ジーラー家の秘密
イムニアが麾下の将軍を招集している頃、リユベックは一人で実家を尋ねていた。
「お久しぶりです。父上」
リユベックは久しぶりに父親に会った。
「シャマタルでは大変だったな」
リユベックの父親の名前はガルド・ジーラーという。
周りからの評価は平凡の一言で、イムレッヤ帝国内で目立った功績は皆無だった。ガルドの父がブラッツ・ジーラーということを覚えている者も今では少ない。
「はい。そして、その結果、私の一番大切な人が窮地に立たされました」
「フォデュース将軍のことか?」
「そうです。おじい様の無念を晴らすためには、イムニア様の力が不可欠です。ここで失うわけにはいきません。それに今は王座が空席です。今こそ、立つ時ではありませんか?」
「リユベック、私はね、別にお前がお前のおじい様、ヴェスパーレ皇子のために戦う必要な無いと思っているんだ。あの方はさぞ、無念であったであろう。しかし、生者が死者に縛られることは無いと思わないか?」
「はい、だから私は偉大な二人の祖父のために立つのではありません。それはあくまでも建前です。私はイムニア様を死なせないために私の全てを使うのです」
「フォデュース将軍はそこまでの人物なのか?」
「少なくとも私は惚れております」
「リユベック、お前は憎しみに塗れてはいないか?」
「大丈夫です。自分の母のことを悪く言いたくはありませんが、母上を見ていれば憎しみというものが、害を持っていると分かります」
リユベックの母、ルリーデはすでに他界していた。
この『ルリーデ』はヴェスパーレ皇子の実子であり、ブラッツ・ジーラーに託されたものの正体だった。
ルリーデはその出生を隠された。彼女が生まれた頃には、すでにヴェスパーレ皇子の立場が危険になっていたからである。同時期、ブラッツ・ジーラーの側室の一人が出産をしたが、これは死産だった。それを知ったヴェスパーレ皇子が、ルリーデをブラッツ・ジーラーの側室の死んだ赤子とすり替えたのである。
ブラッツ・ジーラーはルリーデが十歳になった時、真実を伝えた。ブラッツ・ジーラーはこのことを後悔することになる。ルリーデは自分の息子がイムレッヤ帝国の皇帝になることが正道だと、妄信してしまったのだ。そして、父の敵であるイムレッヤ帝国を憎むようになった。
もちろんルリーデが父であるヴェスパーレ皇子やその親族、従者の処刑を直接に見たわけではない。
しかし、人は時に目で見るより、後から知った方が複雑で、深く、歪んだ感情を作り出してしまう。
それは直接見ていない分、恐怖が欠落してしまうからかもしれない。
ルリーデは一二歳になる頃、ブラッツ・ジーラーとの関係を求めた。ルリーデは、優秀な男なら誰でも良かったのである。ブラッツ・ジーラーは年の差を理由にこれを拒絶した。本当の理由は、自分の死んだ後を考えてしまったからである。ルリーデとその子供が残った状態を考えると、とても危うい気がした。取り返しの付かない暴走をする気がした。ルリーデの旦那となる人物は抑止力にならなければならない。ふと自分の息子、ガルドが浮かんだ。目立たない子ではあるが、人の感情を理解し、制御することに長けている。ルリーデと年も近い。
ルリーデはブラッツ・ジーラーの息子なら、と承諾した。ガルドは父の思惑を理解し、自分に出来ることを成そうと承諾した。
ガルドはなるべく目立たないように振る舞うことを心掛けた。
ルリーデは結婚後、二度の死産に苦しんだ。リユベックを生んだのは二〇歳半ばの頃で、ルリーデは心身共にボロボロになっていた。
リユベックの記憶の中にある母は、ベッドの上でいつもイムレッヤ帝国に対する憎しみを言っていた。自分の心身の衰退さえ、イムレッヤ帝国のせいにした。リユベックは父、あるいは二人の祖父に似て優秀だった。ルリーデの前では、彼女が満足する言葉を並べた。士官学校に入り、軍人という立場を経て、母の望みを叶えるとも誓った。
それでも、ルリーデは最後まで憎しみを言い続けて死んでいった。ルリーデにとって、リユベックは自らの復讐を達成するために道具でしか無かった。
リユベックは母から優しい眼差しを向けられたことは一度も無かった。ルリーデの瞳はいつも虚ろだった。自分の妄想の中で生きていた。
「別に母上のために皇帝になりたいのではありません。私の最大の友人が夢を叶えるために、私自身でやれることをやりたいのです」
「リユベック、もう後には引けなくなるのだぞ?」
「覚悟は出来ています」
二人の間に少しの沈黙が流れた。
「お前が過去の憎しみから起つと言うなら、私は止めただろう。しかし、未来への希望から起つと言うなら、どこに止める理由がある」
「それでは父上?」
「好きにするが良い。このジーラー家も自由に使うと良い。蓄えている兵糧も、武器も好きなように扱え。私も協力する。後方のことは任せて貰おうか」
「ありがとうございます」
「やるからには、後悔の無いようにやりなさい」
リユベックは、ガルドからの許しと自分がイムレッヤ帝国の皇族の血統であるという証明を記した書状を手にすると、イムニアの元に走った。
「お待ちしておりました。我が主君」
イムニアはわざとらしく膝を突き、リユベックを出迎えた。立場が逆転したことで、礼節を保っているが、口元は笑いを堪えるのに必死だった。
「他の方が居る時はともかく今はおやめください。イムニア様」
リユベックは笑った。
「お前こそ、イムニア様はもう止せ。昔のようにイムニアと呼び捨てで良い」
「みんなの前ではせいぜい偉そうにします。しかし、もうこちらで慣れてしまったので、普段は容赦してください。イムニア様」
「なんだ、これから皇帝になろうという男が腰が低い」
二人は笑った。
「時期が少し早い気がするが、全てがあのリョウ青年の掌の上では面白くないからな。最大の切り札を使わせてすまない」
イムニアは真顔になった。
「何を言いますか。この時期しかありません。イムニア様、あの日の約束を二人で叶えましょう」
「ああ、そうだな。頼むぞ、未来の皇帝!」
次の日、イムニア陣営はイムレッヤ帝国に対して宣戦布告をした。そして、次期皇帝にはリユベックを掲げた。彼がヴェスパーレ皇子の孫であることも公に明かした。
そこからのイムニアの行動は、迅速だった。
北部に領土を持つ門閥貴族、ハルムーデ家が民から必要以上に税を取り上げたことを理由に討伐した。この程度の不正は門閥貴族の中で横行しており、罪の意識は皆無だった。当然、イムニアの行動は門閥貴族たちを激怒させた。しかし、門閥貴族の個の力では、戦の天才イムニアを止めることが出来ず、北部の門閥貴族たちは連敗を重ねる。
さらにイムニアが狡猾だったのは、もし自分に付くなら税は半分にすると宣言した。
門閥貴族たちに不満を持っていた地域の民は一斉に放棄した。特に旧ヴェスパーレ皇子領の民の勢いは凄まじく殆ど彼らの力だけで、その地域の門閥貴族を排除してしまった。こうして、イムニアは一ヶ月余りの間にイムレッヤ帝国の北部の大半を手中に収めてしまったのである。
それはリョウの構想より遙かに早い行動だった。