フィラックとルパ
次の日、フィラックはいつもより早く目が覚めた。昨日のことが原因か、それとも今日の激動を予感してなのか、フィラック自身には判断が付かなかった。
顔を洗おうと井戸に向かった時だった。
「おはようございます」
「おはよう」
フィラックはルパに出会った。
「早いな」
「いいえ、これから寝るんです。…………クラナ様、一晩中泣いてました。私に何度も謝ってました」
「…………そうか」
「父さん、私に言うことがあるんじゃないんですか」
フィラックは結局、ルパに何も言ってなかった。
「ルパ、ちょっと話せるか」
「大丈夫です」
二人は座りやすい石段を見つけ、腰かけた。
「ずいぶんと成長したな」
フィラックはルパの頭を撫でる。
「きゅ、急に何ですか?」
ルパは困惑するが、フィラックの大きな手を払おうとはしなかった。
「私にこんな大きな娘がいる。今、思うと不思議な気分だ。私に家族が出来るとは思わなかった」
「作る機会はあったのではないですか? 母さんと出会う以前にも」
「私は元々、平民と大差のない下級貴族の出でな」
「知っています」
「父は、私が幼い頃に戦死して、その後の生活は惨めだった。兄たちも軍人となり、そして戦死した。私もいつか死ぬと思った。どうせ死ぬなら妻や子に私と同じ思いをさせたくない、と思った」
「だから、母さんを受け入れたのが、引退後だったんですね」
「どうやら、フィーラが色々しゃべっているらしいな」
フィラックはバツが悪そうな顔をする。
「父さんが何も言わないからです。娘としては、両親の馴れ初めは気になるんですよ」
ルパは微笑んだ。
「なら、あいつの話をしてやろうか。私は元々、あいつを自分の子供として迎えるつもりだった。いや、迎えたのだ」
「なるほど、父さんは子供が好きなんですね」
ルパは人一人分、フィラックとの間に距離を取った。
「お前、何か、勘違いしていないか。いや、しているだろう。あいつは『奥の館』の無名児だった」
「無名児?」
「アーレ家の奥の館で暮らす女には名前がない。嫁ぐ時に初めて存在を認められる。~の方や~夫人と言ったようにだがな」
「それが本当なら歪んでますね。大陸教ほどではありませんが。でも、今は奥の館なんてありません」
「ああ、それを壊したのがアレクビュー様とハイネ様だ。二人の初戦は帝国ではなく、アーレ家とのものだったのだ。これは語られない歴史だがな」
「私に話していいのですか?」
「お前は私とフィーラの娘だ。それに三十年以上前の話。もう語ってもいい頃だろう。アーレ家との戦いの結果、当時の当主であったゼカス様は、その座を退き、代わりに名も無き少女が当主になった」
「それがハイネ様と言うことですね」
「そうだ。で、ここから問題だった。あの二人は奥の館を解体することは考えていたが、そこで育った者たちのことまでは考えていなかった。ハイネ様は全員が自分自身と同じように生きられると考えておられたし、アレクビュー様は…………」
フィラックは当時を思い出して、頭を抱える。
「奥の館の女たちを何人も自分の元に呼んで、その、なんだ…………」
「あ~~、やっちゃったんですね」
自分の娘があまりにサバサバと言うので、フィラックは少し複雑な気分になった。
「まぁ、そういうことだ。元々、奥の館の女たちは恭順的に教育されている。男には逆らわないように教えられている。洗脳と言うべきか」
「それに関してはよく分かります」
ルパは両手を組んで、ぎゅっと力を入れた。
「その中でも中心となれる器量を持った者がいた。それがアルイルの方、フィーラの母親だ。アルイル様はすでに他界しており、奥の館では珍しい出戻りの女性だった。世間を知っている分だけ、他の者たちよりは外の世界を怖がらなかった。アルイルの方が奥の館を開放的な館に作り替えた。個人の名前を全員が手に入れた。ある者は自らで付け、ある者は親しい者と付けあって、ある者はアルイルの方に名前を付けてもらった。そして、娘たちは皆、自立した。一人を残してな。フィーラは名前を拒否し続けた。アルイルの方もなぜか、自分の娘に名前を付けようとせず、病に倒れて亡くなってしまった。残された無名児が頼れるものはなく、私が面倒を見ることにしたのだ」
「フィーラという名前はどこからきたのですか?」
ルパは惚ける。
「さぁな、あいつと二人だけになった時からそう名乗り始めた」
「フィラックとフィーラ、なんだか似てませんか?」
「そこまで分かっているなら、もういいだろ」
フィラックはルパと逆の方向を見る。
「父さんって意外と独占欲が強いんですね。私が夫になる人を連れてきたら、どうなるんでしょう」
ルパは悪戯っぽく笑った。
「候補はいくつか出した。フィーラという名前を選んだのはあいつだ。それにお前が誰かを連れてくるのは歓迎だ。まだ時期は早いがな」
それを聞くと、ルパはついに声を出して笑いだした。
「な、なんだ急に?」
「ハイネ様やクラナ様のお母様、それにクラナ様、みんな、私と同世代の時に運命の人と巡り会ってますよ。それに母さんはそれより前に運命の人に会っていたようですし」
ルパはフィラックの顔を覗き込んだ。
フィラックは押し黙り、次に口を開けた時は、
「なんだ、えっと、お前に思い人がいるのか?」
恐る恐ると聞いた。
「まだいませんよ。父さんをちょっとだけからかってみました」
ルパはまた笑う。
「まったく、こういう時はフィーラと同じ表情になる」
フィラックは苦笑した。
「………………」
「………………」
二人は沈黙する。
一人は話す覚悟をした。
一人は聞く覚悟をした
「ルパ、私がいなくなったら、どう思う?」
フィラックは重々しい口調で伝えた。
「悲しいです。絶対泣きます」
「直線的だな」
「父さんが直線的に言うからです…………それって、父さんじゃないといけないんですか?」
「誰かがやらなければいけない。ルパ、私はクラナ様を守りたいのだ。クラナ様は不思議な子だ。権力や名声に興味を示さない。性格は違えど、アレクビュー様と似ているところがある。しかし、違うこともある。クラナ様には一人で全てを覆す力はない。ルパ、私にもしものことがあったら、クラナ様を頼む。クラナ様は不安なはずだ。誰かが支えてやらなければならない」
「…………それが父さんの願いなら、私はクラナ様を支えます。でも、私は母さんに悪い知らせを持って帰るつもりはありません」
「私もあいつが勝手に色々としゃべったことに対して、文句を言ってやりたい」
「二人でシャマタルへ帰りましょうね」
ルパはフィラックに密着した。
フィラックは無言でルパの肩に手を回して、優しく擦った。
しばらくするとルパは寝息を立て始める。
「こんなところで寝たら、風邪を引くぞ。お前が風邪を引いたら、クラナ様の健康管理は誰がする?」
「………………」
「まったく…………」
フィラックはルパを背負い、部屋へ向かった。
ルパは涙を落とす。フィラックはそれに気が付かなかった。