ガンルレック要塞攻防戦五日目③~指揮権移譲~
西門の戦闘はグリューン隊が優勢だった。カタイン軍最精鋭の力を発揮し、リテリューン皇国軍に多大な被害を与える。全体では些細な戦果だが、グリューン隊がいる限り西門が落ちる気配はなかった。
しかし、状況が急変する。
「グリューン様、南門から狼煙が上がっています!」
グリューンは南門からの狼煙を見た時、特に反応しなかった。
静かに「撤退の準備をしろ」と言っただけだった。
その命令はすぐに実行され、西門の一部を破壊するとすんなりと撤退した。
グリューン隊を追う者はいなかった。
リテリューン皇国軍はその強さを嫌というほど思い知った。
東門でもアーサーンが即決し、撤退を始める。
「まったく撤退することにも慣れたものだ」とアーサーンは苦笑する。
南門が突破され、東西の門で撤退が行われていた時、北門のクラナは戦闘を継続していた。
撤退が出来なかったわけではない。
南門が突破された際の最終防衛拠点に設定されていたのが、この北門なのである。
「これから多数の負傷者、それと民間人が来ると思います。受け入れの準備をしてください」
クラナは後方にそんな指示を送り、自身は最前線で戦った。
午後になると北門には負傷者と民間人が殺到する。
「クラナ様!」
アーサーンの声だった。
「無事で何よりです」
「それは私の言葉です。毒は大丈夫ですか?」
「体調不良を訴えて寝ていられる状況でもないでしょう。グリューン殿もすでに駆け付け、迎撃の準備を行っています」
「それは心強いですね。南門からの兵士たちはどうですか?」
「ハウセンと言う若者が第一陣を連れてきて以来、誰も来ておりません。シュタット司令官も行方不明です」
「そうですか…………」
クラナは深刻な表情をした。
もし、シュタットの身に何かがあれば、この要塞は指揮系統の中心を失うことになる。新たな司令官を決める時間など無い。
「私はハウセンさんに会ってきます。アーサーン、一旦、こちらのことを任せます」
アーサーンは「分かりました」と答えた。
クラナが南門から撤退したシュタット隊を見た時、その酷い有様に言葉がなかった。
ほとんどが怪我人で憔悴しきっていた。
「ハウセンさんはいますか!?」
クラナの言葉に若者が反応する。
「ハウセンさんですか?」
「はい」
以前あった時と容姿が違い過ぎたので認識するのが遅れた。
「南門で何があったんですか?」
「ラングラムは櫓を作り、それを城壁にぶつけたのです」
クラナは大きな音の正体を理解した。
「壁は破壊され、リテリューン皇国軍は大挙として押し寄せました。私たちは成す術もなく…………」
ハウセンの声が震える。
「…………シュタット司令官はどうされたんですか?」
「殿を務める為に残られました」
「…………そうですか」
防衛拠点と司令官の消失。
クラナは状況が最悪に近いと理解した。
二人は俯く。
「司令官が戻られました!」
兵士の声にクラナとハウセンは顔を上げた。
「どこですか!?」
クラナが聞く。
「こ、こちらです!」
兵士に案内されて、クラナとハウセンは走った。
「ネジエニグ殿、本当に申し訳ない…………」
体には数本の矢が刺さり、多くの刺し傷、切り傷を受けていた。
「すぐに軍医の元へ!」
ハウセンが言うが、シュタットが「待て」と止めた。
「その前に一つ…………言っておかなければ…………ならないことが…………ある…………!」
シュタットは絶え絶えの言葉で続ける。
「ハウセン…………お前もしっかり聞いておけ…………ネジエニグ殿…………あなたに指揮権を委ねる…………!」
ハウセンは驚き、目を丸くした。
クラナは深呼吸して心を落ち着かせる。
「私でいいのですか?」
「あなたが最もふさわしい…………ラングラムに対抗できるとしたら…………あなたぐらいだ…………」
「私は作られた英雄です」
「それでも英雄で…………あることには変わりない…………受けてはくれないだろうか…………?」
クラナは頭の中で思案する。自分の能力を過信するつもりはない。その上でそれが最も良いことだと分かっていた。
クラナは瞳を閉じ、深呼吸した。そして、また瞳を開けた。
「分かりました。それでは一時、指揮権を預かります」
「感謝する…………」
シュタットはそれだけ言うと気絶し、軍医によって運ばれた。
「私はあなたの能力に疑問を持っています」
ハウセンが言う。
「ですが、あなた以外に司令官に相応しい人もいない。シャマタル人のあなたにこんなことを言うのは情けないことですがね…………司令官代理、ご命令を」
ハウセンは直立する。
