ガンルレック要塞攻防戦三日目⑨~明日の為に出来ること~
クラナはシュタットのいる作戦本部庁へ行く前にシャマタル独立同盟宿舎へ寄った。
「アーサーンはいますか?」とクラナが尋ねる。
兵士の一人がすぐにアーサーンを探し、連れてきた。
「忙しいのにすいません。状況はどうですか?」
「はい、フィラック様のおかげで我々の損害は思ったより少なかったと言っていいでしょう。…………ただ、フィラック様を失ったことは補うことのできない痛手です」
「…………それでも私たちは前に進まないといけません。イムレッヤ帝国の様子は分かりますか?」
「グリューン殿の隊の損害は軽微でした。さすが、カタイン将軍の最精鋭です。しかし、ルーゴン隊の被害は酷いものです。ルーゴンと半数の兵士を失い、まともな指揮官がいない状況です」
「それだと今後の防衛に支障が出ますね。…………アーサーン、私に考えがあります。聞いてくれますか?」
クラナは不安そうに言う。
アーサーンは苦笑した。
「司令官が部下にそんな顔をしないでください。聞かないという選択肢は無さそうですね」
「ありがとうございます。私はシュタット司令官に進言をするつもりです。それは…………」
聞いた時、アーサーンは驚き、次に考え込んだ。
「…………クラナ様はそれでよろしいのですか? そして、失礼ながら、クラナ様にそれが出来ますか?」
「やります。やらないといけないと思います。皆が自分の出来ることを精一杯やっているこの状況で私だけが甘えてなんていられません。私にやらせてください」
「…………ならば、やり遂げてください。私はあなたに救ってもらった身です。あなたに言われたことを全うしましょう」
「ありがとうございます。私はこれからシュタット司令官のところに行ってきます」
「かしこまりました」とアーサーンは返答する。
クラナは足早に作戦本部庁へ向かった。
クラナが作戦本部庁へ着くとすぐにシュタットの元へ通された。
「これはネジエニグ殿、ご無事で何より。さぁ、どうぞ」
シュタットは客間にクラナを案内した。
「ありがとうございます」と言って、クラナは着席する。
シュタットも着席した。後ろにはハウセンが立ち、控えている。
テーブルには飲み物とお菓子が置かれていた。
「ラングラムの術中に嵌まりましたな。最も弱い部分を狙われ、その結果、ネジエニグ殿、シャマタル独立同盟に言葉に出来ない損害を出させてしまった。本当に申し訳ない」
シュタットはクラナに対して、頭を下げた。
「シュタット司令官、今は過ぎたことを後悔している時ではありません」
言ったクラナは拳を強く握る。
「シャマタルは大丈夫ですか?」
「私たちは問題なく戦っていけます」
クラナは強く自分に言い聞かせるように言った。
「…………そうですか。グリューン殿にも会いました。彼は問題なさそうです。問題があるのは…………」
「ルーゴン隊ですよね?」とクラナは言う。
「そうです。半数の兵と指揮官を失った。とても戦える状態ではないでしょう」
「しかし、ルーゴン隊にも戦ってもらわなければなりません。リテリューン皇国軍は兵力を増しました。こちらは必死の防戦をしなければ、簡単に要塞は陥落してしまいます」
「その通りです。だからこそ、東門に新たな指揮官を配置する必要があるのですが…………」
シュタットは言葉を詰まらせる。
「それが出来る指揮官が残っていないのですね」
「情けない話ですが、その通りです。階級や軍歴ならそれに相当する人物がいますが、今求められるのはそういったことではないでしょう」
必要なのはリテリューン皇国軍の猛攻を防ぐことのできる指揮官である。それを探した時、イムレッヤ帝国側には経験豊富な指揮官がいなかった。
「私に考えがあります」
「なんですか?」
「シュタット司令官の権限でアーサーンを東門の臨時守備隊長へ任命してくださいませんか?」
クラナは自分自身の言葉で、鼓動が早くなるのを感じた。
アーサーンを東門へ配置転換することが何を意味するかを理解していた。
「アーサーン殿なら問題ないでしょう。それはありがたい提案です。…………ですがよろしいのですか?」
シュタットは驚きの混じった声で言った。
フィラックとユリアーナはいない。今、シャマタル独立同盟軍に指揮を任せられる人間はアーサーンしかいない。
そのアーサーンを出すということは…………
「構いません。シャマタル独立同盟軍は私が直接指揮を執ります」
声がわずかに震えた。
シュタットは沈黙する。
クラナにはその時間が長く感じた。自分の鼓動が異常に大きく聞こえた。
「…………分かりました。ネジエニグ殿の提案、ありがたく受けましょう」
それがシュタットの返答だった。
クラナは大きく息を吐いた。
「ありがとうございます。慌ただしくて申し訳ないのですが、決まったことをアーサーンや兵士たちに伝えないといけないので失礼してもよろしいですか?」
「構いません。お疲れなのに来て頂き、ありがとうございました」
「それでは失礼します」
クラナは立ち上がり、部屋から出て行った。
「あの娘に戦が出来ますか?」
クラナが去った後に、ハウセンが言う。
「知っているか、ハウセン。ネジエニグ殿の祖母は初めて戦場に出た時から、万を超える兵を動かしていたらしい」
「はい?」
「祖父は言わずと知れたアレクビュー・ネジエニグ。さらにクラナ・ネジエニグ殿の両親はランオ平原で活躍し、英雄夫婦と言われたらしい。この四人の内、アレクビュー・ネジエニグを除けば、全員が初陣から戦果を挙げていた」
「だから、ネジエニグ司令官も同じことが出来ると思うのは浅はかではないですか?」
ハウセンは険しい顔でシュタットを見た。
「かもしれんが、今はその可能性にかけるしかない。我々はそれほど追い込まれているのだ。ルルハルト、ラングラム、という悪魔に対抗する『新たな英雄』が目覚めることを願うしかない」
シュタットはテーブルの飲み物とお菓子を見る。
クラナはどちらにも一切手を付けていなかった。
椅子には汗の後がはっきりと残っていた。
「やれやれ、自分が情けない」とシュタットはハウセンにも聞こえないほど小さな声で呟いた。