立同盟軍の包囲陣が完成する直前で戦場を脱出した。
ボスリューは追撃を命じるが、エルマル将軍は撤退と疑似突撃を繰り返し、巧みに戦場を脱出した。
「あのような将軍が後二人いれば、この戦いはもっと難しいものになっていただろう」
ボスリューがエルマル将軍をそういう形で称賛した。
「んっ? ドワリオはどこにいった?」
ボスリューはドワリオがいないことに気付く。
「兵士数名と戦場に向かいました。赤の連隊長が心配なのではないですか?」
「そうか…………」
ボスリューはドワリオの普段と違う行動に疑問を感じたが、他にやるべきことが山積みなので、考えることを後回しにしてしまった。
ボスリューはこのことを一生後悔することになる。
「カリン! カリンはどこだ!」
すでに戦いが終わった戦場でドワリオは叫んでいた。カリンに何かあったとはあまり考えられない。それでも今回はいつも以上に心配していた。ドワリオはカリンの体がいつもと違うことに気付いていた。それでも彼女の強い意志を止めることは出来なかった。
「カリン!」
ドワリオは暫くしてカリンと再会することが出来た。
「ドワリオ!? なんでここに!!?」
カリンは普段、後方にいるドワリオがいることに驚く。
「大丈夫か!? 怪我はないか!?」
ドワリオはカリンを抱き寄せる。
「やめてください。苦しいです。それに皆さんが見ています。…………何か所か擦りむきましたけど、大きな怪我はありません。私は元気です」
「そうかよかった…………」
ドワリオがホッとし、視線をカリンから逸らした時だった。
死んだはずの敵兵の中で動く影を見た。敵兵は弓を引いていた。
ドワリオは敵兵の視線がカリンに向かっていることに気付く。
「カ…………」
リン、と言う前に矢は放たれた。
「えっ?」
カリンは何が起きたか分からなかった。腹部に矢が突き刺さる。
しかし、それはカリンの腹部ではなかった。
「ドワリオ!」
カリンに向けて放たれた矢をドワリオが代わりに受けた。
「くそ、邪魔が入った!」
敵兵は起き上がり、第二矢を放とうとする。
「この野郎!」
リッツがそれを阻止する。敵の弓兵はすぐに討ち取られる。
「あなた、なんで…………! なんで…………!?」
カリンは狼狽える。
「今回は嫌な予感がしていた。君を守れてよかった」
ドワリオの口調は穏やかだった。
「なんで戦場に来たのですか! あなたは後方にいればいいのに!」
「君一人だったら心配してなかったさ。でも、今の君はもう一つ、命を背負っているからね」
「気付いていたのですか…………?」
「物心ついた時から君とは一緒だった。それくらい気付くさ。君が無事で本当に良かった」
腹部に矢は刺さっていたが、今の所、大きな出血はなかった。
「馬鹿! それであなたがこんなことになってしまったら、意味がないです!」
「そう……だね。ごめ……ん」
ドワリオの息が荒くなり、顔色が悪くなっていく。
カリンは無意識に矢を抜きそうになる。
「お待ちください!」
ワーコップがそれを止めた。
「ここで矢を抜けば、傷口から血が吹き出します。我々で軍医の元へ運びます」
ワーコップの言葉がカリンには随分と遠くに聞こえた。
頭が真っ白だった。
その場から動けなかった。
日没、兵士数名に体を預け、半ば引きづられてシャマタル独立同盟軍の本陣に戻った。
本陣には各連隊長が到着していた。ボスリューもいた。
勝利したはずなのに空気はとても重かった。
「叔父様…………」
カリンの声はか細かった。
「話は聞いた。今、軍医たちが必死に治療をしている」
助かりますよね?
カリンはその言葉が言えなかった。望む答えが返ってこなかった時のことが怖かった。
「ドワリオが意識を失う寸前に私に言伝を頼んだ。カリン、お前の体のこと、聞いたぞ。なぜ、今回の戦いでドワリオがお前を戦場に出したがらなかったも分かった。気付けなくてすまなかった」
「私は今ほど自分が女であることを恨んだことはありません。男ならこんなことにはならなかったかもしれないです。戦友として共に戦い続けたかもしれません」
「だが、それではドワリオの子を成すことは出来なかった。自分をそこまで攻めるな。今、お前がすべきことは別の戦いに備えることだ」
「別の戦いですか?」
「私は男だから、その辺の大変さは分からない。だが、気をしっかり持て。ドワリオが回復した時、お前やお前たちの子に何かあったら、どうする。カーテローザ・グーエンキム連隊長、今ここでその任を解く。今後は自分の新たな責務を全うせよ。そうでなければ、怪我をしたドワリオが報われない。今のドワリオに長旅は無理だ。対し、お前は住み慣れた土地で出産に備えた方が良いだろう。納得してくれるか?」
カリンは叔父のボスリューがここまで不安な表情をしているところを見たことがなかった。
気を使わせていることにやっと気が付く。
周囲を見る他の連隊長たちもカリンを心配そうに見ていた。
カリンは止まっていた思考を働かせる。力の抜けた体を立て直す。
「分かりました。私は私の出来ることをやります」
カリンは前を見ることにした。
こうしてランオ平原会戦は終結する。
この戦いでシャマタル独立同盟軍側の損害はごく僅かなものだった。
フェーザ連邦は約一万の死傷者と総司令官の戦死という手痛い損失を出す結果となり、これ以降、フェーザ連邦がシャマタル独立同盟に積極的な軍事行動を起こすことはなくなった。
ランオ平原会戦、それがドワリオとカリン、二人にとって最初で最後の華々しい戦歴となった。