「負傷者をすぐに医務室へ運んでください。無事な者はグリューン隊に合流して殺到するリテリューン皇国軍の迎撃をお願いします」
「かしこまりました」と言って、ハウセンはクラナの元から立ち去る。
「リョウさん、私、頑張りますからね…………」
クラナは以前に貰った首飾りを握り絞める。
体は震える。それでもクラナは戦うことを、前に進むことをやめなかった。
南門が陥落した夜、クラナはアーサーン、グリューン、ハウセン、それに各隊の部隊長を招集して今後の防衛作戦の軍議を開いた。
すでにガンルレック要塞の戦闘可能兵力は六千を切っていた。
「敵の総兵力は恐らく三万程度でしょう」
グリューンが言う。
「兵力差は三倍か…………中々に厳しい状況ですね」
アーサーンの声は暗かった。
「すでに要塞の有利は無くなりました。後は市街地を要塞化して戦うしかありませんが、こうなるとラングラムに勝つとか撤退に追い込むとかを考えることは出来ないでしょう。我々に出来ることはどうにかカタイン様の来援まで粘ることだけです」
「だが、グリューン殿、例の櫓をもう一回、この北門で使われたら、どうする?」
アーサーンの問いかけにグリューンは深刻な表情をする。軍議場に重い空気が流れた。
「その心配はないと思います」
その空気の中、クラナが発言した。
「もし、あの櫓が複数あったのならば、要塞の一方向だけを破壊することはなかったと思います。同時に数ヶ所、要塞の壁に穴を開けて侵入した方が効果的です。それをしなかったのは、櫓が簡単に作れないものだからです。だから、最も強固な南門を破壊することに櫓を使いました。そして、この最も守りにくい北門に私たちを集めたのです」
クラナの言葉はルルハルトの思惑を当てていた。
「ならば、我々はまんまとラングラムの思惑通りに動いたということですよね」
ハウセンが言う。
「はい、でもここから先も思惑通りに動く必要はありません。簡単に落とされたりはしません。カタイン将軍が来援するまで私たちは戦い続けます」
「ですが、いつまでも戦ってはいられません。我々が使者を送ってからすでに四日が経ちます。早ければ、明後日にでもカタイン様は来るはずです」
クラナは本当にそうだと良いと思った。
しかし、現実は不愉快なものだと感じずにはいられなかった。
「そのことだが、ラングラムが簡単に使者を見逃してくれただろうか?」
アーサーンが言う。
「それは…………ですが、だとしたら、カタイン様はいつまで待っても来ないということですか?」
「カタイン将軍は来ます。ユリアーナさん、向かいました」
「ゼピュノーラ殿が?」
「はい、ユリアーナさんはどんな窮地からでも生還しました。今回も必ずカタイン様に今の状況を伝えてくれるはずです」
「ゼピュノーラ殿を信じ、戦う。あなたの言うことは少々、希望的過ぎませんか?」
ハウセンの問いにクラナは苦笑し、「そうですね」と言った。
「しかし、その希望に縋るしかないでしょう。もちろん早く援軍が来れば、それに越したことはありませんがね」
「では、防衛作戦に話を移します。現状最も戦力が残っているのが私たちシャマタル独立同盟軍です。なので、私たちが市街地に展開し、敵を食い止めます。シュタット隊の方々には城砦の上を守ってもらいます。南の城壁に比べれば、守りは薄いですが、それでも有利に立ち回れるはずです。アーサーンとルーゴン隊の方々は予備兵力として待機してください。もし、危ういと思えば、私の指示を待たずに行動してかまいません」
「かしこまりました」とアーサーンが言う。
「最後にグリューンさんですが、最も負荷のかかることをお願いすることになります」
「何でもやりましょう。今の司令官はあなただ。シャマタルの英雄の元で戦えること、楽しみである」
クラナは自分でできる限りの防衛線を考え出す。それをアーサーンとグリューンが訂正し、さらに要塞内部のことに詳しいハウセンが微調整する。夜のかなり深い時間まで及んだ防衛線はそれを考え出した当人たちからすれば、満足のいく出来だった。
「もう夜も遅いですが、配置を急いでください」
クラナのその一言で解散する。全員が席を立った後、クラナだけが着席していた。気を抜いたら、一気に疲れが押し寄せてきた。熱があることも自覚していた。
「体が疲れているのに全く眠気がありません…………」
クラナは隙を見て、持ち出したルパの解熱を取り出し、水と一緒に飲み込んだ。
「さて動かないといけませんね…………頭も痛いです…………こんなことなら鎮痛剤も持ち出しておけばよかったです…………」
クラナはフラフラと立ち上がり、シャマタル独立同盟軍の宿舎に向かった。